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azukinia (poop)
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アズキニア王国
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アズキニア王国に関してのアンケート
詳細
| 名称 | アズキニア王国 |
|---|---|
| 読み方 | あずきにあおうこく |
| 漢字表記 | 楼国 亜津吉尼亜 王国(一字表記は「楼」) |
| 英語表記 | Adzukinia kingdom(三字表記は「AZK」) |
| 別名 | 目的の王国*3 |
| 首都 | 王政首都シュマリ 経済首都ステラリス 立法首都イドリュス 行政首都メクトフォール 司法首都オーズデン |
| 最大都市 | ステラリス |
| 国家元首 | 国王:未定*4、大統領:アラン・レーキンル*5 |
| 成立 | 不明*6 |
| 政体 | 立憲君主制 |
| イデオロギー | 社会民主主義、社会自由主義、自由民主主義 |
| 市場 | 社会的市場経済 |
| 位置 | 大泉洋最南西端 |
| 領土*7 | ナゴン諸島全域、シェイエロー諸島全域、ポラリス諸島全域、北エステル諸島、クローアーヴァント諸島全土、シャルケー半島、東クロイシア地方 |
| 面積 | 954,311㎢ |
| うち大陸部 473,118㎢ | |
| うち島嶼部 483,193㎢ | |
| 人口 | 156,467,197人 |
| 人口密度 | 164人/㎢ |
| 通貨 | ダカット |
| ccTDL*8 | .az |
| 国際電話番号*9 | 7 |
| 標語 | 自由、平等、平和 |
World News
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この国の一般ニュース
目次
| 目次 | ||
概要
アズキニア王国(膨大語:アズキニア王国、英語:Adzukinia Kingdam)、通称アズキニアは、大泉洋南西部に位置する君主制国家である。海外領土でない領土を大陸部分に領有しながら、首都が島嶼部に存在する珍しい国である。海洋国家で、主要都市は中央の島嶼部に存在する。
民主主義国家であり、人権意識や環境意識が高い。
権力分立の考え方から首都機能をメクトフォール(行政首都)、イドリュス(立法首都)、オーズデン(司法首都)、ステラリス(経済首都)、シュマリ(王政首都)に分散させているが、行政府がメクトフォールに所在し各国の大使館についても同都市に置かれていることから、国を代表する首都はメクトフォールと認識されている。
国土は全体的に東西に長く、4710キロメートルと非常に長く連なる。大陸部と島嶼部に大別され、僅かに島嶼部の面積の方が大きい。多くの海域に9000を超える島嶼を抱える一方で、東西の大陸部に長大な陸上国境を有する。
国土は多様性に富み、西部には西端国境を形成するラプラス山脈やダイナゴン島西部を縦断するロード山脈などの険しい山系が見られる。特に4000mを超える高山は、国土の西部にあたるローフェルドとアズレーンに集中する。対照的に東部には起伏の少ない中央平原やなだらかな丘陵地が広がるシャルケー半島などが位置している。
国土が海洋全体に広く散逸しているため、海洋性の気候で季節風の影響も受けにくく、気温の年較差・日較差ともに小さい。降水量も年中を通して安定しており、適度に湿潤であり暖かく過ごしやすい気候となっている。一方で砂漠気候や亜熱帯気候、寒帯気候も所々で見られ、多様な環境を形成している。国土の43%が森林で、固有種8407種を含む多様な生物相を有する。
海洋国家でありながら歴史的経緯によって周辺の大陸にも領土を有しており、その他に世界各地に植民地や海外領土を持つ。島嶼国家であるため、その広大な領域に対して本土の陸上の国境線で面しているのは、エステランド島におけるエステランド共和国、シャルケー半島におけるオデシア王国、ダイナゴン島におけるストレーザ公国、西方大陸領における南YouTuber連邦、粘土帝国、クロイツ連邦、シンフォニック共和国のみである。北で中漠海、北西で大泉洋、東でアントガール海とメロビア大陸、南西でコーラント海、南東でエステル海、西でラプラス山脈を挟んでクロイシアと隣り合う。
人口は1億7000万人を超え、マトリア海以西の中央平原において特に人口の集約度が高い。特にステラリス周辺に集中していたが、一極集中により様々な都市問題が生じているので、過密分散のための様々な都市計画が進行中である。主要民族はアズキニア人であるが、国境部で様々な民族を抱えており、インターカルチュラリズム政策によって文化的多様性を容認しながらも社会的同化を進めている。公用語はアズキニア語を基本としながらも、地域によっても変化する。
アズキニアは世界最多の貿易国数を誇り、その数は100を裕に超える。産業構造は貿易が中心で、貿易依存度は200%を超え300%に迫る勢いである。それに加えて長大な歴史や、美しい自然や建築物などの豊富な観光資源を有し、唯一無二の独自文化を形成してきたため、知名度*10世界一位の国として知られるようになった。但し外交的には基本的に孤立主義政策をとって同盟を組まず、平和路線を歩みつつも必要以上に国際情勢に関与しないことを軸とした外交を行なっている。これは『平穏なる孤立』と呼ばれる。
産業は植民地で大規模な商業的・企業的農業が盛んであり、本土でも主食は完全に自給できているため食料自給率は150%を上回る。本土では小豆などの豆類が主に栽培されている。植民地の農業は粗放的な側面が見られるため土地生産性はそこまで高くないが、その分土地が広いので労働生産性は高い。脱工業化が進んでいるため、鉄鋼や輸送用機械類の生産量は少なく、一部の産業などを除いて工業はそこまで盛んではないため工業力はほとんどない。商業などの第三次産業が大変盛んで、前述した貿易国数の多さや立地的な優位性によって貿易が大変盛んであり、中継貿易はアズキニアにおいて重要な外貨獲得手段である。また、その知名度も相まって世界的な金融や流通の中心地となっており、それらの要素のため同国の最大都市ステラリスは世界屈指の商業都市として君臨している。
軍隊は現代化が進んでいないことと、政治的準内戦や軍需産業利権を巡る財界及び政界での派閥争いによる非効率化でかなり弱体化しており、中途半端である。これは自然の防壁で囲まれている上に、周辺に脅威となる存在がいないからである。そのため必要最低限の軍大しか有しておらず、軍隊を解体し現代型の対テロ戦争だけに対応するための戦力を有するという案もある。他国との同盟案や軍事力強化案などもあるが実現には至っていない。
余談だが、この国は一度も公にアズキニア王国と名乗ったことはなく、正式名称はアズキニア国である。但しほとんどの場合でアズキニア王国と呼称される上に、当国もそれを公式に認めている。
国旗
アズキニアの定義
地理的定義
アズキニアとはどこまでを指すのかには未だに議論があり、はっきりと定義されていない。ナゴン諸島、シェイエロー諸島全域、北エステル諸島、ラスフェル島全土がアズキニア統一戦争までのアズキニア系王朝が継承する王国群の慣習的な領土とされ、同時にここまでの範囲が、その地域の言語分布においてアズキニア語の話者が99%以上となる範囲である。ポラリス諸島、クローアーヴァント諸島、シャルケー半島、南クロイシア地方についてはアズキニア統一戦争や対外戦争期に獲得した領土であり、アズキニア語話者の割合は相対的に低くなる。特にシャルケー半島は昔からオデシア王国との係争地で、領土支配根拠は双方において曖昧である。しかし住民の中にはアズキニアとオデシアの統合を望む者も多い。
また、単にアズキニアという場合には植民地も全て含んだアズキニア王国全体を指す場合があるので地域としてのアズキニアを指す場合には『アズキニア本土』と呼称される場合が少なからずある。*12
歴史的名称
アズキニアという名称が初めて使われたのは青銅器時代後期だと推測されている。それ以前にクロイシア地方ではアズキニアのことをアズケルク、メロビア地方ではキニアナと呼んでいた。それが東西公益の活発化により混ざってアズキンニアという言葉が生まれ、アズキニアへとなまってクロイシア、メロビアにもアズキニアという呼び方が普及したとされる。尤も、アズキニアとはクロイシアにとってはロード山脈以東のダイナゴン島などの島嶼を漠然と指す言葉で、メロビアではマトリア海以西を漠然と指す言葉であり、意味は大きく異なっていた。どちらにせよその歴史において自らをアズキニア王国と名乗ったことはなく、アズキニア王国というのはジラント朝の国王が支配していた歴代の国家を総称していう言葉である。アズキニアの範囲は時代によって大きく変化してきた。因みに、アズキニア人は自国をアズキニアと呼ばない。
そしてこんな言葉がある
『アズキニアは大陸と呼ぶには小さすぎ、ただの島々として扱うには大きすぎる』
国民精神
国歌
題名:ある家族の幸せを願って
父は
さぁ、! 高きロード山脈を越えて!
母は
さぁ、! 深きマトリア海を越えて!
姉は自由を愛し、
さぁ、歌おう! 青きレヴァン川を下って!
妹は
さぁ、踊ろう! 白きロースラ川を下って!
おばあさんは
さぁ、! を渡って!
おじいさんは
さぁ、! 広きラファ砂漠を渡って!
アズキニア圏
民族系統、地政学的重要性、規模の大きさ、人口、歴史的経緯などの多くの観点から総合的に考慮され、細かく支配体制が区分されている。それぞれで統治体制や自治度などが大きく異なる。
海外領土
直接統治される海外の領土。基本的に小規模な島嶼や商業植民地としての海外の拠点が該当する。中核州でアズキニア系住民が多く在住するものの、形式上は本土と同列の扱いではない。
- アズキニア王国領コールドランド
コールドランド島の海外領土。海峡に面する重要拠点。大変寒冷な気候のため人口は極端に少ない。鯨やオキアミの漁が盛ん。 - アズキニア王国領ナラキア
分割大陸にあるアズキニア最北の植民地。面積は極端に狭いが港があるためそこそこ人は居るため、唯一の隣国であるナラキア国にいろんなものを依存している。
直轄植民地
- アズキニア王国領リガルフィア
分割大陸の植民地。原住民が元々アズキニア人と同一のハプログループだったので入植と繁殖によって大きく人口が増えている。文化が近似的なので同化政策の必要がない。世界随一の穀倉地帯で、アズキニアのパン籠とも呼ばれる。 - アズキニア王国領西オメガ
OMG大陸の領土。現地人を働かさせている。に働ける場所を提供してあげている。 data-tippy-theme="light" data-tippy-interactive="true" data-tippy-allowHTML="true" data-tippy-content="貿易と観光の王国<br class="spacer">閲覧者数世界一!">アズキニア王国の経済を支える重要な基盤の一つ。昔から政情が不安定な上に近年は経営赤字に苦しんでいる。近世初期からアズキニア王国領だった土地。本国から送られた総督が治める。アズキニア人が多い。プランテーション農業が盛ん。テープコナル共和国との格差で住民同士の対立が起こっている。
- アズキニア王国領メリア
西オメガの近くに位置する島。香料諸島。 - アズキニア王国領北フリーステート連邦
冷帯と寒帯に属し、人口は少ない。自治度が高い。緩やかな連邦を構成する。この土地を支配する勢力たちが、各々政治をしているため統合はほとんどされていない。植民地というよりは、名目上 data-tippy-theme="light" data-tippy-interactive="true" data-tippy-allowHTML="true" data-tippy-content="貿易と観光の王国<br class="spacer">閲覧者数世界一!">アズキニア王国領とすることで政情不安定地域の混乱を防ぐ統治機構に近い。ただし実質上経済的に支配しており、富のほとんどは中央平原に流れていく。
- アズキニア王国領ケタスグルク
極夜王国の崩壊に伴い孤立した極夜王国領アズズキバーを接収したもの。投資を進めて人口を増やそうとしている。 - アズキニア王国領ルクミル?
統合傀儡国
- テープコナル共和国
流刑地戦争で勝って傀儡にした国。ある程度の自治は認められているが、実質植民地。砂糖などの商品作物を生産させて搾取輸入している。最近独立の機運が高まり、各地でゲリラが独立運動を行っている。 - マンダレー共和国
テープコナル共和国から属国開放で分裂させてできた国。テープコナルよりは安定している。
保護国
政治
アズキニア王国は、立憲君主制を採用してはいるものの、主権の所在を国王にではなく市民に置くという特徴的な政治構造を持つ。市民は、単なる住民ではなく、自らの意思で国家の理念を受け入れた存在として位置づけられ、国籍や出自ではなく理念的な契約に基づいて市民権を持つ。この国家は世俗的で、特定の宗教に基づかない公的秩序を重んじる。
憲法の中心には、市民による主権の行使と、国家権力に対する厳格な法的制限がある。国家の正統性は、市民の自由意思に基づく合意によってのみ成立し、政府の全ての行為は明文化された法律に基づかねばならないという法治原則が徹底されている。曖昧な慣習や判例には頼らず、明確な法によってのみ統治が正当化される。
地域圏には補完性の原則が適用され、中央政府に委ねられない限り、自治権が認められる。これにより、中央集権に偏らない柔軟な統治構造が可能となっている。政治制度としては多党制を前提とし、政党の活動は自由で民主的な基本秩序に基づき、かつ財政的な透明性を求められる。選挙だけに依存しない市民の政治参加が重視され、熟議民主主義の推進と共同体的意思決定が奨励されている。
アズキニア王国における基本権の枠組みは、形式的な自由の宣言にとどまらず、「人間の尊厳」を不可侵の原理として据えることで、国家の全制度と政策に対し倫理的かつ法的な拘束力をもたらしている。この人間の尊厳は、憲法の最上位価値として位置づけられ、すべての立法・行政・司法の正当性の根拠である。
生命権などの重要な基本権の主体は「市民」に限らず、「全ての人間」に拡張されており、出自や国籍によらない普遍的な人権保障を実現している。ここで保障されるのは、表現・信仰・思想の自由、集合と結社の自由といった伝統的自由権に加えて、社会権的性格も色濃く、法の下の平等、教育・労働・福祉へのアクセス、差別の排除など、実質的平等を実現する権利が含まれる。アズキニアの基本権体制は自由・平等・社会的連帯を三位一体とする構造を取り、形式的自由主義国家でも、福祉国家でもない、第三のモデルを志向している。理念と制度の両面から、「人間が人間として生きるに値する社会」の構築が、基本権の中核となっている。
特筆すべきは、形式的平等にとどまらず、「構造的不利益」に着目した権利保障である。たとえば、障害や性差、経済的地位といった要因が個人の自由を実質的に制限している場合、国家は中立的立場を超えて積極的に是正措置を取る義務を負う。これは「自由を保障するための介入」であり、自由権と社会権の対立を超えて、両者の相補性を前提とするものである。
基本権はまた、単に国家からの干渉を排除するだけでなく、国家に対する請求権としても機能する。たとえば、教育を受ける権利や、安全な労働環境を求める権利は、国の制度整備を通じて積極的に保障されなければならない。これにより、市民は受動的な権利の享受者ではなく、能動的な権利の担い手として存在している。
さらに、自由権や社会権に加え、「参加権」の概念も重視されており、市民が政治的意思形成に加わること自体が、権利の一部として制度的に認められている。これは選挙権に限られず、熟議民主主義的な場へのアクセスや、政策決定への参与権を含む。
司法
三審制。
違憲審査制については憲法裁判所制を採用しており、通常の裁判所から独立した憲法裁判所が違憲審査権を有し、法令及び行政処分の憲法適合性を判断する。具体的な訴訟事件を離れて、抽象的に法令その他の国家行為の違憲審査を行う権限を憲法裁判所に与えているところに特色がある。また、アズキニア司法は統治行為論を認めていない。
法
アズキニアは、完全な大陸法型の法治主義国家である。
但し、憲法に見られるように立法過程の民主性や法内容の適正を非常に強く要求しているため、人権の保護以外の目的での一切の人権の制限を認めていない。実質的法治主義に分類され、人権の保障を目的としているという点では法の支配と同義とも言える。
憲法
この憲法の剽窃・パクリなどは固く禁じます。これが行われていた場合には然るべき処置を取ります。
王国憲法は非常に理想主義的で、高度に倫理的な価値観*13を掲げている。しかし、同時に現実的な社会矛盾や利益調整に耐えうる柔軟性を欠く可能性を指摘されている。
全体で「市民」という語が使われることが最大の特徴である。アズキニア王国憲法における「市民」という語の選択は、国家の主体を「従属的な国民」ではなく、国民国家論からさらに踏み込んだ価値共感型社会契約論を根底に置いている。「自律的で責任ある市民」に置き換えることで、政治的自主性・法的平等・多様性の尊重・民主主義の原理を一体的に表現している。
前文
人類の最高善たる全世界の永遠平和が決して幻想でない事を確信し、
第一章 総則
第N条 政体について
- 王国すなわちアズキニアは、自由で、独立した、不可分且つ譲渡不能の、世俗的で、民主的な社会主義国家である。その統治形態は、立憲君主制である。
第N条 王国の領土
- 王国の領土は、アズキニア列島、東西の大陸領、及びその付属島嶼とする。
第N条 国歌
- 王国の国歌は、[未定]とする。
第N条 国旗
- 王国の国旗は青・白であり、聖ティアナスファの王冠並びに〇〇葉を配置する。以下CoIを参照し適宜編集。
第N条 主権在民
- 王国の主権は市民に属し、王国の全ての制度及び権力の正統性は、市民の自由な意思に基づいて成立する。
- 市民は、代表者を通して、又は国民投票によって、王国に対する主権を行使する。
第N条 主権の占有の禁止
- 市民の如何なる集団も、又は如何なる個人も、王国に対する主権を独占して行使する事はできない。
第N条
- 市民の尊厳と権利の保障は、王国に於ける最高の価値である。
第N条 名称
- 王国の正式な名称は、
- 王国の正式な略称は、アズキニア王国、及びアズキニアとする。
第N条 地域圏
- 地域圏は、その主権が王国憲法によって制限されない範囲で、主権を有する。
- 地域圏は、王国に委ねられない全ての権限を行使する。
第N条 補完性
- 補完性原則は、政府の任務の配分及び遂行に於いて、遵守されなければならない。
第N条 法治主義
- 全ての政府の活動は法に基づき、且つ法によって制限される。
第N条 法化
- 国家は、社会のあらゆる分野に於いて生じる問題の解決のために、法を整備しなくてはならない。
第N条
- 政党の設立は自由であり、複数政党制はこれを保障する。
- 政党は、法律の定めるところにより、国家の保護を受け、国家は、法律の定めるところにより、政党運営に必要な資金を補助することができる。
- 政党は、その資金の出所および使途について、ならびにその財産について、公的に報告しなけれはならない。
第N条
- 憲法により締結・公布された条約及び一般的に承認された国際法規は、国内法と同様の効力を有する。
- 外国人は、国際法規と条約の定めるところにより、その地位を保障される。
第二章 基本的人権
第N条 基本権の効力
- 以下の基本的権利は、直接に妥当する法として、立法、行政、及び司法を拘束する。
第N条 市民
- 市民とは、王国の基本理念を共有し、権利と責任を共に担う主体として、その政治的・社会的・文化的な発展に参画する自由かつ平等な全ての個人を指す。
- 市民は、政治的自主性、法の下の平等、多様性の尊重、民主主義の原理を認め、これを支える意思を有する者とする。
- 市民は、単に国籍や出生によってではなく、王国の基本的価値に共感し、共に未来を形づくる意思を有することによって、社会契約の一員として迎えられる。
- 市民は、自由民主主義に基づく諸権利を享受するとともに、社会的正義と公共善の実現に向けた義務を自覚的に果たす責任を負う。
- 市民の資格は、民族、言語、文化、性別、宗教、出自によらず、開かれた社会の理念に照らして普遍的に認められ、多様性の中の平等を原則とする。
- 市民という地位は、国家と個人との契約により成立するものであり、権威への服従ではなく、共通善に基づく協働と討議により維持される。
- この条項の規定は、国政運営の基本理念を明らかにするものであって、その実現の程度にかかわらず、これに基づき個人の基本的人権が制限されることはないものとする。
第N条 人間の尊厳
- 人間の尊厳は不可侵である。これを尊重し、および保障することは、全ての国家権力の義務である。
第N条 基本的人権の尊重
- 市民は、全ての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が市民に保障する永久の基本的人権は、現在及び将来の市民に与えられる。
- 国家権力は、本憲法及び王国に対して拘束力を持つ人権条約に於いて示されている通りに、人権を尊重し保障しなければならない。
第N条 基本的人権の不可侵
- この憲法の保障する基本的人権は不可侵の権利であって、これを犯す法律を制定し、命令を発することはできない。
- 国家権力が憲法によって保障された基本的人権を侵害する行為をなし、またそのような命令を発した場合には、市民はこれに服従する義務を負わない。
第N条 幸福追求の権利
- 全ての市民は、幸福を追求する権利を有する。
第N条 不当な服従の強要の禁止
- 全ての市民は、王国の法律と自己の良心以外には、どんな権威またはどんな特定の個人に対しても、服従又は尊敬を強要される事はない。
第N条 人として認められる権利
- 何人も、法の前に人として認められる権利を有する。
第N条 法の下の平等
- 全ての市民は、法の下に平等である。
- 全ての市民は出生、人種、種族、血統、家系、出生地、居住地、社会的性別、生物学的性別、年齢、言語、財産、社会的地位、生活様式、宗教的・世界観的若しくは政治的な信条及び価値観を理由として、政治的・経済的・社会的・文化的生活の全ての領域に於いて、差別され、または優遇されてはならない。
- 全ての市民は身体的・知的若しくは精神上の障害を理由として、政治的・経済的・社会的・文化的生活の全ての領域に於いて、差別され、または優遇されてはならない。
第N条 平等の実現
- 男女は平等な権利を有する。国家は法律上も実際上も、特に家庭、教育及び職場において、両者の平等を保証しなければならない。男女は同一価値の労働に対して、同一の賃金を受取る権利を有する。
- 法律は、障がいを有する人々に影響を及ぼす不平等の排除を、定めなければならない。
第N条 配偶者の平等
- 配偶者は、婚姻中及び婚姻の解消の際に、配偶者相互間及びその子との関係に於いて、婚姻に係る私法的性質の権利及び責任の平等を享受する。
- この条項は、政府が児童の権利の保障のために必要な措置を取る事を、妨げるものではない。
第N条 公務員の雇用に於ける機会均等
- 国家の下に於ける如何なる公職への雇用又は任命に関する事項に於いても、全ての市民に対して機会均等が保障される。
- この条項は、王国議会が地域圏若しくは王国直轄領内の地方自治体若しくはその他の当局の下での雇用若しくは職への任命の種類又は等級に関して、当該雇用又は任命に先立って当該地域圏又は王国直轄領内に居住している事を要件とする法律を制定する事を妨げるものではない。
第N条 階級制度の禁止
- 特権を伴った社会的特殊階級の制度は認められず、いかなる形態に於いてもこれを創設することができない。
- 勲章等の栄典は、これを受けた者に限り効力を有し、いかなる特権もこれに伴わない。
第N条 尊厳の平等
- いかなる人物及び事物の名誉に対する罪も、一般の人物及び事物の名誉に対する罪の実行に対する処罰と同じように、処罰される。
- あらゆる人物及び事物に対する不敬罪は、これを設けてはならない。
第N条 思想及び良心の自由
- 全ての市民は、干渉される事なく意見を持つ権利を有する。
- 思想及び良心の自由は、不可侵である。
第N条 良心的兵役拒否の権利
- 何人も、その良心に反して、武器をもってする戦争の役務を強制されない。
第N条 宗教の自由
- 信仰の自由並びに、信仰及び世界観の告白の自由などを含む宗教的活動の自由は、これを侵してはならない。
- 何人も、宗教上の共同体に加入し、若しくはこれに所属し、宗教上の行為に参加し、宗教的教育を受け、又は宗教上の教義に従う権利を有する。
- 何人も、宗教上の共同体に加入し、若しくはこれに所属し、宗教上の行為に参加し、宗教的教育を受け、又は宗教上の教義に従うことを強制されない。
第N条 宗教の平等
- 如何なる宗教及び信仰も、他の宗教及び信仰に対して如何なる優劣も有さない。
- 宗教及び信仰上の教義を理由として、他者の権利を不当に侵害することは認められない。
第N条 宗教的教育
- 親及び保護者は、状況に応じて、自らの信念に従って、子ども又は被保護者に宗教的及び道徳的な教育を施す権利を有する。
第N条 政教分離
- 国敎は、これを認めない。宗敎と政治は分離されなければならない。
- 国及びその機関は、宗教教育その他如何なる宗教的活動もしてはならない。
- 如何なる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
第N条 宗教の推進のための税金の支払いに関する自由
- 何人も、その収益が特定の宗教、宗派又はその一部の促進又は維持のための費用に充てられる税金の支払いを強制されない。
- 特定の宗教、宗派又はその一部の促進又は維持のための資金に税金を充てた公務員又は公的機関は、その責任の訴追を免れない。
第N条 教育機関に於ける宗教的教育
- 国家の資金によって完全に維持されている教育機関では、如何なる宗教的教育も提供されてはならない。
- ただし、宗教的意図を有さず宗教についての学術的・文化的な理解を目的とする教育についてはその限りではない。
第N条 宗教の運営の自由
- あらゆる宗教、宗派、又はその一部は、公序良俗及び自由で民主的な基本秩序の遵守を条件として、宗教的及び慈善的目的のために施設を設立・維持し、宗教に関して自らの事務を管理し、動的または不動的な財産を所有・取得し、法律に従ってその財産を管理する権利を有する。
第N条 言論の自由
第N条 表現の自由
- 何人も、真実の追求、民主主義および個人の自由な意見形成という言論の自由の根拠と合致する形で法的責任が正当化されない限り、言語、文書及び図画をもって、その意見を自由に発表し、及び流布し、並びに一般に入手できる情報源から妨げられることなく知る権利を有する。
第N条 検閲の禁止
- 言論及び出版に対する許可制や検閲は、これを禁止とする。
- 情報源の保護は、これを保障する。
第N条 言論の自由の制限
- 言論・出版は、他人の名誉若しくは権利、又は公衆道徳若しくは社会倫理を侵害してはならない。言論・出版が他人の名誉又は権利を侵害したときは、被害者は、これに対する被害の賠償を請求することができる。
第N条 訂正及び反論の権利
- 法的に規制された通信手段によって公衆一般に流布された不正確または攻撃的な記述または思想によって損害を受けた者は、法律が定める条件の下で、同じ通信手段を用いて訂正または反論を行う権利を有する。
- 訂正または反論は、如何なる場合においても、発生した可能性のあるその他の法的責任を免除するものでは無い。
- 名誉と評判を効果的に保護するため、全ての出版社・新聞社・映画会社・ラジオ会社・テレビ局などの全ての報道機関は、免責特権や特別特権によって保護されていない責任者を置かなければならない。
第N条 通信機密の保護
- 信書の秘密ならびに郵便及び電気通信の秘密は、不可侵である。
- 制限は、法律に基づいてのみ行うことができる。その制限が、自由で民主的な基本秩序の擁護、または王国および各地域圏の存立若しくは安全の擁護のためのものであるときは、法律により、その制限が当事者に通知されないこと、および裁判上の方法に代えて、議会の選任した機関および補助機関によって事後審査を行うことを定めることができる。
第N条 プライバシーの権利
- 何人も、自己の存在に関わる情報を開示する範囲を選択できる権利を有する。
- 何人も、その個人情報が濫用から保護されるよう請求する権利を有する。
第N条 政府によるプライバシーの権利の尊重
- 何人も、自己の個人情報の悪用から保護される権利を有する。
- 政府は、個人のプライバシーを保護することを保障しなければならない。
第N条
- 十七歳未満の児童は、これを働かせてはならない。
第N条 学問の自由
- 学問ならびに研究及び教授は、自由である。
- 教授の自由は、憲法に対する服従を排除しない。
第N条 大学の自治
- 大学の自治性は、法律の定めるところにより保障される。
- 大学が国家権力等の外的干渉を受けずに、自主的に学問研究・教育に関する諸事項を決定・遂行する権利である。具体的には、①教職員の人事権②学生入学の承認権③教学の内容の決定権④学位授与権⑤学内司法権⑥財政自主権である。
- この権利は、自由で民主的な基本秩序の保護又は人道の保全及び擁護に必要な場合のみ、法律によって制限することができる。
第N条 芸術の自由
- 自由な創造的形成もとい芸術的表現の自由は、これを保障する。
第N条 創作者の権利の保障
- 著作者・発明者・科学技術者・及び芸術家の権利は、法律で保障される。
第N条 言語の自由
- 言語の自由は、これを保障する。何人も、その使用する言語によって公的な不利益を被らない。
第N条 集会の権利
- 平和的な集会の権利は、認められる。
第N条 名前を持つ権利
- 全ての市民は、名及び両親のいずれかの姓を称する権利を有する。
- 法律は、必要な場合には変名の使用により、この権利が全ての市民に保障される方法を規定しなければならない。
第N条
- 婚姻して家族を持つ権利は、これを保障する。
- 家族は、社会の自然且つ基礎的な単位であり、社会及び国家による保護を受ける権利を有する。
第N条 婚姻の自由
- 婚姻は、性別及び性的嗜好によって制限されない。
第N条 嫡出子と非嫡出子の平等
- 非嫡出子に対しては、その肉体的及び精神的発達並びに社会に於けるその地位について、法律により嫡出子と同等の権利を認めるものとする。
第N条 移動の自由
- 王国の国籍を持つ全ての者は、王国の全ての領域に於いて移動の自由を有する。
第N条 居住の自由
- 合法的に王国内に居住する者は誰でも、王国の領域内に於いて居住地を自由に選択できる。
- 全ての市民は、自己の意思に反して居住地を移動を強制されない。
- 政治的理由による如何なる居住地選択の自由の制限も禁じられる。
第N条 出国の自由
- 全ての市民は、合法的な手段によって王国から出国することを拒否されない。
- ただし、実行的且つ正当な法的手続の点で必要な場合にはその限りではない。
第N条 追放の禁止
- 王国の国籍を持つ全ての者は、個別的又は集団的措置によって、王国から追放されない。
- 王国の国籍を持つ全ての者は、王国に入国することを拒否されない。
第N条 国籍
- 王国の国籍は、本人の自由な同意なしに剥奪してはならない。
- 王国の領域外に於いて本人の同意無しに王国の国籍が剥奪された場合には、その国籍は王国への入国の後に、可及的速やかに復活される。
第N条 二重国籍の防止
- 王国の国籍の喪失は、当事者の意思に反する場合はその者が無国籍とならない場合に限って、法律の根拠に基づいてのみ認められる。
第N条 領域外に於ける国籍の取得
- 政府は、出生時点で両親のいずれかが王国の国籍を有している者に王国の国籍を付与しなければらばない。
- 王国を旗国とする船舶又は航空機に於いて出生した者は、王国の国籍を取得する権利を有する。
第N条 無国籍者の地位
- 無国籍者とは、いずれの国家によってもその法の運用に於いて、国籍を認められていない者の事を意味する。
- 政府は、無国籍者に対して、一般の外国人に対して与えられる待遇と同一の待遇を与えなければならない。
- 政府は、無国籍者に対して、以前の国籍のみを理由として差別又は優遇してはならない。
- 王国の領域内の無国籍者は、等しく王国の法律を遵守する義務を負う。
第N条 無国籍者の削減
- 政府は、王国の領域内での無国籍出生者には王国の国籍を与えなければならない。
- 王国の領域内で発見された両親が不明の児童は、反対事実の証明がない限り、王国内で出生したものと認められる。
第N条 外国人追放についての手続的保障
- 王国内にいる外国人は、法律に基づいて行われた決定による場合を除いて、王国から追放することができる。
- 当該外国人は、自己の追放に反対する理由を提示される権利を有する。
- 当該外国人は、権限のある機関又はその機関が特に指名する者によって、自己の事案が審査される権利を有する。この為に、その機関又はその者に対する代理人の出頭が認められる。
- 外国人は、国の安全のためやむを得ない理由がある場合に於いては、上記の権利を行使する以前にも追放することができる。
第N条 外国人の集団的追放の禁止
- 国籍のみを理由とした外国人の集団的追放は、禁止される。
第N条 送還からの保護
- 王国の国籍を持つ全ての者は、本人の自由な同意なしに外国の当局に引渡されない。
第N条 庇護権
- 政治的に迫害されている者は、庇護権を有する。
- 難民は、迫害を受ける国に送還され、又は引き渡されない。
- 何人も、拷問、死刑その他残虐で非人道的な処遇若しくは刑罰を受ける恐れのある国に送還されない。
第N条 氏名の権利
- 何人も、政治的理由によってその氏名を奪われない。
第N条 職業選択の自由
- 全ての市民は、自己の意志と能力に基づき、いかなる職業にも従事する自由を有する。
- 政府は、職業選択の自由を尊重し、これに対する不当な制約を回避するための適切な措置を講じなければならない。
第N条 職業選択の制限
- 国家は、公共の福祉を保護するために必要な場合、職業選択に制限を課すことができる。
- 制限は、公共の利益のために合理的かつ公正に定められる場合に於いてのみ、法律に基づいて認められる。また、恣意的且つ過剰または不公平な制限は禁止とする。
第N条 財産権
第N条 財産の保全
- 全ての市民は、その保有する資産が犯罪行為に利用された場合若しくは、犯罪行為から得た利益である場合を除き、不動産や全ての資産を没収されない。
第N条 契約の自由
- 全ての市民は、民間契約及び商業契約を自由に締結する権利を有する。
- 契約の内容及び条件は、当事者間の自由な合意に基づき、他の法令に反しない範囲で決定されるものとする。
第N条 契約の相手方選択の自由
- 全ての市民及び法人は、契約を締結する相手方を自由に選択する権利を有し、特定の相手方と契約を強制されることはない。
- 契約において、各当事者は自らの意志で締結を決定し、他者の強制により契約を結ばされることはない。
第N条 公序良俗及び社会的秩序の制限
- 全ての契約は、公序良俗に反する内容であってはならない。違法行為や不道徳な目的に基づく契約は無効とされる。
- 公共の利益、社会的秩序、または他者の権利を侵害する契約は、当該契約が無効とされることがある。
第N条 消費者の保護
- 消費者契約においては、消費者の利益が不当に侵害されないよう適切な保護措置が講じられる。
- 契約内容は、消費者に不当な負担を強いることなく、適切な情報提供がなされることを義務付ける。
- 法律は、契約解除に関する規定を定めなくてはならない。
第N条 労働契約の保護
- 労働契約においては、労働者の権利が保護されるものとし、最低賃金、労働時間、労働環境について不当な契約条件を設定することは禁じられる。
- 労働者は、労働契約において、適正な条件での雇用を受ける権利を有し、雇用契約は公平に取り決められなければならない。
第N条 契約の自由に対する強制の禁止
- 何人も、暴力、脅迫、詐欺その他の不当な手段によって契約を強制されない。
第N条 強制及び詐欺による契約の無効
- 契約は、強制または詐欺によって締結された場合、その契約は無効とされる。
- 契約当事者が不当な手段を用いて契約を結んだ場合、その契約は破棄され、当事者は法的責任を負う。
第N条 搾取の禁止
- 暴利及び不当な搾取のあらゆる形態は、法律によって禁止される。
第N条 参政の義務
- 全ての市民は、法律の定めるところにより、参政の義務を負う。
?第N条 選挙権
- 全ての市民は、法律の定めるところに依り選挙権を有する。
?第N条 公務担任権
- 全ての市民は、法律の定めるところに依り公務担任権を有する。
第N条
- 何人も、個人又は他者との共同で、官庁に宛て請願又は苦情の申し立てを行う権利を有する。
- 請願したものには、いかなる不利益も加えられない。
第N条 環境権の保障
- 市民は、健全で恵み豊かな環境で生活する権利を有し、国はその権利を保護する義務を負う。
第N条 環境影響評価
- 政府及び地域圏は、環境に影響を及ぼす可能性のある政策、計画、事業を実施するにあたり、事前に環境影響評価を行い、その結果を公表し、市民の意見を聴取するものとする。
第N条 環境情報へのアクセス
- 市民は、環境に関する情報へのアクセス権を有し、国及び地方公共団体は、環境情報を適切に管理し、公開する義務を負う。
第N条 環境権の行使
- 市民は、環境権の侵害に対して、裁判所に対し差止請求、損害賠償請求その他の適切な法的手段を講じることができる。
第N条 生命の権利
- 何人も、その生命を尊重される権利を有する。この権利は、その受胎の瞬間から保障される。
- 何人も、如何なる理由によってもその生命を奪われない。
?第N条 奴隷制度の禁止
- 奴隷制度とは、所有権に付随する一部又は全ての機能が行使される者の状態又は地位を指し、奴隷とはどのような状態または地位にある者を意味する。
- 何人も、奴隷の状態又は隷属状態に置かない。
- 何人も、他者に所有されず、その身体の自由に関する権利を不当に奪われない。
- あらゆる形態の奴隷制度及び奴隷取引は、絶対に禁止とする。
- 王国の領域に於いては、如何なる奴隷制度も存在する事ができない。
第N条 人身売買の禁止
第N条 奴隷からの解放
第N条 強制労働の禁止
- 何人も、強制労働に服することを要求されない。
- 但し、労働が普遍的且つ全ての者に平等に課せられる公共の役務の範囲内である場合については、この限りではない。
- 受刑者に科せられる強制労働は、受刑者の尊厳または身体的若しくは知的能力に、悪影響を及ぼしてはならない。
第N条 死刑の禁止
- 死刑すなわち生命刑は、絶対に禁止とする。
- 死刑と同様の目的及び趣旨によって行われ、死を恣意的に誘発する可能性のある刑罰も、同様に禁止とする。
第N条
- 政府は、生存する権利を尊重し、拷問、奴隷制、強制労働およびその他の方法で行われる非人道的または屈辱的な扱いに立ち向かわなければならない。
- この条項は、政府が王国の領域外に干渉する根拠となることを、目的としない。
第N条 身体の自由
- すべて市民は、身体の自由及び安全についての権利を有する。これらの権利は、正規の法律の根拠に基づき、且つそこで規定された形式に依らなければ、制限することができない。
- 何人も、その自由な同意なしに医学的又は科学的実験を受けない。
第N条 強制失踪の防止
- 何人も、強制失踪の対象とされず、政府によって如何なる強制失踪からも保護される。
- 戦争状態、戦争の脅威、内政の不安定その他公の緊急事態であるか否かも関わらず、如何なる例外的な事例も強制失踪を正当化する根拠として援用できない。
- 公的機関、文民、軍人その他如何なる命令又は指示も、強制失踪を正当化する根拠として援用できない。
第N条 恣意からの保護と信義誠実原則の保障
- 何人も、政府機関より、恣意を含まず信義誠実の原則に基づいた処遇を受けることを請求する権利を有する。
第N条 法定手続の保障
- 何人も、法律に依らなければ逮捕・拘束・押収・捜索又は審問を受けず、法律及び適法な手続きに依らなければ、処罰・保安処分又は強制労働を受けない。
第N条 令状主義
- 逮捕、拘束、押収又は捜索を行う際は、やむを得ない例外の場合を除いて、適法な手続に基づく検事の申請によって裁判官が発付した令状を提示しなければならない。
第N条 拘禁の理由を告示される権利
- 何人も、自らが理解できる言語で速やかに且つ詳細に、逮捕または拘束の理由及び弁護人の助力を受ける権利の告知を受けること無くして、逮捕または拘束されない。
第N条 異議を請求する権利
- 何人も、逮捕または拘束された場合には、その適否の審査を裁判所に請求する権利を有する。
- 裁判所は遅滞なくその請求の正当性を判断し、違法である場合には釈放を、やむを得ない例外の場合を除いて命じなければならない。
第N条 刑事被告人の立場の保障
- 被告人は、やむを得ない例外の場合を除いて、有罪の判決を受けた者とは分離される。
- 被告人は、有罪の判決を受けていない者としての地位に相応する別個の取扱いを受ける。
第N条 弁護人依頼権
- 何人も、逮捕または拘束にあった場合、直ちに弁護人の助力を受ける権利を有する。
- 刑事被告人が自ら弁護人を求めることができない場合は、法律が定めるところに依り、国家が弁護人を付けなくてはならない。
第N条 民事債務を理由とする拘束の禁止
- 何人も、契約上の義務を履行できないことのみを理由として、その自由を奪われない。
- この条項は、扶養義務の不履行に対して裁判所が命令を発することを妨げるものではない。
第N条 自白の限界と黙秘権
- 被告人の自白が拷問、暴行、脅迫、拘束の不当な長期化または欺罔その他の方法により、自らの意思による陳述でないと認められる場合、又は正式な裁判において被告人の自白がその不利な唯一の証拠である場合には、これを有罪の証拠とし、これを理由として処罰することはできない。
第N条 自由被剥奪の通知の権利
- 身体の自由を剥奪された全ての者は、特に家族など法律が定める者に対して、その旨を遅滞なく通知する権利を有する。
第N条 刑罰の意義
- 刑罰は、受刑者の更生及び社会復帰を目的し、受刑者に苦痛を与えるためにのみ科されれてはならない。
- 刑罰は、私的制裁のために科されてはならない。
第N条
- 刑罰は、犯罪を犯した者のみに科せられる。
第N条 人道的取扱の義務
- 自由を奪われた全ての者は、人道的かつ人間の固有の尊厳を尊重した方法で、取り扱われる。
- 受刑者の労賃と労働時間は、一般に適用される法定基準によって決定される。
第N条 残虐な刑罰の禁止
- 拷問その他残虐で、非人道的または品位を傷つける処遇及び刑罰は、絶対に禁止とする。
- 特に身体刑及び名誉刑の実施は、絶対に禁止とする。
第N条 罪刑の均衡
- 犯罪に対して科される刑罰は、合理的な判断の下で相応だと見做されるものでなくてはならない。
- 受刑者に対して合法的に科された刑罰を、更に加重するような取扱を行った者は、その責任を問われる。
第N条 裁判を受ける権利
- 全ての市民は、その刑事上の罪の決定又は民事上の権利及び義務の争いについての決定のため、法律によって設置され、権限を有し、独立した中立の裁判所で、自らが出席する公開された審理を受ける権利を有する。
第N条 住居地で裁判を受ける権利
- 民事訴訟の被告は、その事件を住居地の裁判所で裁定されることを請求することができる。
- その他の裁判籍については、法律でこれを定める。
第N条 裁判所の前の平等
- 何人も、裁判所の前に平等である。
第N条 裁判の公開
- 裁判は、原則として公開される。
- 裁判所は、どうしてもやむを得ない場合には真に必要があると認める範囲で、裁判の一部又は全部を公開しないことができる。この時、裁判の非公開が司法または当事者の利益になっていなければならない。但し、如何なる政治的理由によっても裁判を非公開にすることはできない。
第N条 迅速な裁判
- 裁判は、遅滞なく迅速に行われなければならず、不当に遅延されてはならない。
- この条項は、裁判に於いて慎重性及び合理性が妥協される根拠となることを、目的としない。
第N条 防御権
- 何人も、公開された審理に於いて、防御の準備のために十分な時間及び便益を与えられ、自ら選任する弁護士と連絡し、直接に又は自ら選任する弁護人を通じて、防御する権利を有する。
第N条 証人の召喚及び審問の権利
- 刑事上の罪に問われている全ての者は、自己に不利な証人となる事を強制されない。
- 刑事上の罪に問われている全ての者は、自己に不利な証人を尋問し又はこれに対し尋問させること並びに自己に不利な証人と同じ条件で、自己のための証人の出席及びこれに対する尋問を求める権利を有する。
第N条 裁判に於ける通訳
- 何人も、裁判所で使用される言語を理解すること又は話すことができない場合には、無償で通訳の援助を受ける権利を有する。
- 身体の障害により裁判で使用される言語を理解できない場合に於いても、同様に視覚言語又は音声言語により無償で通訳の援助を受ける権利を有する。
第N条 減刑を求める権利
- 実刑判決を受けた如何なる者も、恩赦・赦免及び減刑を求める権利を有する。これらの申請は如何なる場合でも認められる。
第N条 上訴の権利
- 有罪の判決を受けた全ての者は、法律に基づきその判決及び刑罰を、上級の裁判所によって再審理される権利を有する。
- この権利は、同一の犯罪については二回まで行使できる。
第N条 刑事補償請求権
- 刑事被疑者又は刑事被告人として拘禁された者が法律の定める不起訴処分を受け、又は無罪判決を受けた時は、法律が定めるところに依り国家に正当な補償を請求する権利を有する。
- 但し、その知らされなかった事実が適当な時に明らかにされなかった事の全部又は一部が、その者への処罰に帰するものであることが証明される場合は、この限りではない。
第N条 推定無罪
- 刑事上の罪に問われている全ての者は、法律に基づいて有罪とされるまでは、無罪と推定される権利を有する。
第N条 一事不再理
- 何人も、法律及び刑事手続に従って、既に確定的に有罪または無罪の判決を受けた行為について、再び裁判され又は処罰されない。
第N条 二重危険の排除
- 何人も、同一の犯罪については、二度以上訴追されない。
第N条 二重処罰の禁止
- 何人も、犯罪が行われた時に適用されていた刑罰よりも重い刑罰を科されず、同一の犯罪について重ねて刑事上の責任を問われない。
- 刑事上の責任を問われ処罰されたいかなる者も、犯罪の事後により軽い刑罰を科する規定が法律に設けられる場合には、その利益を受ける権利を有する。
第N条 罪刑法定主義
- 犯罪を構成する行為及びそれに対する刑罰は、事前の立法によって規定されていなければならない。
第N条 遡及処罰の禁止
- 何人も、実行の際に法律により犯罪を構成していなかった行為または不作為を理由として、訴追されない。
第N条 慣習刑法の排除
- 刑法及びその刑罰は、法律の形式により明文で規定されなければならない。
- 本来的に成文法に根拠を持たず、内容が不明確である慣習や条理は、直接の法源となり得ない。
第N条 絶対的不定期刑の禁止
- 刑罰の決定の際に、刑の種類や分量を定めないことは、禁止とする。
第N条 類推解釈の禁止
- 特定の事項についての法律の解釈を、規定のない類似の事項に当てはめて解釈することは、禁止される。ただし、被告人に有利な方向での解釈については、この限りではない。
- この条項は、法律の条文の文言の意味を、社会通念上の意味よりも広く解釈することを、妨げるものではない。
第N条 明確性の原則
第N条 明文法の優越
- 直接の法源となり得るのは、明文化された法に限られる。
- 裁判に於いて過去の判例を根拠にすることは、禁止されない。但し、法源としては必ず二次的若しくは副次的でなくてはならず、明文化された法源に優越してはならない。
第N条 連座処罰の禁止
- 何人も、自己の行為でない親族及び知人の行為によって、不利益を被らない。
- この条項は、児童が犯した犯罪についての、保護者の監督責任の訴追を妨げるものではない。
第N条 児童の権利
- 全ての児童は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、国民的若しくは社会的出身、財産又は出生による如何なる差別もなしに、未成年者としての地位に必要とされる保護の措置であって家族、社会及び国による措置について権利を有する。
- 全ての児童は、人間としての尊厳を尊重される権利並びに自分自身に関する問題について意見を表明する権利を有する、児童の意見は年齢と成長に応じて重視されなければならない。
- 児童に与える行動や決定については、児童にとっての利益が基本的な考慮事項でなくてはならない。
第N条 基本権の実現
- 基本権は、如何なる秩序及び自由の中でも、妥当されなければならない。
- 国家的任務の担当者は、基本権に拘束され、その実現に寄与する義務を負う。
- 政府は、基本的人権が、それに適している限りで、私人間でも効力を持つよう配慮する。
第N条 基本権の普遍性
- 市民の自由及び権利は、憲法に列挙されていないことを理由として軽視してはならない。
- 法律、条約又は規則によって認められ又は存在する基本的人権については、この憲法がそれらの権利を認めていないこと又はその認める範囲がより狭いことを理由として、それらの権利を制限し又は侵してはならない。
第N条 基本権の行使に対する責任
- 何人も、その権利の行使に際して責任を負う。
第N条 公的権力による基本権制約事由の使用に対する制限
- 公的権力による権利及び自由についてこの憲法が認める制限は、それを定めた目的以外の如何なる目的のために適用してはならない。
第二・五章
第N条 憲法と民主制度への尊重
- すべての市民は、王国憲法に掲げられた自由、平等、社会的連帯の理念を理解し、自己の良心と自由な意思に基づいてこれを尊重し、民主的制度の発展と維持に積極的に関与することが期待される。
第N条 国家の統一と平和の尊重
- すべての市民は、国家の独立、主権、統一および領土の完全性を大切にし、平和と寛容の精神に基づいた共生社会の形成に貢献することが望ましい。
第N条 多様性の尊重と包摂的社会の推進
- 市民は、異なる人種、民族、言語、宗教、性別、性自認、能力を持つ他者の尊厳を認め、多様性を尊重する包摂的な社会の実現に努めることが推奨される。
第N条 公共の福祉への積極的関与
- 市民は、教育、文化、医療、環境保護、社会福祉など公共の課題に関心を持ち、自発的かつ建設的に参加することが望ましい。これには選挙への参加や地域活動などが含まれる。
第N条 環境保全と未来への責任
- 市民は、自然環境の保護と持続可能な資源利用に努め、次世代が安全かつ豊かな環境で暮らせるよう責任ある行動をとることが推奨される。
第N条 公共財産と社会的資源の尊重
- すべての市民は、公共の施設、文化遺産、情報資源など共同の財産を大切にし、その保全と適切な利用に協力することが望まれる。
第N条 教育と理性ある対話の促進
- 全ての市民は、自己の教養を深め、批判的思考と科学的精神を育むことに努め、偏見や無知を避けるために理性ある対話と討議を重視することが推奨される。
第N条 市民の自由と公共精神の調和
- 全ての市民は、自らの自由と権利を尊重するとともに、公共の福祉と調和した行動をとることが期待される。これらの責任は強制されるものではなく、憲法の理念に基づく自発的なものとされる。
第N条 本章の条文の性質
- これらの条文は市民の自発的な責任と公共精神を促すものであり、個々の自由と尊厳を尊重した理念的指針として機能する。如何なる場合も市民の基本的人権を侵害するものではない。
第三章 平和主義
第N条
- 王国は、永遠平和を志向し、国際問題の非暴力的解決に努めなくてはならない。
第N条 暴力的な宣伝の禁止
- 戦争のためのいかなる宣伝も、禁止される。
- 差別、敵意又は暴力の扇動となる、国民的、人種的又は宗教的憎悪の唱導は禁止される。
第N条 戦争原因の排除
- 王国は、現在及び将来の戦争原因の排除に向けて努力しなければならない。
- 将来の戦争の原因を含む平和条約は、平和条約とみなしてはならない。
第N条 常備軍の廃止
- 常備軍は、これを保持してはならない。
第N条 軍事国債の禁止
- 王国は、対外的な紛争を理由に国債を発行してはならない。
- この条項は、王国の領域内の経済的な必要性のために国債を発行する事を、妨げるものではない。
第N条 戦争時の信用供与の禁止
- 王国は、如何なる国家及び勢力に対しても、融資、武器の売却、軍事技術の提供、軍事訓練の実施、またはその他の戦争遂行のためのあらゆる形態の支援を行ってはならない。
第N条
第N条
- 王国は他の国との戦争に於いて、暗殺者や毒殺者の利用、降伏条約の破棄、戦争の相手国での暴動の扇動などの、将来の和平において相互の信頼を不可能にするような敵対行為をしてはならない。
第N条
- 陸海空軍その他の一切の交戦を目的とした戦力は、これを保持してはならない。
第N条
- 王国は、大量破壊兵器及び無差別兵器を保有してはならない。
第N条 平和原則の不可侵
- 本章に定める平和原則は、いかなる理由によっても改正されてはならない。平和は王国の存在の基礎であり、これを否定する法令・政令・行為はすべて無効とする。
第四章 王国議会
第N条
- 議員は、市民全体の代表者であって、委任および指示に拘束されず、かつ自己の良心にのみ従う。
第N条 議員の人身保護
- 議員は、王国議会で職務上行った発言及び表決について、王国議会外で責任を負わない。
第N条 議員の請求権
- 王国議会の議席を獲得しようとする全ての者は、選挙の準備に必要な休暇を求める権利を有する。
- 何人に対しても、議員の職務を引き受け、およびこれを行使することを妨害してはならない。これを理由とする解雇通告または解雇は許されない。
- 議員は、その独立を保障するに足る相当の報酬を請求する権利を有する。議員は、国のすべての交通手段を無償で利用する権利を有する。
第N章 国王
第N条(国王の地位および象徴性)
- 国王は政治的権力を直接行使せず、国政に関する決定は全て憲法及び法律の範囲内で行われる。
第N条 国王の権限及び国事行為
- 国王は内閣の助言及び承認を得て、以下の国事行為を行う。
1.1. 国会の召集及び解散。
1.2. 首相及びその他閣僚の任命。
1.3. 最高裁判所長官並びに憲法裁判所裁判官の任命。
1.4. 法律の公布。
1.5. 条約の批准。
1.6. 勲章及び栄誉の授与。 - 国王の国事行為はすべて形式的かつ儀礼的性格を有し、実質的な政治的決定権は内閣に帰属する。
- 国王は内閣の助言を拒否することはできないものとする。
第N条 国王の継承および代行
- 国王の地位は、長子相続を原則として、法律に定める継承順位に基づき世襲される。
- 国王に事故、死亡、病気その他の理由により職務を遂行できない場合、憲法で定められた摂政または代行者が国王の職務を遂行する。
- 国王の継承及び摂政の任命に関する手続きは法律で詳細に定める。
第N条 国王の免責および責任
- 国王はその国事行為に関して憲法上免責される。
- 国王の行為に起因する政治的責任は内閣が負い、内閣は議会に対して責任を負う。
- 国王個人の行為に関しては、特別な法律の定めがない限り、民事・刑事責任を負わない。
第N条 国王の象徴的役割と社会的責任
- 国王は国家行事、祝典、伝統儀式等において、自由民主主義の発展を促す象徴的な役割を果たす。
- 国王は国民の福祉向上を目的とした慈善活動を積極的に支援し、社会的調和の維持に寄与する。
- 国王は外交において国家の親善大使としての役割を担い、国際親善及び文化交流の促進に努める。
第N条 国王の政治的中立および行為の制限
- 国王は政治的中立を保持し、政治的意見表明、政党活動及び選挙活動に関与してはならない。
- 国王は憲法及び法律に違反する行為をしてはならず、その違反が明らかとなった場合には議会の承認を得て適切な措置が取られる。
- 国王の行為が憲法の枠組みを超える場合には、憲法裁判所がその適法性を審査するものとする。
第N条 国王の解任
- 国王が憲法に著しく違反した場合、または職務を遂行できないと議会が認定した場合、議会は国王の解任を決議することができる。
- 国王の解任決議には、議会総議員の3分の2以上の賛成を要する。
- 解任決議が成立した場合、国王は直ちにその地位を離れ、憲法に定める継承手続きに従い次の国王が即位する。
第N条 国王の対等性
- 王国の国王は、他の主権国家の君主に対し、如何なる優位性も劣位性も有さず、対等な地位に置かれる。
第N章 王国議会
第N条 立法権の所属
- この憲法によって付与される全ての立法権は、上院と下院で構成される王国議会のみに属する。
第N条 議長
- 王国議会は、議長、副議長および書記を選挙する。王国議会は、議事規則を定める。
- 議長は、王国議会の建物内に於ける施設管理権及び警察権を行使する。議長の許諾がなければ、王国議会の構内に於いて如何なる捜索・押収もしてはならない。
第N章 司法
第条
- 司法権は、法律に基づき独立して行使される。
- いかなる権力も裁判所の判決・裁量に干渉することはできない。
- 裁判官は、憲法と法律にのみ拘束され、職務遂行にあたり不当な圧力を受けてはならない。
第N条
- 裁判官の任命は、独立した機関または手続きにより行われ、政治的干渉から保護される。
- 裁判官は正当な理由なくして解任されず、その身分は法律で保障される。
第N条 裁判官の政治的中立
- 裁判官は、政党に加入し、又は政治に関与することができない。
第N条
- 裁判官は、自身の親族又は知人が当事者となる裁判については、参加することができない。
第N条
- 統治行為論は、これを認めない。
第N章 憲法裁判所
第N条 憲法裁判所の設置
- 王国においては、憲法の最高法規性と基本的人権の保障を実効的に確保するために、憲法裁判所を設置する。
- 憲法裁判所は、独立した司法機関として、他のいかなる権力からも拘束を受けず、その判断において中立性・専門性・公開性が保障されなければならない。
第N条 構成
- 憲法裁判所は、9人の判事によって構成され、判事は人格・見識・法的能力において高い評価を受けた者の中から任命される。
- 判事は以下の方法で選出される
- 王国議会により3名を選出
- 大統領により3名を任命
- 最高裁判所により3名任命
任期は9年とし、再任は1度に限って認められる。判事の任期は互いに重複しないよう調整される。
- 判事の免職は、重大な非行、職務怠慢、又は健康上の著しい支障がある場合に限り、憲法裁判所内部の過半数決定及び王国議会の3分の2の同意によって行われる。
第N条 管轄
- 憲法裁判所は、以下の事項に関して専属的権限を有する
- 法律、政令、命令、条例その他の法令が憲法に適合するか否かの審査
- 市民による憲法違反審査請求*14
- 政府・議会・地域圏間の権限争議の解決
- 政党の違憲性審査と、その解散命令の判断
- 憲法改正手続に関する有効性の審査
- 国民投票における違憲審査・執行妥当性の確認
- 国家機関による基本的人権の侵害に関する訴訟
- その他、憲法により特に定められた事項
第N条 違憲審査の効力
- 憲法裁判所が法律その他の法令を違憲と判断した場合、当該法令は原則として無効とされ、その効力は将来に向かって失われる。
- 違憲判決の効力は、当該事件の当事者を超えて、全ての国家機関及び自治体に対して拘束力を持つ。
第N条 提訴資格
- 憲法裁判所に対し訴訟を提起することができるのは、以下の者とする
第N条 公開性及び説明責任
- 憲法裁判所の審理は公開を原則とし、例外は明白な公益上の理由に基づくものに限る。
- 判決は理由を付して公開され、一般市民が理解できる言語での要約の公表が義務付けられる。
第N条 裁判官の独立と保障
- 憲法裁判所判事は、その任期中、任意に解任されず、その職務遂行に関し、外部からの干渉を受けない。
- 判事の報酬は、在任中に減額されることなく、十分な独立性を保持できる水準でなければならない。
第N条 憲法裁判所に属する裁判官の政治的中立
- 憲法裁判所の裁判官が政党に加入し、又は政治に関与することは禁止される。
第N条 手続法の整備
- 憲法裁判所の審査手続、提訴手続、判決の執行に関する詳細は、憲法裁判所法によって定められる。
- この法律は、王国議会によって制定・改正されることを要する。
第N章 選挙管理委員会
第N条
- 選挙及び国民投票の公正な管理及び政党に関する事務を処理するため、選挙管理委員会を置く。
第N条
- 委員は、選挙権を有する者でなくてはならない。
第N条 選挙管理委員の政治的中立
- 委員は、如何なる政治思想及び政治団体に対しても、中立でなくてはならない。
- 委員が、政党を含む政治団体に加入し、又は政治に関与することは、禁止される。
第N条 選挙管理委員の安全
- 委員は、弾劾又は拘禁以上の刑罰の宣告によることなく罷免されず、不当に拘束されない。
第N条 選挙運動
- 選挙運動は、各級選挙管理委員会の管理下に於いて法律が定める範囲内において行われ、均等な機会が保障されねばならない。
第N条
- 選挙に関する経費を政党又は候補者に負担させることは、禁止される。
第N章 経済
第N条 通貨
- 王国の正式な通貨は、ダカットのみとする。
- 但し、グレーター・ステラリス地域圏に於いては、ボーダイ及びゴールドも正式な通貨として使用可能である。
第N条 耕者有地の原則
- 政府は、農地に関する耕者有地の原則が達成できるように努力しなければならず、農地の小作制度は禁止される。
- 農業生産性の向上と農地の合理的な利用のため又は、やむを得ない事情によって発生する場合の農地の賃貸借及び委託経営は、第一項を最大限に尊重した上で法律に定めるところにより認められる。
第N章 外交
第N条 外務
- 外交関係の処理は、王国の管轄事情及び事務である。
第N条 地域圏の外務
- 地域圏は、政府の外交政策を遵守しなければならない。
第N条 条約の領域的適用
第N条
- 王国は、如何なる国との間においても、秘密裏に外交・軍事・経済同盟を結ぶことを禁じる。全ての外交関係は議会による公開の承認を必要とする。
第N条 首長の対等
- あらゆる主権国家の首長は、その首長としての性質によらず、王国の領域内に於いて外交の上で対等且つ平等に扱われる。
第N条 君主の対等
- あらゆる主権国家の君主は、その君主としての性質によらず、王国の領域内に於いて外交の上で対等且つ平等に扱われる。
- これは君主の親族、及び制度上特別な身分を有する者に関しても同様である。
第N条 主権の委譲
- 王国は、世界平和と国際協力のための国際機関に、主権的権利を法律によって委譲することができる。
第N章 少数民族
第N条 少数民族たる要件
- 王国に於いて、先住性及び独立性を有し、種族的、宗教的、言語的に少数の民族集団は、少数民族として定義される。
第N条 少数民族の平等
- 全ての少数民族は一律に平等であり、少数民族間に於いて待遇の格差はあってはならない。
第N条 少数民族の権利
- 少数民族に属する者は、その集団の他の構成員とともに自己の文化を享有し、自己の宗教を信仰しかつ実践し又は自己の言語を使用する権利を有する。
第N条 少数民族に対する政府の責任
- 政府機関は、少数民族の民族集団が独自の言語・文化・社会生活を保全し発展させていけるような環境を整える義務を負う。
第N条 少数民族の不利益の排除
- 少数民族に属する者は、特に少数民族の権利の保障を目的として憲法及び法律で定められた特定地域に於いて、少数民族に属することを理由に不利益を被らない。
- 政府機関は、これらの不利益の排除に努めなければならない。
第N条 少数民族の教育機関
- 全ての少数民族は、宗教・言語・民族に基づくか否かを問わず、自らに選択により教育機関を設立し、運営する権利を有する。
- 政府は、教育機関に対して援助を行う場合、宗教・言語・民族に基づくか否かを問わず、少数民族の管理下にあるという理由で教育機関に対して差別を行ってはならない。
第N条 自治領域の設置
- 政府機関は、少数民族によるその居住地域の自治の促進を目的として、自治領域として自治地域圏及び自治県を設置する。
- 自治領域内に於いても、王国の憲法及び法律は障壁なく適用される。
第N章 憲法改正
第N条
- 憲法は、議会での
第N条 最高法規
- 憲法は、王国の最高法規である。王国は憲法と共にあり、憲法は王国と共にある。
第N条 憲法の法益
- この憲法は、全ての市民の権利・自由の平等な追求を最大の法益とする。この法益を侵害する内容を含む如何なる条文の追加・変更も、認められない。
第N条 領域的適用
- この憲法は、王国の全ての領域に於いて、例外を除いて障壁無く適用される。
- 例外は、憲法で明記されている場合に限り認められる。
第N条 権威に対する優越
- この憲法は、王国の領域内に於いて、国内外のあらゆる世俗的・宗教的権威を超越する。
第N条 憲法の公開
- この憲法は、如何なる場合であっても公開されなければならず、一切の秘匿は認められない。
第N条 憲法の翻訳
- この憲法は、特にその翻訳の必要があると見做された言語に、翻訳されなければならない。
第N条 法の分離
- 法の一つの条文が関連しない二つ以上の事項を包括して定めることは、原則として制限されなければならない。
第N条 憲法の解釈に対する制限
- この憲法のいかなる規定も、国家、集団又は個人が、この憲法で認められた権利及び自由の享受は行動を制限し、又はこの憲法で規定されている範囲を超えて権利及び自由を制限できるように解釈されてはならない。
- この憲法のいかなる規定も、いずれかの法律又は、王国が締結しているいずれかの条約によって認められている権利又は自由の行使を、制限できるように解釈されてはならない。
- この憲法のいかなる規定も、人間の人格に固有の、又は政治形態としての代表民主主義から派生するその他の権利又は保障を排除できるように解釈されてはならない。
- この憲法のいかなる規定も、人権宣言及び同様の性質の他の国際行為が及ぼす影響を排除又は制限できるように解釈されてはならない。
刑罰
死刑制度
アズキニア王国はあらゆる形での死刑制度を禁止している。法源は憲法第N条である。以下に条文を示す。
死刑すなわち生命刑は、絶対に禁止とする。 死刑と同様の目的及び趣旨によって行われ、死を恣意的に誘発する可能性のある刑罰も、同様に禁止とする。
政府は、死刑廃止の理由として以下のような根拠を挙げている。
- 冤罪の可能性
犯罪者の死刑に至るまでの逮捕・起訴・裁判・執行のいずれも人間の判断に委ねられる以上、どんな低確率であろうと誤判が生じ得る事は否定できない。確かに誤判が生じるのは死刑以外にも言える事だが、生命は不可逆的であり、身体的自由はある程度の可逆性を有している。誤判の可能性はないとされる現行犯の重大犯罪者に対しては、冤罪の可能性がないので死刑を適用する事は可能だとする主張も存在する。しかしながら、仮に現行犯にのみ死刑を適用するのだとしても、重大犯罪に於いて、現行犯かどうかという付加価値が生まれることになる。当然これは裁判の平等性を根本的に侵害し得るので、現行犯にのみ死刑を科する事も不可能である。 - 犯罪被害者の心情
そもそも、全ての重大犯罪における犯罪被害者の心情を普遍化することは不可能であるため、被害者の心情に応えるためという論理は通用しない。また、死刑になりうるような重大犯罪のみ被害者の心情を酌量するならば、公平性の観点から全ての量刑判断に於いて被害者の心情を酌量しなければならない。そうすると公平であるはずの裁判が被害者の心情に大きく偏ることとなり、当然これは裁判制度を破綻させるので、被害者の心情の酌量は死刑を行う理由となり得ない。 - 犯罪抑止力
現状、死刑の有無による犯罪への抑止力効果の変化の対照実験を行った事例が存在せず、恐らく半永久的にその検証は不可能であるので、死刑の有効性を示す科学的検知に基づいた根拠は存在し得ない。また、そもそも死刑のもたらす苦痛と長期の拘束・強制労働がもたらす苦痛を比べることは客観的に不可能であるため、死刑が他の刑罰に比べて苦痛を伴うからという理由でも、苦痛が軽減されるからという理由でも、死刑を行うことはできない。 - 特別予防論
前提として、全ての刑罰は犯罪者の更生と社会復帰を目的とすべきである。死刑は言うまでもなく犯罪者に更生と社会復帰の機会を一切与えないため、刑罰の目的の観点から見て死刑は行われるべきではない。 - 人権
生命の維持は人間の有する最も普遍的な権利であり、いくら重大事件を起こした犯罪者であったとしても、国家が人を殺すことは不可能である。また、身体刑が禁止されているなら、死刑もできるはずがない。
首都
王政首都のシュマリ、経済首都のステラリス、立法首都のイドリュス、行政首都のメクトフォール、司法首都のオーズデンの五つの都市に首都分かれており、それぞれが異なる役割を果たしている。それぞれ王宮並びに王立図書館、中央銀行並びに世界貿易センター、王国議会上院並びに王立議会下院、大統領官邸並びに中央省庁、最高裁判所並びに憲法裁判所が置かれている。
分散されているのは、権力の集中を防ぎ政治と経済を分離するためである。また、ステラリスの過密の緩和のために、中央省庁の移転により人口を他都市に分散させることも目的である。しかしながら、首都分散の効果を差し引いても依然としてステラリスへの人口集中は甚だしく、同都市はアズキニアのプライメイトシティと見做されている。
2020年から2024年まではステラリスでの混乱に伴ってメクトフォールが臨時経済首都に指定され、行政首都と経済首都が同都市に置かれるという状況が続いた。この間は財界の有力者と政治の結びつきが問題視され、首都を分散する効果が疑問視されていた。
最初に「アズキニア」を形成した太古の国家に於いてはティアナスファが首都であり、同時にアズキニア史に登場する最初の都市でもあった。その後、レヴァン川・ロースラ川の再接近地点に位置し、河川交易で大きく発展したシュマリに国王が移ったことで、同都市が1000年以上に渡って長らく単一の首都としてあり続けることとなった。しかし航海技術の発展による海上貿易の活発化と国土回復運動の完遂により、内陸に位置し海上貿易に不利なシュマリに変わって、レヴァン川河口部に位置し海上貿易に有利なステラリスが経済力や人口に於いて首位都市となったことで、ステラリスに政治機能が移転され始め、xxxx年にはシュマリで火災による損害に伴って王国議会がステラリスに移転することになった。だがこの時、国王は伝統ある歴史都市シュマリに残ることを決断。これが現在採用されている複数首都制度の原点である。また、ミュー川中流に位置するメクトフォールは近世中期に新しく建造された都市だったが、現在は行政首都になるまでに発展を遂げた。同様に過密の緩和と分権化、政経分離を目的として、ストレアス半島の付け根のロースラ川下流に位置する都市イドリュスと、チュウナゴン島南西部のアフラ川河口に位置し同島の最大都市であるオーズデンに、立法権と裁判権がそれぞれ委譲され、五首都制が確立した。
大統領
現在は人民戦線より選出。
選挙制度
アズキニアの王国議会選挙では、小選挙区比例代表併用制*17を採用している。選挙区ごとに候補者を選出する方法と政党の得票数に応じて議席を割り当てる方法を組み合わせることで、選挙結果をより比例的に反映させることが目的である。選挙には第1票と第2票があり、全体で500人が選出される。
第1票では、全国に設けられた250の選挙区から、各選挙区ごとに候補者が立候補する。選挙区内の有権者は自分が住む地域の候補者に投票し、各選挙区で最も得票数が多かった候補者が当選する。選挙区ごとの議席割り当ては特別なケースを除いて1議席であり、地域代表としての役割が強調される。
第2票ではそれぞれの政党に対して投票が行われ、その得票数に応じて500席の議席の中から各党に比例代表議席がそれぞれ配分される。
アズキニアでは比例代表議席の配分にドント方式を採用しており、各政党は第2票の得票数に基づいて比例代表議席を配分されるが、小選挙区での議席獲得数を反映して比例配分を調整するための工夫が施されている。
かつては、小選挙区の当選者数が比例代表の獲得議席数を上回った場合、超過分も超過議席と呼ばれる追加議席として認められていたために選挙での確定議席数が定数よりも多くなることがほとんどであり、大政党に若干有利となっていた。しかし、2000年6月に成立した改正選挙法によって超過議席は廃止され、議席数は500議席に固定されることとなった。
ただし、議席阻止条項の換算に含まれない海外地域圏・海外県からの選出枠として12枠が追加で議会に入るため、実質的には512議席である。
政党制は、穏健多党制を維持している。
少数政党の乱立による分局的多党制の防止と議会政治の安定のために導入された議席阻止条項により、政党別投票の全国得票率が3%未満の政党は議席を与えられない。
ただし、少数民族などのマイノリティの政治参加が阻害される恐れがあることから、少数民族政党には阻止条項を適用していない。
主な政党
伝統的に左派の影響が強く、左派の社会民主党と中道の自由党がそれぞれイデオロギーが似通った政党と連合して勢力を拮抗させる状況が続いてきた。しかし、近年は緑色党の勢力拡大や極右・極左政党の議会進出によって、両党ともに議会で単独過半数を取るのが難しくなった。そのため社会民主党は人民戦線戦術を採用し、それまで半対立関係にあった共産党やその他泡沫左派政党と連合して、新たに左翼連合として人民戦線を形成した。また、自由党も社会民主党に対抗すべくそれまでの孤立的方針を緩和し、政治方針の近い他党を吸収合併する形で中道連合として自由市民連合を結党した。
現在王国議会に議席を持つ政党の中で最も歴史が古い党はアズキニア共産党である。
1990年代以降から環境政党である緑色党が党勢を拡大させおり、現在は野党第二党の座を手に入れている。
これらの政党及び連合は基本的に手を組むことはなく、特に社会民主党と自由党の関係は水と油なのだが、経済や外交での仔細の相違こそあれど自由民主主義の発展という基本方針は一致している。実際にガーベラ革命では、一部の極右・極左政党を除く多くの政党が自由と民主主義の防衛を目的に、呉越同舟して軍部に対抗した。
| 総議席数 | 500+12席 | |
|---|---|---|
| 人民戦線 | 社会民主党 | 158席 |
| 共産党 | 43席 | |
| 自由連合 | 134席 | |
| 緑色党 | 83席 | |
| 民族復興党 | 21席 | |
| 急進党 | 19席 | |
| 中道党 | 18席 | |
| 西部党 | 26席 | |
人民戦線は合わせて250席を超える議席数を有し、議会内で強い影響力を持っているものの、単独で過半数には達していない。
自由連合は130席を有しており、他党との連携を進めることで影響力を発揮している。特に政策が一致した場合には、緑色党や人民戦線との協力も積極的に行なっている
緑色党は70席を持ち、環境問題を主軸にした政策で一定の支持を集めている。選挙後の連携次第で、与党や野党との協力を選択する。
民族復興党や急進党は少数派であり、議会内での影響力は限定的だが、極端な立場からの発言力が存在する。
- アズキニア社会民主党
イデオロギー: 自由民主主義、社会民主主義、福祉国家、労働者の権利
概要: data-tippy-theme="light" data-tippy-interactive="true" data-tippy-allowHTML="true" data-tippy-content="貿易と観光の王国<br class="spacer">閲覧者数世界一!">アズキニア王国の伝統的な左派政党で、平等と福祉の充実を目指している。近年、議会での単独過半数を確保することが難しくなり、共産党やその他左派政党と連携して人民戦線を形成し、与党としての位置を確保している。経済政策では高福祉政策、労働者の権利保護、再分配政策を強調する。共産党との連携を強化しているが、その中で社会民主主義の理念を中心に据えており、社会主義への過激な転換には反対している。
政策:
高福祉政策の強化(教育や医療の充実など)、労働者権利の拡充と賃金上昇、環境保護と再生可能エネルギー政策、所得再分配と格差是正
- アズキニア自由連合
イデオロギー: 自由民主主義、社会自由主義、市民自由、経済的自由
19世紀に起源を持つ歴史ある政党。大きな政府、高福祉高負担を指向する。
- アズキニア共産党
イデオロギー: 穏健的社会主義
概要:左派政党。大規模な社会改革と評議会制共産主義の実現により、格差により分断された国民全員の真の平等の実現を目指す。人民戦線の中では社会民主党に次ぐ中核政党である。かつては伝統的なマルクス主義に基づく社会主義革命を目指していたが、社会民主党との連携を深める中で人民戦線戦術を採用し、社会民主主義的な方針に妥協的な立場を取るように方針転換した。これに反発する党内の極左勢力が分裂して新たな党を形成したが、それでも共産党は社会民主党と協力して人民戦線を形成するする方向に舵を切った。そのため共産党と言っても他国のそれよりも中道寄りで穏健だが、同時に右派修正主義的との批判を受けている。
政策:資本主義の排除と社会主義経済への移行,労働者の管理による工場・企業運営
- アズキニア緑色党
イデオロギー: 環境主義、エコロジー、持続可能な発展
概要: 環境問題に強い関心を持つ政党。近年その勢力を急速に拡大し、現在は野党第二党として重要な役割を果たしている。特に気候変動対策と再生可能エネルギーの推進を最重要課題としており、環境に配慮した社会経済への転換を提唱している。人民戦線や自由連合などの大政党と政策が一致した場合には、一部で協力することもある。環境保護を最優先目標としているため他の政党との連携には柔軟性があり、与党・野党を問わず一定の影響力を持つ。
政策:気候変動対策の強化、再生可能エネルギーの普及と化石燃料依存からの脱却、環境に優しいインフラ整備、生物多様性の保護と自然保護区域の拡充
- アズキニア急進党
- アズキニア民族復興党
極右政党。カンブリカ大陸の全領土の占領などの植民地拡大で強大な勢力圏を作り上げ、閉鎖経済と搾取により経済を躍進させて余った金を軍事費に費やすことで、さらに植民地を広げてかつての栄光を取り戻すことを主な目標としている。ナゴン人以外の民族のアズキニアからの排除や非人間の絶滅なども目指している。言わずもがな大アズキニア主義。活動もかなり過激であるためほとんど人気はない。
- 投票倶楽部
政治は全て国民投票のみで決めらるべきだと主張する政党。直接民主主義を異常なほどに神聖視している。政策の斬新さが人気を博している。一部の知識人などによって支持されているが、ほとんど勢いがない。
- アヴァンギャルド・アズキニア
超過激派の加速主義政党。新古典主義を否定しており、歴史の抹消を目指す。現在議席なし。とある勢力と繋がっているという噂がある。
- アズキニア中道党
イデオロギー: 中道、妥協的政策、合意形成
概要: 中道的立場を取る政党で、極端な政策には反対し、議会内での妥協を重視している。社会民主党や自由連合の政策を両立させ、現実的な政策の実現を目指している。緑色党や極左勢力にも一定の協力をしており、各党との連携を進めている。議席数こそ少ないものの議会でのバランサーとしての役割を担っており、現在の政治に欠かせない存在となっている。
政策:様々な党派間での協力と妥協、自由市場と社会保障のバランス、環境政策と経済成長の折衷、穏健的多党制の維持
政治制度
本国 *18
| 権力構造 | 経済 | 人権 | |||
|---|---|---|---|---|---|
| 政府の原則 | 君主制 | 経済システム | 干渉主義 | 言論の自由 | 集会の権利 |
| 権力の配分 | 寡頭制 | 貿易政策 | 自由貿易 | 労働者の権利 | 規制機関 |
| 市民権 | 多文化主義 | 税制 | 比例課税 | 子供の権利 | 小学校義務教育 |
| 教会と国家 | 完全分離 | 農地改革 | 商業的農業 | 女性の権利 | 女性参政権 |
| 官僚制 | 世襲制の官僚 | 植民地化 | 本国のためなし | 福祉 | 救貧法 |
| 軍の体制 | 職業軍人 | 警察活動 | 専門的な警察機構 | 移住 | 移住規制なし |
| 国内治安 | 国家警備 | 教育システム | 公共学校 | 奴隷制 | 遺産奴隷制 |
| 医療制度 | 民間健康保険 | ||||
リガルフィア
| 権力構造 | 経済 | 人権 | |||
|---|---|---|---|---|---|
| 政府の原則 | 君主制 | 経済システム | 農本主義 | 言論の自由 | 検閲 |
| 権力の配分 | 専制政治 | 貿易政策 | 保護主義 | 労働者の権利 | 規制機関 |
| 市民権 | 文化的排斥 | 税制 | 人頭税 | 子供の権利 | 児童労働の制限 |
| 教会と国家 | 完全分離 | 農地改革 | 小作制 | 女性の権利 | 女性の職場進出 |
| 官僚制 | 世襲制の官僚 | 植民地化 | 植民地再定住 | 福祉 | 救貧法 |
| 軍の体制 | 国民民兵 | 警察活動 | 専門的な警察機構 | 移住 | 移住規制 |
| 国内治安 | 国家警備 | 教育システム | 民間学校 | 奴隷制 | 遺産奴隷制 |
| 医療制度 | 慈善病院 | ||||
コールドランド
本国より若干先進的な法律。ただし、それ以上に気候が厳しいので住民は少ない。
| 権力構造 | 経済 | 人権 | |||
|---|---|---|---|---|---|
| 政府の原則 | 大統領共和制 | 経済システム | 干渉主義 | 言論の自由 | 言論の保護 |
| 権力の配分 | 長老評議会 | 貿易政策 | 保護主義 | 労働者の権利 | 労働者の保護 |
| 市民権 | 多文化主義 | 税制 | 比例課税 | 子供の権利 | 小学校義務教育 |
| 教会と国家 | 完全分離 | 農地改革 | 入植 | 女性の権利 | 女性参政権 |
| 官僚制 | 選挙制の官僚 | 植民地化 | 植民地再定住 | 福祉 | 賃金助成 |
| 軍の体制 | 職業軍人 | 警察活動 | 専門的な警察機構 | 移住 | 国境閉鎖 |
| 国内治安 | 国家警備 | 教育システム | 公共学校 | 奴隷制 | 奴隷廃止 |
| 医療制度 | 民間健康保険 | ||||
西オメガ
酷い制度
| 権力構造 | 経済 | 人権 | |||
|---|---|---|---|---|---|
| 政府の原則 | 大統領共和制 | 経済システム | 産業禁止 | 言論の自由 | 異議の禁止 |
| 権力の配分 | 専制政治 | 貿易政策 | 重商主義 | 労働者の権利 | 労働基本権の無保障 |
| 市民権 | 民族国家 | 税制 | 消費ベース課税 | 子供の権利 | 児童労働許可 |
| 教会と国家 | 良心の自由 | 農地改革 | 農奴制 | 女性の権利 | 法的被後見 |
| 官僚制 | 世襲制の官僚 | 植民地化 | 植民地搾取 | 福祉 | 社会保障なし |
| 軍の体制 | 農民召集兵 | 警察活動 | 警察なし | 移住 | 移住規制 |
| 国内治安 | 秘密警察 | 教育システム | 学校なし | 奴隷制 | 奴隷貿易 |
| 医療制度 | 医療制度なし | ||||
北フリーステート連邦
バラバラ!
ナラキア
| 権力構造 | 経済 | 人権 | |||
|---|---|---|---|---|---|
| 政府の原則 | 大統領共和制 | 経済システム | 干渉主義 | 言論の自由 | 言論の保護 |
| 権力の配分 | 長老評議会 | 貿易政策 | 保護主義 | 労働者の権利 | 労働者の保護 |
| 市民権 | 多文化主義 | 税制 | 比例課税 | 子供の権利 | 小学校義務教育 |
| 教会と国家 | 完全分離 | 農地改革 | 入植 | 女性の権利 | 女性参政権 |
| 官僚制 | 選挙制の官僚 | 植民地化 | 植民地再定住 | 福祉 | 賃金助成 |
| 軍の体制 | 国民民兵 | 警察活動 | 専門的な警察機構 | 移住 | 移住規制 |
| 国内治安 | 国家警備 | 教育システム | 公共学校 | 奴隷制 | 債務奴隷 |
| 医療制度 | 民間健康保険 | ||||
ケタスグルク
| 権力構造 | 経済 | 人権 | |||
|---|---|---|---|---|---|
| 政府の原則 | 大統領共和制 | 経済システム | 農本主義 | 言論の自由 | 集会の権利 |
| 権力の配分 | 専制政治 | 貿易政策 | 保護主義 | 労働者の権利 | 労働基本権の無保障 |
| 市民権 | 人種隔離 | 税制 | 人頭課税 | 子供の権利 | 小学校義務教育 |
| 教会と国家 | 良心の自由 | 農地改革 | 小作農 | 女性の権利 | 女性の職場進出 |
| 官僚制 | 任命制の官僚 | 植民地化 | 植民地搾取 | 福祉 | 賃金助成 |
| 軍の体制 | 農民召集兵 | 警察活動 | 地方警察 | 移住 | 移住規制なし |
| 国内治安 | 治安維持なし | 教育システム | 民間学校 | 奴隷制 | 遺産奴隷制 |
| 医療制度 | 慈善病院 | ||||
国民
現在アズキニア王国は、辺境を中心に多くの多民族を抱え、移民や難民も少なからず来訪する。そうした理由でアズキニア王国は多民族国家のため文化と法律は、国籍を人種や民族と同視するのではなくアズキニア王国市民権と永続的忠誠と同視する。またアズキニア王国では、どのでも本質的には平等という考えに基づき種族を理由とした差別は禁止されている*19。しかし経済的な不平等は未だ残り、テープコナル系アズキニア人の平均所得はマトリア系アズキニア人の3分の2ほどである。また、植民地のアズキニア王国領リガルフィアやアズキニア王国領西オメガでは使い捨ての農民や労働力として半奴隷的な扱いを受けている。
国籍取得条件は血統主義に近いが、ある程度の条件を満たせば親のいずれかがアズキニア国籍保持者でなくとも国籍を取得できるような制度となっている。
国民性
極度に個人主義的なため「国民性」と呼ばれるものが一切存在しない。愛国心も皆無に等しく、アズキニア国民に言わせれば「国家の為に死ぬなんてアホらしい。誰が支配しようが生きれれば十分。」らしい。同様に国民性なんて素人の誤謬や勘違い、決め付けによるステレオタイプに過ぎないと考えているので、他国民に対して偏見を持って接する事も少ない。のんびりしている人も居れば、せかせかしている人も居る。温和な人も居れば、冷淡な人も居る。理論的な人も居れば、感情的な人も居る。「アズキニア人は〇〇である」とか決めつけるのは愚かでくだらなく、惨めなことである。
種族政策
民族政策
昔はアズキニアと呼ばれる領域は今よりずっと狭く、国内には民族問題はほとんど存在しなかったが、ジラント家を王に頂くアズキニアがその長い歴史の中で版図を拡大し他系統の民族を領域に抱え込むようになると民族問題が発生するようになった。当初弾圧政策や絶滅政策をとっていたが、かえって抵抗を招いてしまい他民族の排除政策は失敗に終わった。そこでアズキニアは辺境部の多民族に対しインターカルチュラリズム政策を取り、同化主義とも多文化主義とも異なる政策を展開するようになる。同化主義は統合の推進という面では優れているがそれは被統合者からの大きな反発を生む。しかし、多文化主義は多くの異なるアイデンティティが共存するのには適しているが、国民としての連帯感を保つのは難しい。そこでインターカルチュラリズム政策は多様性を認識しつつ共通のものにも焦点をあて、自由で民主的な基本秩序の尊重、憲法への忠誠、人道主義、文化的寛容、意見の多様性、平和の希求、公用語の7項目を移民を含めたすべての人々が尊重すべき「共通の価値」と位置付けている。それによって少数派のアイデンティティを保ちながらも、アズキニア社会に統合し共通の帰属意識を育むことが可能となっている。つまりは社会の基本的なルールや根源的な価値を守るのであれば、多様性が確保されるということで、それは多様性は豊かさの源であり社会に彩りを与えうると言う考えに基づく。文化主義と異なるのはあくまでアズキニアへの帰属意識を中心としつつ文化の多様性を認めている点であり、同化主義と異なるのは、あくまで求めるのはアズキニア社会への統合であってアイデンティティの抹消ではないということである。多様派と少数派の関係に最も重点を置いた考え方であると言われ、アズキニア王国が長い歴史をもとに培ってきた最善の統合方法である。アズキニアにおける数少ない成功政策であると言われている。
但し、インターカルチュラリズム政策は代々国内に住む多民族への政策という面が強く、近年増加しつつある遠方からの移民への政策ではない。移民はアズキニア語を最低限行えるほどであれば入国が可能なので、移民の数は比較的多く多くの文化や風習を持ち込んでいる。現状この制度によってアズキニアは安定を維持しているが、アズキニア社会に同化しない移民はアズキニアにおいての問題となりつつある。
治安
銃規制
アズキニアの銃規制はかなり厳しく、銃の脅威からどのように公共の安全を保障することができるか、そしてどのように銃による死傷事件を防げるかという観点に主眼を置いた内容となっている。
アズキニアには銃所持に関して強力な圧力団体が存在しないため、銃規制賛成派と反対派による活発な議論もなく、アズキニアの銃規制は世界でもかなり厳しい部類である。
民間での拳銃の所持は全面的に禁止されている。競技射撃と狩猟の用途限定の厳格な許可制の下で、長銃のみ所持が許容されている。
ただし、アズキニアでは全土で銃の所持が禁止されているが、銃の製造・売買についてはステラリス湾に位置するオークウェー島でのみ許可されている。また、銃がオークウェー島以外の地域に持ち込まれるのを防ぐために、一本の橋でのみステラリスと接続されており、設置された検問を通過した車両のみが出入りできるようになっている。また、船舶及び航空機での出入りは堅く禁止されている。生産された銃は政府による監視のもとステラリスの輸出港に直接運ばれ、世界各国に輸出されていく。国内の別の港に向かう船への積載は当然禁止されており、一度国外に出航した船が戻ることも難破などの不慮の事態を除いてなく、銃の売買は厳格に管理されている。
ただし、アズキニアは輸出には向いていても工業製品の生産に向いていないので、ハヴェル・ヤカール・カンパニーのようなオーダーメイドの方式を取るような少数の企業しか生産施設を置いておらず、利用規模は限定的である。
売買が厳格に管理されていることに加えて製造拠点を置く企業が限られることも相まって、銃が都市部に流出することはかなり少ないが、それでも年に数丁ほど流出が確認されている。直接の流出が確認された企業には罰則を設けるなどの対策も取られているが、それでもゼロにはなっていない。
レヴァン川の河口に位置するステラリスとその周辺地域はグレーター・ステラリス地域圏に含まれ、レヴァン川河口から広がるステラリス湾に位置する島々の多くも例外ではないが、唯一オークウェー島だけはどこの地域圏にも属さず政府直轄地域となっている。アズキニアの銃の製造・売買の禁止に関する法律は、各地域圏に適用され、政府直轄地域には適用されない。そのため、当然ながら政府直轄地に銃の製造・売買の禁止を適用する法律があるのだが、そこにオークウェー島はリストアップされていないのである。そのため、オークウェー島には銃の製造・売買の禁止が適用されず、銃の製造・販売が事実上黙認されているのである。政府は原則として銃規制に賛成であり表向きに銃の製造を公認することができないため、このような形式を取らざるをえないのである。
インフラ
水道
アズキニア王国は乾燥地帯が殆どを占めるアズレーンなどを除いて、国土の大部分で十分な水資源が存在する。地域差は少なからずあるものの、一部を除いたほぼ全域で人間の生息に必要な量の水を確保できる。ただし、人口が集中しており水不足に陥りやすいミニア平原やレディア盆地などでは、ロード山脈西部山系以西に降った雨を地下水路で運び込んで一定の降水量を確保している。また熱帯ほど顕著でないものの、僅かに雨季と乾季と呼べるほどの降水量の違いは特にシャルケー半島北海岸や北海諸島で存在する。そのためそういった地域では昔からため池が作られ、灌漑が行われてきたりした。山地に降った雨や雪が川となって平原に流れ出し、一億人を超えるアズキニア人の喉を潤している。
西アズキニアはほとんどがナゴン諸島が占めることから水道整備は進んでおり、中央平原ではほとんどの国民が水道水を利用できる。一方で東アズキニアは多島海の上に幾多もの島が浮かぶ地形であるため、水道整備にもコストがかかるという理由で有人島の約4分の1には水道が通っていない。それらの島に住む人々は島嶼部の豊富な水量を活かして、昔ながらのため池などに水を溜めて生活している。近年では主要な有人島から、一部の過疎が進行している離島に船舶を通して水を供給するなどの取り組みが行なわれている。
先述の通り、アズキニアではほぼ全土で十分な降水があるため、生活水の確保を比較的容易に行うことができるが、例外的にアズレーンでは西から吹き付ける恒常風と山岳地形による乾燥により、水の安定的な確保・供給が難しい。比較的降水に恵まれた沿岸部であっても降水量はアズキニア全体の平均の半分に満たず、内陸部では季節によっては全く雨が降らない。アズレーンでは内陸部の化石水による帯水層から水を汲み上げて沿岸部の都市部へと供給しており、比較的不安定な降水量による突発的な水不足へと対処している。また、アズレーン内陸では主にオアシスやカレーズと呼ばれる水理施設を用いた伝統的な方法によって内陸部の村落へと水の供給が行われている。近年では、ラファ砂漠の帯水層からパイプラインを用い都市部まで水を引き、生活用水や農業用水として利用している。しかし、ラファ帯水層と呼ばれるラファ砂漠地下の水層は、現在の乾燥した気候条件下では回復が不可能であり、長期的な水資源の確保が困難であることが問題視されている。
電気
本土では火力発電が中心である。石油や天然ガスを燃料としている発電所は少なく、未だに石炭を使って発電している。地球温暖化や大気汚染などの環境への深刻な影響が懸念されているが、石炭が安価であることから現在でも石炭火力発電が主流である。
昔はレヴァン川上流での水力発電が大変盛んだったが、現在は観光事業における景観保護の観点と交通の妨げになることから全て取り壊されている。それでも山奥には多くのダムが残り、特に傾斜が激しく降水量が多いロード山脈に全体の78%が集中している。ただし、それでもアズキニア本土全体の電力の16%を供給しているに過ぎない。現在は観光資源と自然環境の保護の観点から、特にアズキニア列島を中心にダムの新設は行われておらず、既存のダムも撤去が進みつつある。
また、トレアス半島やロード山脈西山麓、ラプラス山脈東山麓では一年を通して比較的強い卓越風が吹くため山地での風力発電が盛ん。マトリア海に於いても、両海峡によって外洋と比較的隔離されていて波が穏やかであり、海底も浅くなだらかであるという特徴を活かして、洋上風力発電所が多数建設されている。生み出された電力は、主にステラリスを始めとするマトリア海沿海諸都市に供給されている。
原子力発電所はシェイエロー諸島、ポラリス諸島の離島部などに存在し、主要部に電力を供給している。
交通
鉄道
西のリエートからシュマリ、メクトフォール、ステラリスなどの主要都市を経由して、東のシューローリンゲンに至る高速横断鉄道が通っている。
アズキニア王国は島国なので、ダイナゴン島以外は鉄道は少ない。ただ、いくつかの『ライン』と呼ばれる高速鉄道がある。島々を超えて繋ぐラインも多く、アズキニアの陸上輸送において大きな役割を果たしている。
水路・運河
アズキニア王国は中央の内海を挟んで、東に豊かな多島海、西に農業の基盤となる平原があり、古くから大陸との交流も盛んだったことから海上輸送が大変盛んである。特にラミダス・アルトー海峡に挟まれたマトリア海西海岸は西アズキニアの主要交通網であるレヴァン側が注いでいる上に平野が広がり開発が容易だったこともあって古代から富がとても集中しており世界で交易品が集中し富が集まる地域である。民間の輸送船保有数は世界トップクラスで、船への税金も大変安い。運河や港などの水上輸送の施設が多く、特にステラリス港は世界有数の貿易額を誇る港である。
アズキニアの水運をレヴァン川無しに語ることはできない。レヴァン川はアズキニアで長さが最長且つ流域面積最大の河川であり、ローフェルドに於いては尾根より東側は沿岸に沿うように急峻な山地が位置し水はほとんどが川を通ってザカンテスへと流れ出し、対照的に西側は比較的なだらかなので河川は東から西に流れて海に注ぐ短い河川が多く分布している。
海港
空
世界で最も国交を結んでいる国が多いため、地域的なハブとして存在する。
旅客一人あたりの輸送エネルギー消費量の観点で見ても航空機より高速鉄道の方が効率が良く、中央平原内での移動に航空機が使われる事自体が相対的に少ない。国内線の運用はアズレーンやシャルケーなどの遠隔地からの中央平原への移動や、ポラリス諸島やエステル諸島などの離島地方での島同士の接続のための利用に留まる。
環境交通法の制定により、鉄道で2時間以内に移動できる区間における国内航空路線の運航は禁止されている。温室効果ガスの排出や光化学スモッグの発生を抑制し大気汚染を軽減することが目的である。ただし、特に中央平原などの都市部で先述の通り国内線の本数自体が多くないことも相まって、現状この規制の影響を受けるのはグレーター・ステラリス空港からメクトフォール、アルトー、イドリュスを結ぶ3路線のみであり、環境問題への積極的な取り組みの強調のための象徴的な意味合いが強いと見られている。
地理
本項では主に所謂「アズキニア王国本土」の地理を概説する。太泉洋やカンブリカ大陸などにもアズキニア王国の領土があるが、本項では解説せず各ページの地理の項目で解説する。特にことわらない限り、以後「アズキニア」と表記される場合は地理的なアズキニア本土を指すこととする。
アズキニアの定義については複数存在し、歴史的、政治的、地理的などのどのような視点で見るかによって大きく変化するが、ここでは地理的なアズキニアの定義を採用する。具体的に言えば、植民地は勿論、コールドランド島などのアズキニア系住民が人口の多くを占める海外領土についても定義に含まず、純粋に東クロイシアからシャルケー半島に至るまでのアズキニア王国の主権が及ぶ地域をアズキニアとして定義する。歴史的経緯や地理的な区分のしやすさから南クロイシアの地理は南YouTuber連邦の地理、シャルケー半島の地理はオデシア王国の地理に含めるべきだという説も存在するが、人文地理の解説時に問題が伴うためここではアズキニアの地理に含めて解説する。但し、世界的な自然地理学の研究の場では、地理的な区分のしやすさから両地域はアズキニアに含められないことが殆どであるため留意が必要である。また、両地域は後述する「アズキニア列島」には地理的に含まれない。
アズキニアでは、高地の連続体を表現するのに「山脈」と「山地」の二種類の語が使用される。両者の地理上の関係については、同格若しくは山脈の方が上位であり、山地の方が上位になることはない。アズキニアの地理を読み解く手がかりとしてほしい。
概要
ナゴン諸島はダイナゴン島、チュウナゴン島、ショウナゴン島の3つの主要な島と周辺に分布する小島の集合から成る。主要三島はナゴン諸島の面積の98.3%、人口の99.2%を占めており、主要三島への大変集中している事が分かる。
主要三島の名前はそれぞれ『母なるダイネフェ山の地』、『母なるチュカネキア山の地』、『母なるショールレーム山の地』というのが語源である。これらの山はアズキニア神話にも登場する三聖山として特に有名な山であり、後世の研究から実際にそれぞれの島の最高峰を指しているわけではないことが分かっているが、それぞれ現在存在するどの山を指しているのかは詳しく分かっていない。ところで膨大語では『ダイ』は大きいこと、『チュウ』は中くらいであること、『ショウ』は小さいことを意味し、これが奇しくも主要三島の面積の序列と対応しているため膨大陸文化圏の影響を受けて付けられた名前だと勘違いされる事が多いが、実は全く関係がない。現在では信仰は廃れてしまっていて、有名な観光地となっている。
ナゴン諸島では大陸の高気圧の影響により、年中北西の中漠海から風が恒常的に吹いてくる。これをアズキニアではロヴァニエミ*20と呼ぶ。それが偏西風と相まって特に北西部では風が強い。水蒸気を多く含んだ北西風がロード山脈にぶつかるため、西部は降水量が年中を通して特に多い。また大泉洋では冬に低気圧が発生し夏に高気圧が発生するため、冬の方が夏より降水量が大幅に多くなる。気温もコールドランド海域の影響で東側よりも低く雨が雪となって降るため、ルインフェルドは世界でも有数の豪雪地帯となっている。当然ながらアズレーンでは東のラプラス山脈及び山岳地帯を卓越して吹いてくる風であるため、非常に暖かく乾燥した風であり、寧ろアズレーン沿岸部に乾燥をもたらす要因となりうる。
東部は西ロード山脈を超えて乾いた卓越風が強く吹き付けるため、降水量が少ない。しかしながら大泉洋から西向きに中央平原の海岸を流れる暖流が上昇気流を発生させて、卓越風による下降気流の効果を弱めるため、東部は西部に比べて少ないものの年中一定して降水量がある。国土の西側は主にナゴン諸島に属するダイナゴン島が占め、特にその東部はマトリア海?を隔ててチュウナゴン島とほぼ一体化していて広大な中央平原を形成している。ティタン海峡を隔てて西にクロイシアがある。
東側は多島海でアントガール海?を囲むように島々や半島が位置する。シェイエロー諸島やポラリス諸島は丘陵や山地の割合が多く、人々は海岸沿いの平野や僅かに形成された内陸部の台地や盆地に集住している。山がちなのは、かなり昔に起こった造山運動によって形成された険しい山地が、造山運動が沈静化した現在でも完全に侵食や風化による準平原の形成作用でなだらかになりきっていないからである。
バイオームは国土全体で針葉樹林、夏緑樹林、照葉樹林、雨緑樹林、ステップ、砂漠、亜熱帯多雨林の7つが見られる。ステップと砂漠はアズレーン、亜熱帯多雨林は北アズレーン、針葉樹林はロード山脈及びシャルケー半島高地地方の固有のバイオームで、それ以外のバイオームはアズキニア列島を中心に年平均気温と年降水量の影響を受けて水平分布を形成しつつ、国土全体に幅広く分布している。一般的な傾向としては北から南下するにつれて夏緑樹林、照葉樹林、雨緑樹林と変遷する。
生物相の境界線が位置し、それぞれ発見者の名前にちなんでアッパー線、レーリヨン線、フィクトロム線、プレリオ線と呼ばれている。
位置・領土
大泉洋の最南部に位置し、全体的に東西に長く弧状列島を形成している。アズキニア列島は細かな島嶼部などを除けば全体的にステラリスから見て西部地域は比較的北側、東部地域は比較的南側に位置し、領土は西から東へ緩やかに弧を描くように南下している。アズキニア列島は広いところで500km程度の幅があり、全体の長さは4000km程ある。アズキニアの東端はシャルケー半島のペルファス近郊のクリュニー山、西端は南クロイシアの南西に位置するロアーク岩礁、北端はポラリス諸島のユーシェレ島のレゾント岬、南端は北エステル諸島のプレリーカ島のイベレス岬である。この内、レゾント岬とロアーク環礁間の距離がアズキニアの中では最も長い。因みに地理的なアズキニアの国土の中心点はザカンテスの???とされるが、慣習的にはミィリス、コンタシェ、トンボレアを直線的に結ぶ線で東西に分けられ、様々な種類の地域区分に用いられている。
アズキニア王国はYouTuber大陸の南クロイシア地方とメロビア大陸のシャルケー半島から成る大陸部と、ナゴン諸島を中心に、北東のシェイエロー諸島とポラリス諸島、北の海に散逸するクローアーヴァント諸島、そして南に位置する北エステル諸島などの9,396の島から成る島嶼部によって構成されている。島嶼部は概ね南クロイシア地方とシャルケー半島の間に位置し、これらの島嶼は離島群を除くとほぼ一直線上に並ぶので、これらの群島は合わせて慣習的に「アズキニア列島」と呼ばれることも多い。ステラリスやメクトフォールなどの首都や主要都市はアズキニア列島のダイナゴン島に存在するが、大陸領土の面積はアズキニア全体のおよそ半分を占める。これは世界的にも稀有な例である。また、エステル諸島やポラリス諸島は立地上の特性からアズキニア列島には含まれず、離島と見做されることがほとんどである。
因みにコールドランドとナラキアは政治制度が異なるため、海外領土ではなく保護領とされている。しかしながら言語も文化も同じ中核州であるので、アズキニアと見做される事が殆どである。
地域区分
アズキニアは地理的には西からアズレーン、ローフェルド、中央平原、シェイエロー、ロシェル、シャルケーの6つに大別される。
地理学上の分類ではないが、アズキニア政府は、アズキニアの領土に「主要部」と「副部」の2つの区分けを設けている。ナゴン諸島の主要三島及びシェイエロー諸島の主要四島*21に加えポラリス諸島のカーゾン島とクローアーヴァント諸島のラスフェス島、東クロイシア地方とシャルケー半島の沿岸部が「主要部」に区分される。これら9島を除く島嶼部の9,387島、南クロイシア地方とシャルケー半島の内陸部を「副部」としている。
国境
アズキニアは南YouTuber連邦、粘土帝国、シンフォニック共和国、クロイツ連邦、オデシア王国、エステランド共和国、ストレーザ公国と接する。この内南YouTuber連邦との国境線が最も長いが、非常に急峻なラプラス山脈によって隔てられているため、国境付近は山岳地帯の厳しい気候と極度の低インフラが原因で可住地域はほとんどない。最も短いのはストレーザ公国との国境線で10kmにも満たないが、ストレーザ公国がミニ国家であるという性質上、両国間の越境は全面的に自由化されている。
海上では上記の8国に加えて
また、ミクロネーションであるアメイジーナ公国も海上で国境を接するとの見解を保有しているが、世界にアメイジーナ公国を国家として承認している国は存在しないため、アメイジーナ公国との国境線自体存在しないという見解が一般的である。
領土問題
アズキニアは幾つかの周辺国と、一部地域で領土問題を抱えている。
オデシア王国とはシューローリンゲン周辺の「アポロステフォン」と呼称される600㎢ほどの面積の地域に於いて領土問題を抱えている。1775年のカルレート条約でオデシアはアズキニアに対しシャルケー半島一帯を割譲し、シューローリンゲンの東側を流れるケルマデア川を二国間の国境にしたのだが、ケルマデア川は年月の経過によって河口34km手前で2本に分岐し海に注ぐように流路が変化した。そのため2本の流路の間にあるアポロステフォンはカルレート条約により両国が請求権を持つ地域となったため、両国が自国から遠い方の流れを本流と主張し始め、領土問題が発生したのである。現在は西半分をアズキニアが、東半分をオデシアが実効支配している。しかし近代以降は大規模な軍事衝突は起きておらず、暗黙の了解として相互に軍を配置せずどちらも支配していない。過去には海外の勢力がお互いの実効支配が及んでいないのを良いことに占領を試みたが、両国による攻撃によって一瞬で海に叩き出された。
エステランド共和国とは北エステランド諸島のメルベリー岩礁の領有権を巡って激しく対立している。エステランド島の600km東に位置するメルベリー岩礁が発見されたのは1938年のことであり、この海域での国境は策定されていなかった。双方が歴史的文章を持ち出し固有の領土との主張を開始したものの、1938年以前に人間が到達していた決定的な証拠は見つからず、双方の主張は平行線を辿っている。1954年に起こった最初の軍事衝突をきっかけに周辺海域では度々軍事衝突が起こっており、漁船も近寄れないような紛争地帯と化している。現在はエステランド共和国が辛うじて同地を占領している。
他2国とは歴史的領域への請求権の認識の相互的な齟齬などはあるが、国家間での領土問題などは現在皆無である。これは南YouTuber連邦とは険しく壮大なラプラス山脈を挟んで民族や文化、宗教が全く異なる上に、そもそも山脈によって交流が阻まれ関係が希薄だという要因が非常に大きい。
アズキニアの海外領土と植民地に関してはそれぞれの記事にまとめられているので、それぞれを参照されたし。
面積
アズキニアの面積は2024年時点で956,311㎢である。この内で大陸部の面積は473,118㎢、島嶼部の面積は483,193㎢とほぼ半々で分かれている。尚この面積にはベルガ湖、ポンティシェル湖などの湖水の面積が含まれ、これらの面積を差し引くと949,277㎢となる。
マトリア海、アントガール海、コーラント海、タリピア湾はアズキニアの内水であり、全域が領海である。政府は運河を除いたアズキニアの全領海・内海にて他国船の無害通行を全面的に承認しており、
気候
気候は温帯から寒帯、乾燥帯、亜熱帯と非常にバラエティに富む。アズキニアの気候は海流と恒常風に強く影響を受けているため、相対的に季節風の影響が小さく、気温や降水量の年較差が小さい。周囲を海に囲まれている海洋性の気候で、年中を通して穏やかで安定している。特に恒常風はアズレーンからシャルケーに至るまでのアズキニアのほぼ全域に強い影響をもたらしている。
一方で極度に乾燥し灼熱の太陽が照りつける砂漠地帯や、急峻で岩肌が露出した山岳地帯も存在し、アズレーン地方内陸部やローフェルド地方山岳部などを中心として、国土全体の約五分の一がアネクメーネに属する。
大陸東岸に沿って流れる強い暖流は、トリーア地峡の西から吹いてくる強い偏西風*22によって急速に東に向きを変えて、ナゴン諸島の北側を流れる。また、ナゴン諸島の南側では東向きに寒流が流れており、ナゴン諸島は北の暖流と南の寒流に挟まれる形となっている。ただ、暖流の方がより大規模であることに加えて、偏西風によって常にやや南に風が吹く形となるため、暖流の影響を強く受けている。
暖流の流路の急激な湾曲と、トレアス半島・ペリシテ半島による外洋との隔離によって、コーラント海は夏は周りに比べて温度が低く、冬は周りに比べて温度が高くなっており、アズレーン沿岸部がCs気候となる原因となっている。
地誌
アズキニアは地理的にアズレーン、ローフェルド、ザカンテス、中央平原、エフォロール、シャルケー、離島部の◯つに分類される。地勢や気候、歴史的経緯に基づいて分割されている。それぞれの地域の特徴は大きく異なり、独自の文化的な特徴を有している。
アズレーン

西方大陸領南部地域(ラスフランダリア)。最大都市はコーラント海に面しモンドス島の対岸付近に位置する、中部の都市リエートである。
アズレーンはクロイシアプレートに属し、アズキニア列島が属するフロンティアプレートに対して、沈み込むように衝突している。そのため、プレート同士が激しく衝突し合って境界部分では強い圧縮の力が働き、コーラント海を主な震源として規模が大きい地震がたびたび発生する。フロンティア・クロイシアプレートの大褶曲構造の背斜部分に当たり、向斜部分のコーラント海を隔てて、同じく背斜部分のローフェルドが対岸に位置する。
衝突帯に位置するため、造山運動によって高低差のある地形が形成されており、沿岸部の平野と南北の海湾盆地を除いて全体的に山がちである。特にアズレーンの西端を南北に縦断するラプラス山脈が代表的。
西の国境が大陸の東海岸とほぼ並行に位置しており、北部のトリーア地峡付近を除いて東西の距離はほぼ等しいので、形は全体的に長方形に似ている。
沿岸部には狭小で平坦な海岸平野が広がっており、対照的に広大な内陸部には起伏に富んだ高原・山地状の地形が広がっている。海岸から少し内陸に入るとコーラント海の海岸線と並行に連続的な山脈が伸びており、コーラント海岸山脈、又は海岸山脈と呼称される。具体的にはログ山脈、カピス山脈、コンコード山脈などがこれに該当する。一般的には、海岸山脈を境にアズレーンの沿岸部と内陸部が分けられる。
地勢と気候は沿岸部と内陸部で劇的に変化する。
アズレーン東部の沿岸地域の平均気温は、夏が24~26℃、冬が10~12℃ほど。標高が低いので、ラプラス山脈から吹き下ろす乾いた恒常風と、温暖なコーラント海からの湿った上昇気流が上空で衝突するし、年中を通して一定の降水をもたらす。しかしながら、降水量はその年の恒常風の強さや海の水温に大きく左右されるため、長い期間を通しての降水パターンは安定しているとは言い難い。そのため、沿岸部では過剰な降雨による洪水や、過度な乾燥による旱魃がごく稀に発生する。降水量が適度にあり、夏の暑さや冬の寒さが厳しいわけではないので、沿岸部は意外にも過ごしやすい気候と言える。
沿岸部の中でも北部はオリーブ気候、南部はリエカ気候に属する。
海岸山脈の山腹を西へ登るにつれて降水量はだんだんと少なくなっていくが、それに伴い標高も段々と高くなり乾燥限界も低くなるので、海岸山脈の東山腹地帯に於ける植生は一様であり、気温や降水量に応じた植生の多様性はあまり見られない。高原や山岳地帯は、夏は暑く冬は寒いのが特徴。雪がたくさん降るため、スキーができる。
砂漠地帯は、冬の時期の気温差が大きいのが特徴である。また、5~9月は雨がほとんど降らず、9~12月にかけて雨の量が増えていく。ただし、内陸部は降水量がかなり少ない。
海岸山脈を越えて台地状の内陸部に入ると植生はガラリと変わり、植物が殆ど存在しない岩石と砂礫の砂漠が広がっている。この山地状の大地にはラファ砂漠と呼ばれる砂漠が広がっており、一年を通して降水はほとんど見られず極度に乾燥している。なお、ごく稀に雨が降った際にはワジでの鉄砲水やサボテンの大量開花が見られる。岩石砂漠が6割、礫砂漠が3割、砂砂漠が1割を占める。砂の組成は石英が75%を占め、中度に成熟した砂漠である。
人口の大半は適度に降水のある海岸山脈以東の沿岸部、カセネス盆地、及びカリファ盆地の低地に集中している。主にラファ砂漠からなる内陸部はほぼ全域がアネクメーネに属し、人口は極端に少ない。但し、飲み水の確保と農作物の栽培が可能なオアシス地域には小規模な集落が存在し、地下水からの気化熱の発散によるクールアイランド効果も相まって、ラファ砂漠の人口は殆どがオアシス地域に集中している。
ラプラス山脈山麓の乾燥地帯では、山羊や羊、ラクダなどの遊牧が主要である。内陸部は降水量が極端に少なく水の確保がほぼ不可能であるため、農業はほとんど行われていない。但し、一部ではカレードと呼ばれる古代に起源を持つ水理施設や自然の湧水を用いた灌漑農業が行われており、棗椰子や亜穀類などがごく小規模ながら栽培されている。
地下資源として石油が埋蔵されていることが知られているものの、立地的な要因に加えて人件費や技術的コストの問題から本格的な開発には至っておらず、アズレーン内陸部を中心に僅かに利用されるのみである。古代の文献には現在のデセスナー・カセネロス県で「黒い水」が発見されたとの記述があるが、この「黒い水」は石油のことであると考えられ、かなり昔から石油の存在自体は知られていた事が伺える。
また、砂漠の各地に灼熱によって生成された砂漠のバラや天然ガラスが存在し、土産物としての人気が高い。
現在のラファ砂漠は乾燥した土地だが、数万年前までは湿潤な亜熱帯であり、その頃に蓄積された化石水が水層として地下に大量に埋蔵されている。ラファ帯水層と呼称されるこの水層は、この地域に於ける潜在的な水資源としての重要性を持っており、パイプラインを通しての沿岸都市への水の供給や灌漑農地の拡大への利用が計画されている。20世紀後半からは、実際に沿岸部の諸都市に送水が開始された。懸念として、この化石水は現在の気候条件下では再生不可能な資源であるため、化石水の枯渇によって送水シスメムが機能不全に陥る可能性が存在する。さらに、化石水の過剰利用によるラファ砂漠に点在するオアシス都市での渇水や、帯水層の空洞化による地盤沈下や土地の陥没の可能性も指摘されている。
ローフェルド

ローフェルドの地図。赤線はザカンテスとの境界、青線は主要な分水嶺。
ダイナゴン島のうち、パノーラからアーケード丘陵、リテティア丘陵、タレス丘陵、セラード峡谷、リニェール川を経てレイオークに至る線より西の領域を指す。ザカンテスの東側にあり、所謂ダイナゴン島の西部。西でコーラント海、南でエステル海、北で中漠海に面する。最大都市はメン川中流の都市サフリエで、ペーシュ川上流に位置するティアナスファが続く。
カザルフ
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data-tippy-content="<p>カザルフ湾の最奥に位置する都市</p><div style="text-align: right;"><a href="#notefoot_23">脚注 *23 へ</a></div>">*23-ティアナスファ-ペルリウムを結ぶ線によって南北に分けられ*24、北側は北ローフェルド、南側は南ローフェルドと呼ばれる。また、ロード本脈*25を境に西側はルインフェルド、東側はカーネフェルドと呼ばれる。この境界は、アズキニアの中央分水界とも一致する。
このニ種類の地域区分によってローフェルドは大きく四つに分割することができ、北ローフェルドとルインフェルドの重複地域は北ルインフェルド、北ローフェルドとカーネフェルドの重複地域は北カーネフェルド、南ローフェルドとルインフェルドの重複地域は南ルインフェルド、南ローフェルドとカーネフェルドの重複地域は南カーネフェルドと呼ばれる。この四つにディエナ地峡以北のトレアス半島、ラクルゼット川以東のペリシテ半島とモンドス島、オーガベル地溝帯以南のディラ半島とフランコン諸島を加えて、ローフェルドを七つに区分することも多い。
プレートテクトニクスによると、ローフェルドはアズキニア列島の他地方と同様にフロンティアプレートに属し、東側からクロイシアプレートが潜り込むようにしてぶつかり合う、プレートの衝突帯となっている。プレート衝突の影響によって活発な造山運動が行われており、ロード山脈を始めとした急峻な山岳地帯を形成している。ロード山脈はアズレーンのラプラス山脈に対して、コーラント海を挟んで対岸にあり、大褶曲構造の背斜部分の褶曲山脈である。対照的にコーラント海は褶曲構造の向斜部分の内海となっている。フロンティア・クロイシアプレート境界には部分的に沈み込み型の部分も存在し、地下の岩石への水の供給源としてコーラント海が存在するため、モホ面を中心に大量にマグマが生産される。そのため本来火山ができにくい衝突帯に属するにも関わらず、火山活動が活発である。火山の数自体は多いとは言えないものの、一つ一つの火山の規模は大きく、ムヘネトリー・カタストロフで知られる北ルインフェルドのムヘネトリー火山などがその代表的である。
ローフェルドでは土地の殆どを急峻な山地や山脈が占め、ロード山脈が大地を縦断しローフェルドを東西に分割している。ルインフェルドの沖積平野やロード山中の大河の谷底平野、カーネフェルドの僅かな海岸平野などの、狭小な土地に人口の大部分が集中している。
また、名前の由来にもなっているロード山脈及びそれに付随する山系が、支配的な地形としてローフェルドの大部分を占めている。ただし、北のトレアス半島と東のペリシテ半島、南のディラ半島はいずれもロード山脈との連続性が薄く、地理的な独立性が見られる。
ルインフェルドでは中央分水界より西に源流に持つ無数の河川が海に注いでおり、どの河川も総じて流域が狭い・流れが急・長さが短いといった特徴を有している。カーネフェルドではレヴァン川とロースラ川の支流による浸食作用で峡谷が形成されており、河岸段丘やV字谷が多い。
いくつかの脈状の山地や連峰が並行して連なっており、並走する山脈相互間には多くの河谷、盆地、高原が横たわる。代表的なものとしては、ペーシュ川の河谷、セラード峡谷、ロースラ川及びレヴァン川上流の縦谷、エクソワール高原などがあり、ロード山中の主要な居住地域を形成している。
ローフェルド地方は、その特徴的な自然環境から観光業が重要な産業の一つとなっている。観光客は登山や自然観察、温泉巡りなどを楽しむために訪れるため、この分野も地域経済にとって大きな収入源となっている。標高の高い山々や美しい峡谷は登山者や自然愛好家に人気があり、地熱エネルギーを活用した温泉地が観光地として有名である。

ディラ半島のリアス海岸の写真
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data-tippy-content="<p>自分で撮った写真を使用しています</p><div style="text-align: right;"><a href="#notefoot_26">脚注 *26 へ</a></div>">*26
ザカンテス
赤線は他地域との境界、青線は主要な分水嶺。
ダイナゴン島のうち、パノーラからバルニティア丘陵、リテティアロード山脈、タレス高地、セラード峡谷、リニェール川を経てレイオークに至る線より東、ストレアス半島からロースラ川、リアラ運河、シテ川、ベルガ湖、ミュー川、リミー運河、シビュラ川を経てステフブールに至る線の西を示す領域。ローフェルドの西側、中央平原の東側であり、ダイナゴン島の地理的な中央部である。
最大都市は王政首都のシュマリで、立法首都のイドリュスが続く。
ザカンテスは、西の脊梁山脈が東の構造平野へと徐々に変遷していく地形と表現することができる。また、北のレヴァン川と南のロースラ川の二つの支配的な大河が、この地域の地勢に大きな影響を与えている。
フロンティアプレートとクロイシアプレートの衝突によって生じた造山帯の影響で、西部は山岳地帯だが東部は平原であり、緩やかに標高が下がっていく。
ザカンテスの西部は山がちで、複数の山地や高地が位置している。西部の北側では、ロード山脈と小ロード山脈の間をレヴァン川流れ、両地域の境界を形成している。レヴァン川はモレリア川と合流した後にタレスで東に向きを変え、ハーベル川を取り込んでレディア盆地へと流れ出していく。この時レヴァン川は平坦な土地へと流れ出て一気に流れだ穏やかになるので、下流のレディア盆地東部には扇状地が形成されており、ロースラ川の扇状地も合わさって広大な果樹園地帯を形成している。この扇状地の扇頂に位置するタレスも、レヴァン川の谷口集落が元となって発展した都市である。
平坦な地形へと流れ出たレヴァン川はシュマリでロースラ川と再接近したのちに、その下流で小ロード山脈を越える、いわゆる「ルマーレの門」と呼ばれる狭隘部を通過する。ルマーレの門には石灰岩が多く、風化には極めて強いが水には溶食されやすいので、水の流れる部分だけが深く削られる。また石灰岩には垂直の亀裂ができやすく、水が亀裂の中に入ることでその底部を侵食する。谷が深くなると両岸の岩が平衡を失って垂直に発達した亀裂に沿って谷に落ちるため、両岸が切り立った崖になっている。
ここからレヴァン川は北東に向きを変え、モンタレーヌでヌスリス川、アルカ川と合流する。
アルカ川はペルリウム南方の、レイオーク山地と小ロード山脈の交差地帯付近から流れ出している。小ロード山脈が山脈の反対側のローフェルドを流れるレヴァン川との分水界となっており、ザカンテス北東部に降った雨水の多くはアルカ川水系に流れ込む。その影響で流量は比較的多いので浸食作用が特に強く、両山脈の間を開鑿するようにして、東西に細長いミニア平野を形成している。アルカ川はサラーラを通過したのちにルトヴァンゲン川と合流し、ミニア川の中央部を通過しつつミィリスに入る。ミィリスは古ミニア王国の首都として繁栄した歴史ある都市であり、アルカ河畔には町のシンボルである旧ミニア王宮が建っている。
ヌスリス川はズリーレン山地の南端付近に端を発し、山地の東側に沿って流れている。この川は水源からそのまま北西に流れて、モンタレーヌでレヴァン川と合流する。
モンタレーヌのすぐ下流、レヴァンカルストと呼ばれる地域でレヴァン川は北東から南東に流れの向きを変え、中央平原の中央部を貫流していく。中央平原に入ってからはレヴァン川の流れはさらに緩やかとなって、クレインデスを通過してハジュリー川と合流したのちに、ベルガ湖へと流れ込む。また、ベルガ湖南部では東からミュー川、西からシテ川が流れ込んでおり、ミュー川の中流には行政首都メクトフォールが位置する。
因みに、ヌスリス川の水源から20kmほどの地点に中央平原西部を北東に流れるハジュリー川の水源が、南東から25kmほどの地点に中央平原西部を東に流れるミク川の水源地があり、ハジュン南方のイエナー丘陵と呼ばれる小高い丘陵地帯は、三つの河川の水源地として有名である。また、ミク川の南東15kmほどの地点にはシテ川の水源があり、ミク川はやがて東でシテ川に合流する。三つの河川は非常に近い水源からそれぞれ別の方角に流れ出していくが、最終的にいずれもレヴァン川水系に合流して特徴的な地形を形成している
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data-tippy-content="<p>地図を見ると、中央平原のハジュン周辺の広い地域は、ヌスリス川とミク川の水源地の間を除いてレヴァン川水系によって囲まれており、最終的に同じ湖で合流する河川群によって縁取られた面白い地形となっている</p><div style="text-align: right;"><a href="#notefoot_27">脚注 *27 へ</a></div>">*27。
また、ベルガ湖の北端のマルタガーラで、レヴァン川はマン川と合流する。後述する通り、マン川はリンス運河によってロナント海岸と接続されており、間接的にレヴァン川とも繋がっていると言える。そのためロナント海のタラフルズからリンス運河、マン川、レヴァン川もといベルガ湖を経由して、マトリア海のステラリスまで船舶で航行することが可能である。そのためダイナゴン島の北東部は、上記の人工の運河を含む水系で切り離された島と捉えることも可能で、この地域の中央部を流れる運河にちなんでリミー島と呼称される。だが、基本的にリミー島が一つの島として扱われることはほとんどなく、この名称もあまり用いられない。
ロースラ川は、テルアグラス山脈の南からザカンテスのレディア盆地へと真っ直ぐに流れ出し、シュマリでレヴァン川と再接近する。シュマリを通り過ぎた後は少し南に寄りつつも東へと流れ出していき、レディア盆地を抜けてコンタシェへと至る。
レヴァン川とロースラ川を結ぶ運河は、シュマリのシュマリ運河とリアラ運河の二つだけである。
ザカンテスの、北側では、ペルリウムからステフブールにかけて、典型的な離水海岸のロナント海岸が広がっている。カルリニア平野の平均標高は300メートル以下で、海から10から30km内陸まで広がっている。この海岸平野は通常湿っており、多くの河川、沼、沼地を含んでいる。この地域には山はない。主に堆積岩と続成作用を受けた堆積物からできており、主に農業に利用されている。カルリニア平野から海に流れ出す河川は存在しない。ただし、マン川から北に向かって開鑿されたリンス運河はロナント海岸中央部で海と接続しており、タラフルスが位置している。そしてシビュラ川河口でステフブールに到達し、ザカンテスから脱する。非常に長い時間をかけてロナント海岸に離水作用が働いたため、平坦で滑らかな地形になったと考えられている。

典型的なザカンテスの自然風景。この写真は東部シュマリ地方の小高い山地で撮影されたもの
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data-tippy-content="<p>自分で撮った写真を使用しています</p><div style="text-align: right;"><a href="#notefoot_28">脚注 *28 へ</a></div>">*28

典型的な離水海岸であるロナント海岸の写真
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data-tippy-content="<p>自分で撮った写真を使用しています</p><div style="text-align: right;"><a href="#notefoot_29">脚注 *29 へ</a></div>">*29
中央平原
中央平原は、マトリア海を囲むようにして位置している。マトリア海はアルトー海峡、ラミダス海峡の両海峡によって外ようと隔絶されており、北にアルテーヌ湾、南にベニヤ湾が広がる。アルトー海峡、ラミダス海峡は共にかなり狭く、最も広い箇所でもそれぞれ10kmほどしかない。
シェイエロー
ダイナゴン島北東部からメーシェール海を隔ててさらに北東にある島々。パクシス島、プルファ島、ユメイ島、カリエ島の四つの主要な島から成る。全体として丘陵や山々が広がり、平野部はそこまで多くない。「く」を時計回りに45°回転させたような形をしている。カリエ島の東にはシマン諸島があり、そこから北のポラリス諸島に向けて繋がっている。しかしながらシマン諸島は隣接するカリエ島に比べてもかなり小さいため、シェイエロー諸島と同等として扱われることも多い。
プレートの動きの影響で陸地が圧縮された結果、地殻が褶曲によって隆起を続けているため、中央平原に比べて山地や丘陵の割合が多い。しかしながら侵食や風化のスピードが造山のスピードを上回っているため、沿岸部を中心に小規模な河川に付随する沖積平野が連続する形で小規模な平原を形成している。山地や丘陵も基本的にはなだらかだが、硬い岩石が風化・侵食の際に周囲の岩石から取り残される事によって形成された切り立った山頂が点々と各地に分布している。これらのような山頂は『エフェリエイト』と呼ばれ、古代から中世にかけて形成された孤立型集落などに於いて信仰の対象になる事が多かった。
シェイエロー地方は、湿潤な気候を活かした農業が主要産業の一つである。沿岸部の平坦な土地では穀類が栽培され、食料として消費されるほか、地元市場やアズキニア本土、他国への輸出にも利用されている。さらに、トマト、パプリカ、柑橘類、マンゴーなどの野菜や果物が湿潤な地域で栽培され、果物は特に地域の重要な輸出品である。
漁業も盛んで、メーシェール海沿岸には豊かな漁場が広がっている。伝統的な手漕ぎ漁船と近代的な漁船が併用され、春から夏にかけて漁獲量が増加する。タラ、カレイ、サバ、ウニ、エビなどが主な魚介類で、これらは地元での消費に加え、輸出品としても重要である。ウニやエビは高級食材として特に評価が高い。貝類も多く捕れ、貝殻細工は伝統工芸品として観光客に人気があり、地域経済に貢献している。
林業もまた地域の産業の一つであり、山間部を中心に豊かな森林資源が広がっている。これらの森林では、建材や家具材として利用される広葉樹や針葉樹が計画的に伐採・再植林されている。また、間伐材や伐採残材は薪や木炭として活用されるほか、木工製品や伝統的な工芸品の素材としても重要である。地域の林業は持続可能な資源管理を重視しており、森林保全と産業利用の両立が図られている。
内陸部では羊や山羊などの牧畜が行われ、湿潤な気候にも順応している。羊毛は織物に加工され、温かい衣料品として利用される。山羊乳から作られるチーズは地域特産品であり、牛は主に肉用、馬は農作業や祭りの行事に用いられている。
観光業も発展しており、美しい自然景観や独自の文化を活かしたエコツーリズムや文化遺産ツアーが注目を集めている。エフェリエイト山やマングローブ湿地などの自然保護区は登山客や自然愛好家に人気があり、古代の神殿や伝統的な祭り、集落も観光資源となっている。島々の手工芸品市場では貝殻細工や木製品が販売され、観光土産として親しまれている。宿泊施設や飲食店も整備が進み、地元の新鮮な食材を使った料理が観光客に提供されている。
パクシス島、プルファ島の南半分は10~11世紀の植民活動によってアズキニアの一部となった。以北の地域は主に14世紀前半のアムアール一世によるシェイエロー戦争と呼称される、一連の征服活動によってアズキニアへと編入された。その過程で現地にあった諸島連合などの少王国群はアズキニア支配下となったが、間も無くオデシア王国によって征服され、以後アズキニアから変体したポラリス王国とオデシアによる争奪戦の舞台となった。オデシア王国の当地域からの撤退によってこの地域に安定が戻るのは15世紀初頭である。その間に被征服民の現地人の間にはシェイエロー人意識が芽生え、統一国家樹立のために幾度となく反乱が発生したが、全て鎮圧され結局この地域がアズキニア以外によって統一される事はなかった。16世紀にアズキニアが再統一されるとシェイエロー独自の文化は緩やかに失われていき、完全にアズキニアと同化していった。これは18世紀初頭に最後のシェイエロー語話者が亡くなった事で完遂されたと言える。
エフォロール
シャルケー
東方大陸領。シャルケー半島は山がちな地形であり、数多くの山系、山脈、山地、山塊、ピークが存在する。オクシアナ山脈がさらに東のメロビア大陸とシャルケー半島を隔てている。オクシアナ山脈は西側より東側の標高が高く、最高峰は3404mのララト山である。広大な乾燥高原が大部分を占めており、平均標高は250mほどである。海流や風の影響で沿岸部では霧が発生することもあり、ヒースが広がる湿原や沼地なども多くあり見られる。
離島部
アズレーンからシャルケーのいずれの地方にも分類されない遠海の島々は離島部と総称される。離島部は地理的なまとまりによってポラリス諸島、北西諸島、ポラリス諸島の三つの地域へと大まかに区分される。
- ポラリス諸島
シェイエロー諸島東端のシマン諸島から北西に連なる列島。約700の島々と2,400の岩礁から構成され、うち30の島々に人が住む。また、水面積率が非常に高い。面積は非常に小さく、大泉洋と中漠海を隔てている。EEZは広大なので漁業などが盛ん。古くにジラント朝がポラリス諸島の南部に一時的に逃れたことで知られており、カーゾン島などには近世に南部からの侵攻に備えて作られた城塞都市が今でも残る。
- 北西諸島
ラスフェル諸島、クローアーヴァント諸島などから成る、ゴア半島より北かつポラリス諸島より西に位置する中漠海最南部の島嶼からなる地方。周囲を囲む海洋の影響とコールドランドからの冷たい風の影響を大きく受けるため、冷涼で一年の気温の変化は比較的小さい。夏にはよく濃霧が立ち込める。人口は少なく、陸地での産業はわずかに観光業と自給的農業が行われるのみである。一方で排他的経済水域内での漁業は盛んで、鰤や鮭がよく獲れる。
- エステル諸島
北エステル共和国の北のエステル海に散逸する群島部。
地図*30
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地方行政区分
アズキニア王国は本国をいくつかの管区に分けて統治しており、他にいくつかの伝統ある自由都市がありそれぞれが管区と同程度の権限を持つ。中でも王都シュマリの市長は王族が兼任し、メクトフォールも上院議員の一人が治めることになっている。
地域圏
アズレーン
- レメディア・サルガータ・ディアボルス(Remedia Salgata Diabolus)地域圏
- サルガータ(Salgata)県
- ザラフシャン(Zarafshan)県
- アーク・ポワティエ(Arc Poitiers)県
- ジャンパール(Janpaar)県
- ロヴァ・リエート(Rova Riate)県
- ハンニバルス(Hannibalus)県
- レイド・カッピティナ(Raid Cappitina)県
- モンドス(Mondos)県
- カンタガロフ(Cantagarof)県
- カンターベル・サンフェスティアス(Canterbell Sunfestius)県
- デメネスティシス(Demenestisis)地域圏
- ベウリスト(beurliste)県
- モルディス・カセネロス(Mordis Cassenelos)県
- デセスナー・カセネロス(Desesner Cassenellos)県
- ロキ(Loki)県
- フレイル・フォンデオティア(Flail Fondiotia)県
- オレリト・ルガノフ(Olerito Luganov)地域圏
- カレンジ・コート(Carrange Coat)県
- アンメフォン(Ammephone)県
- トランスルガノフ・マン(Transluganov Man)県
- オラード(Ollard)県
- アンダーシス・コート(Andersis Coat)県
- ラプラス(Laplas)自治地域圏
- アルトワ(Artois)自治県
- オレロン(Orelon)自治県
- キュライター・カリファ(Curiter Califa)自治県
- トラン・ラプラス地域圏(Tran Laplas)自治県
ローフェルド
- 北ルインフェルド(Xxxx Ruinfeld)地域圏
- レズンコンコーディア(Resonconcordia)県
- コーポード・ノクリム(Corport Nocrim)県
- アンティゴノス(Antigonos)県
- ヘルメス(Hermes)県
- シュニスティ(Schniestea)県
- 北カーネフェルド
- 南ルインフェルド
- 南カーネフェルド
- グラン・トレアス(Grand Treas)地域圏
- カマーバンド(Cummerbund)県
- ハーシェル(Hershell)県
- ルットバルフェン(Rutbalfen)県
ザカンテス
- ウォルク・ザクセス(Wolk Zuccess)地域圏
- マルティプリー(maltipree)県
- スキャナ・アベリー(Scanner Aveli)県
- アルカディス(Alcadis)県
- コレル・アルマゲール(Correl Armaguer)県
- シュエナローラ(Schwennerola)県
- カテリニ・パラリア地域圏
- アルガランサス県
- ルグドネンシス県
- ラグラディア県
- アルケブラン県
主な都市
- ステラリス
アズキニアの最大都市で、中央平原のレヴァン川河口に位置する。アズキニアの国家的特色と、海峡に挟まれた内海と東西に長い列島の交差点に位置するという特異な立地から貿易の中心的役割を果たしており、世界中から物資が集約する世界有数の商業都市として君臨する。
- シュマリ
アズキニアの王政首都で、レディア盆地内のレヴァン川とロースラ川の二大大河の再接近地点に位置する。古代から河川貿易の集積地として発展し、現代でも王宮などの文化的建造物・史跡が多数位置する世界有数の文化都市となっている。
- メクトフォール
アズキニアの行政首都で、中央平原東北部のミュー川中流に位置する。
- イドリュス
アズキニアの司法首都で、ストレアス半島の付け根部分のロースラ川下流に位置する。
- オーズデン
アズキニアの立法首都で、チュウナゴン島西部のアフラ川河口部に位置する。
- デリテーヌ
ダイナゴン島北海岸に位置する港湾都市の中では最大。トレアス半島の最東端に位置する。
- ステフブール
- コンタシェ
アズキニアの地理的中心。
ノバルスレムス
ヨルラント
フィラン
ユレスト
ヘフェンステッド
フレスタ
トレアド
チューリーズ
トムリッカ
ティアナスファ
シュローリンゲン
ペルファス
アルヴィク
レーベル
ダーメル
シルトサイス
略史
地質時代
先史時代
アズキニアで人類が定住を始めたのは約xxxx年前だと言われています。アズキニア人のルーツはメロビア大陸から
魔法時代
第一古代
暗黒時代
歴史*31
設定の未定のため、一部の数字をxxxxに置き換えている場所があります。必ずしも4桁の数字が入るとは限りませんのでご注意下さい。
人類誕生以前
他の地域にも言えることなのだが、アズキニア王国では3億3500万年前から3億3000万年前までの地層が綺麗に抜け落ちている。また、この境界を境に出土する生物の化石の種類が大きく変化しており、何かあったのではないかと考えられている。しかし、肝心の地層がないためまったく何が起こったか分からない。現在のアズキニアにはない何かがあったと言われる。
高度な兵器や集約化された居住区などの高度な文明の痕跡が残されているが、現代の人類科学ではこれらの痕跡を説明できない。
旧石器時代 (一応完成)
アズキニアの旧石器時代は、xxxx万年前までである。この間、幾度かの氷期と間氷期があり、気候・環境の変化がみられた。この時期の人類は既にクロイシアへと進出しており、陸路でxxxx万年前にはナゴン諸島へと辿り着いたと考えられる。
初期旧石器時代
サレジア及びラールドロンドで原人の化石やその生活の跡が複数発見されている。彼らは野生の小豆や生息していた大型哺乳類の肉を食糧としていた。イノシシやシカ、ゾウを崖まで追い込んでから仕留めたと考えられている。打製石器や剥片石器などを用いてその肉を解体していた。xxxx万年前からxxxx万年前にかけての最終氷期には人類はナゴン諸島から姿を消した。但し、アタ半島やシュワ半島では人類は生存に成功した。おそらく地軸の傾きの変化による急速な寒冷化に適応できなかったものと推測される。しかし、他の大型哺乳類はいずれも絶滅が確認されないことからナゴン諸島からの人類の消滅には酷寒以外の原因もあると一部の学者は唱える。xxxx万年前から現在にかけては再び気候は温暖になり、間氷期が訪れた。サレジアでは人類の痕跡が再び発見されており、再び漂着したと考えられている。また、樫や杉などの樹木が再びナゴン諸島全体を覆い始め、鹿やイノシシなどの動物が大きく増加した。しかし、xxxx万年を境に象の化石は全く確認されなくなった。これは地球の温暖化と人類による過剰殺戮が原因だと考えられる。
中期旧石器時代
xxxx万年前頃から旧人がナゴン諸島に進出し始めた。ヨーグリアでは旧人の埋葬跡が発見され、旧人の痕跡は時代が進むにつれて北と東へと拡大した。また、それに伴って原人の痕跡が年を追うごとに南と東から消えていっている。
後期旧石器時代
xxxx年前には高度な航海技術を持った新人がカンブリカ大陸などからナゴン諸島に移住してくると、旧人は新人に駆逐され、xxxx年前にはナゴン諸島から姿を消した。テッサクオキでは腰に石器が刺さった旧人の骨が発見されており、これが新人による旧人への攻撃があったことを裏付けている。一方で、現在のナゴン諸島の純ナゴン人のうち4.7%に旧人の血が流れていることが最新の遺伝学により明らかにされている。これは新人と旧人の混血があったことを示しており、現在は後期旧石器時代には新人と旧人の間で対立と融和の両方があったとされる。
最終氷期が終わると、人類は急速に勢力を拡大した。また、温暖化に伴い落葉樹がショウナゴン島を除くナゴン諸島全体を覆い始め、ロード・ナシューバ山脈を除く山岳地帯にあった氷河及び万年雪は完全に消滅した。この時、ショウナゴン島は海面上昇により山地を除いて完全に沈んだと考えられる。この時代の遺跡としてはダメーダニアの石窟群が有名であり、鹿などの動物の動きを生き生きと描いた壁画が有名である。この時期に成立した石窟文化をクリアーノン文化といいう。
ノウゴロディア文化は装飾品が見られるナゴン諸島最初の文化でありxxxx年前に成立したこの文化は、在来植物の繊維から服を作り、花などで染色していた。また、動物の骨や歯を加工してアクセサリーを作っており、遠い地域とも交易していた。最も遠い距離で、1,300Km離れたサレジアとヨルバで同じ形の骨のネックレスが見つかっている。
xxxx年前のムヘネトリー火山の噴火により、ナゴン諸島の人類は壊滅的な打撃を受けた。天候不順により彼らが主食としていたドングリなどの植物が十分に育たなくなり、それらを食糧としていた貴重なタンパク源である大型哺乳類の数も大きく減少したのが大きな原因である。特にランカーランの遺跡では食人の形跡が見られ、いかに食糧が不足したかを示している。また、この時期にダイナゴン島からは、人類の過剰殺戮と餌の減少により鹿が姿を消した。人口は20%まで減少したが、xxxx年後には元の人口に戻ったと考えられている。
新石器時代 (一応完成)
新石器時代になると、ナゴン諸島の人類の生活様式は大きく変化した。農耕が始まり、動物を手懐け、進化した石器を使って新たな道具の作成が行われた。
初期新石器時代
クロイシアから農業が伝播した。だが大豆の栽培は失敗したため、最も身近な植物である小豆を育て始めた。ナゴン諸島の農耕の開始時期については意見が分かれており、xxxx年前とする説とxxxx年前とする説がある。xxxx年前とする説は、火山の噴火による食糧の減少に対応するために農耕を開始したと主張しており、主に河口付近での小豆の不自然な群生跡などを証拠としている。一方でxxxx年前とする説は、農耕がきっかけで発明されたとされる磨製石器や穀物倉庫がxxxx年前以前の地層からは出土していないことを証拠としている。どちらの説も有力視されているが、どちらにも決定打となる証拠がなく、結論には至っていない。
当初の農耕は、焼畑を行って灰のなかに種子をまき、地力が減退すると土地を移すという略奪農法で、ふだんは移住生活をして収穫のときに戻ってくるという移住生活だった。定住は殆ど行われず、小さな洞穴を転々として生活していたと考えられる。
また、ショウナゴン島は海退に伴い再び姿を現した。
中期新石器時代
中期になると各地で定住が始まり、それに伴って原始的な住居や食糧の保管庫が建てられた。家は地面を少し掘ったのち、固めた小豆の茎に土を塗って乾かすというものが主流だった。この頃になると祭司用の彫像がナゴン諸島だけでなく、西大泉洋地域全体に現れ、かの有名なワラネドギャの彫像群もxxxx年前頃に建築が開始されたと考えられる。
これらの文化の担い手はいわゆる“東方系”であることが知られており、僅かに元来の狩猟採集民も混在していたようである。農耕による生産性の増大に伴い、人類の精神面での発達が見られる。
後期新石器時代
農耕の発展に伴い、石器の種類の複雑化、建築技術の進歩が起こった。磨製石器はさらに進化し、現在出土しているものを用途の観点から区分すると134種類にも上る。また、高床式の建造物も見られるようになった。これらの建物は作物の貯蔵の必要性から建設されたと見られる。xxxx年前までは東方諸島系のハプログループしか見られなかったが、この頃からクロイシア*32系のハプログループG2cの混入が見られる。
トリアノンなどの遺跡では原始的戦争の形跡が見られる。人口の増大に伴い、食糧をめぐって争っていたと考えられる。ただし、この時期の集落は簡易的な堀と柵を張り巡らせただけのもので、戦闘も剣による白兵戦しか行われていなかったことが知られている。
青銅器時代 (一応完成)
クロイシア地域からの移民により青銅が持ち込まれる。青銅によりナゴン諸島の文明は飛躍的に進歩した。
ボウル文化期
xxxx年前頃からxxxx年前頃を指す、クロイシア地域から来たハプログループG2c系の人々により青銅器が伝来。ボウル人と呼称されるこれらの人々は、各地を商人や鋳物師として流放しながら銅器や青銅器を普及させた。また、食料などを入れるのに優れた性能を持つ球状ボウルを使用し、このことが名前の由来となる。ボウル人の作る球状ボウルは表面が滑らか、薄い、堅い、縁が整っているなどの特徴を持ち、ボウル人が高い窯業技術を持っていたことがうかがえる*33。ボウル人が進出するにつれて、銅器に高い価値が生まれ、ナゴン諸島には商品経済の概念が普及した。これが労働分配率の低下もとい労働生産性の向上を招いたことで貧富の差が拡大し、集落では社会の垂直構造が出来上がった。
商品経済の普及により戦争は緊急時に食糧をめぐって行われるものから、相手の資源や富を奪うためのものへと変化した。特に、クロイシア地域との貿易に必要な金属資源をめぐっては熾烈な闘争が行われ、当時のナゴン諸島では鉛の鉱山を巡って集落同士の本格的な戦争が行われ、多くの死傷者を出した。集落には何十にも堀や柵が張り巡らされるようになり、櫓や地下避難所も建設され始めた。同じ部族の集落同士で同盟が結成され、ナゴン諸島には部族社会が出来上がった。
ウィンザー文化第I期
ボウル文化期の中でも、xxxx年前頃からxxxx年間頃の時期をウィンザー文化第I期という。ボウル文化期に形成された社会秩序がこの時期から徐々に変化し始める。ただ、ボウル人がもたらした球場ボウルや銅器は主に各部族の上流階級に普及しており、ウィンザー文化は全階級に共通したものではないことには留意すべきである。ボウル人の活躍により各地に銅器や青銅器がもたらされると、石材や木材の加工技術は飛躍的に進歩し、以前より大規模な彫像が西アズキニア各地に作られる様になった。しかし、この時代の彫像からは、暦学的な意味は消滅した。商品経済のさらなる普及は、クロイシア系の支配階級化を引き起こし、経済格差の拡大を助長した。非クロイシア系の民族が上流階級での重要な役割を果たす機会は消滅し、クロイシア系民族がその役割を独占したと考えられている。
ウィンザー文化第II期
xxxx年前頃からxxxx年前にかけての時代をウィンザー文化第II期に当たる。クロイシア系民族の勢力が政治力を拡大し、ナゴン諸島の支配を確立していった時期であった。鋳物屋、交易商人としてナゴン諸島に出入りしていた流浪民のボウル人たちが時代を下るごとに定住化して富を蓄え、彼らの社会構造が地元の人々の社会を支配、徐々に政治的に同化吸収するようになった。
この支配拡大の手段が経済的なもののみであったのか、それとも武断的であって武力で服属させるのが一般的であったのかどうかについては、現在でも議論がある。だが、手段はどうであれ社会の下層に彼らの社会構造はナゴン諸島全体に水平的に拡大していった。
金属加工の技術が飛躍的に向上し、よくできた工芸品や武器が副葬品などとして多量に残されている。広い地域で貿易を行っており、クロイシアの銀器・金器も見つかっている。またこのころ、銅に錫を混ぜて青銅をつくる技術、鋳型によって大量生産する技術がさらに急速に発達した。シーケンスやマルキフの鉛鉱は豊富な埋蔵量があったため、活発に採掘が行われ、大陸に輸出された。
ウィンザー文化第I期と異なり、この時代の人々の間では彫像への興味は急速に失われていった。たとえばワラドネギャの彫像群は、その当時でもいまだ祭礼の施設として使われていた可能性もあるが、この時代のはじめのxxxx前年ごろに作られた囲いを最後に、目立った意匠がつけ加えられることはもはやなくなった。
このころからナゴン諸島の広い範囲で、それまで無数に別れていた部族群はそれぞれ大きくまとまった諸部族となった。彼らは鉱物資源などを求めて争い、戦争もおこった。焼け落ちた集落も時おり発見されている。
この頃のナゴン諸島の人類はは20ヘクタールほどの土地を壕と柵で囲い集落を作った。そのなかで小豆を栽培し、豚などを飼育していた。戦士たちが貴族として支配層となり、農民たちは豚に犂をひかせていた。夜になるとボウルとよばれるベル型の器に小豆酒を注ぎ、晩餐を楽しんだ。戦士たちは時おり戦争に行き、勇敢さを競いあった。特に錫などの鉱山はしばしば争奪戦がおこった。というのも、こうした鉱物はクロイシアと取引するために必要だったからである。ビーカー人たちは金銀がちりばめられた美しい装飾品に魅せられ、クロイシアまで商取引に赴いた。死者には石碑をつくり、装飾品などを添えて埋葬した。
鉄器時代 (半分完成)
紀元前xxxx世紀頃、ナゴン諸島の各地に点在する諸部族は鉄を入手し拡大。それに伴い“国”への変態を遂げた。
小国の乱立
新石器時代にあっても、『古ローナ記 北東伝』からは現在のナゴン諸島は「アズキンニア」と称され、一定の領域を「首領」とよばれる権力者が統治していたことがわかる。各地に小国が乱立し、覇権をめぐって争っていたと考えられる。ただ、当時の集落は青銅器時代とさほど変わらず、首領を君主とする政治システムが成立したという点から国と呼称されることには留意が必要である。
鉄器時代には農耕の採用で穀物の備蓄が可能となったが、社会構造の根本は旧石器時代とさほど変わらず、実力社会であった。すなわち農耕の知識のある者が首領となり、その指揮の下で耕作が行われたのである。また、耕作技術の導入により、開墾や用水の管理などに大規模な労働力が必要とされるようになり、集団の大型化が進行した。大型化した集団同士の間には、富や耕作地、水利権などをめぐって戦いが発生したとされる。このような争いを通じた集団の統合・上下関係の進展の結果としてやがて各地に小さな国が生まれ原始的な国家システムが誕生するに至る。
紀元前x世紀頃から南部を中心に首領が強大な権力を持つ原始的国家が誕生した。当時の首領は戦闘に長けた者や農耕の知識に富むものが選ばれたが、占いで祭礼を行う者がなることもあった。農耕や漁業のスケジュールは首領によって管理された。
鉄器時代にはクロイシアとの交易がさらに活発化していった。鉄の利用による航海技術の進歩が大きな要因であり、鉄がほとんど取れない西アズキニアでは鉄をクロイシアとの交易に頼りきっていたため、原始的国家における交易の重要性は大変大きかった。
初期の製鉄は炉内に木炭と鉱石を層状に装入して鞴で空気を送って燃焼させ、一酸化炭素が鉄と結合している酸素を奪って二酸化炭素となり金属鉄になる。この化学反応に必要な温度は400から800度ほどで、温度が低ければ固体のまま還元されて酸素を失った孔だらけの海綿状の鉄になり、硬いものの上で赤熱のまま打ち叩いて不純物を絞り出し、鉄原子どうしをくっつけ直すことで純粋な鉄にすることができる。これが「鍛える」という操作である。更に炭に包んで炭素分を加えて鍛えることで「鋼」が精製できる。ナゴン諸島にはこのような製鉄技術はなく、各国は既製品としての鋼をクロイシアとの交易で入手していた。
後期には世襲制が確立され、一部の部族国家では首領である親の跡をその子が継ぐようになった。これは首領の権力の増大が原因であると考えられる。世襲制の影響が特に色濃く見られたのは、ダイナゴン島西部であり、この地域が島の中でも土壌が痩せていて、農業において強力な指導力を持つものの権力が増大する傾向が強かったからであると考えられる。世襲制の確立は権力の集中と内政の安定化を引き起こし、のちの五王国時代には東部の島嶼部に成立した国を除いてほとんどの国が世襲制を採用した。
北虜大乱
紀元前x世紀頃にはアズキンニア一帯で大戦争が起こった。これは当時中央平原で権勢を誇っていたライレルモ国に対しその他諸国連合が連合して戦ったものである。きっかけはライレルモ国が停戦を破ってマガタ国に侵攻した際に、首領の一族は公開処刑し住民を虐殺し当国の中心地の村を徹底的に略奪したことである。これに対し危機感を抱いた諸王国は普段は争いに明け暮れているにも関わらず、一時停戦して対ライレルモ連合を結成した。ライレルモは春に『我々の先祖の魂を蛮族どもが汚した』として連合に対し戦争を開始した。無論これは名目で真の理由があったとされるが確固たる証拠は見つかっていない。大乱の原因としてまず想定されるのは、アズキンニア王位の承継をめぐる争いであるとし、鉄器時代のアズキンニアは多くの政治勢力に分かれており、アズキンニア王は政治勢力間の利害を調整するために置かれていたと推定されている。しかし、利害調整を担いうる人物の不在あるいは調整不可能な程の利害対立の発生などにより、アズキンニア王位をめぐる大乱が生じたのではないかと考えられている。ただしライレルモ以前に「アズキンニア王」のもとでの政治的統合があったとする説には異論も多い。北東伝に出てくる帥升にしても、アズキンニアの統一的な王ではなく、一地方政権の王に過ぎなかったとも見える。一方で大乱の原因としては、アズキンニアの王の座をめぐる争いというよりは、前x世紀後半より始まった地球規模の寒冷化の影響を受けた土地収奪争いにあったとする説がある。
古典記ではライレルモは序盤から圧倒的な強さで敵を蹂躙し、わずか二カ月で勝利したとされる。ただし発掘からは戦いは冬まで長引き、辛くも勝利したというのが実際のようである。ただし、この戦いについて記した資料はクロイシアから渡来して永住したアレクサンドル・マリーが著した古典記以外になく、その古典期もライレルモ国側から書かれたものであるため情報が著しく不足している。この戦い自体なかったとする学説もある。
北虜大乱の歴史的意義として、ライレルモを中心とした新たな政治体制が再編成されたことが挙げられる。東部地方などで前x世紀まで盛んに創られた旗が前x世紀になってから急速に作られなくなっており、大乱と前10世紀前半のライレルモによる新政治体制は文化面でも大きな影響を与えた可能性がある。
また、この頃にクロイシアではローナ帝国が第二次帝政期へと移行し、中央集権と軍政改革の成功により他地域への侵略と入植を開始し強大な勢力圏を築くが、アズキンニアとの国境部の海峡はまだローナの支配下にはなく、西域と交易を継続していた。
ジラント朝の成立
ジラント朝アズキニア王国が成立する。ジラント家は有力な豪族であり、周辺の豪族を統合してアズキニアで最も巨大な勢力となった。そしてアズキニア王国を名乗り、アズキニアを初めて王国として統一した。
属州時代
西アズキニアは古ローナ帝国に征服され、属州アズキンニアが成立した。ローナ文明への同化が進み、インフラや技術が大きく発展した。一方で東アズキニアでは先史時代からの部族国家が存続した。
二文明時代
東アズキニアにはイケア文明とアクトル文明が成立した。
イケア文明は、紀元前600年頃、北上したアズキニア人の第一波とされるアカイア人によってシェイエロー地方で興り、地中海交易によって発展した。エステル諸島のアクトル文明との貿易を通じて芸術などを流入し、ついにはエステル諸島に侵攻、征服したと考えられる。このころ、イケアはシャルケー半島のケンリアをケンリアス戦争で滅ぼした。紀元前400年頃、突如勃興した海の民、もしくはクロイシア人によって、イケア、テーボルトが破壊され、イケア文明は崩壊したと思われる。また、内部崩壊説や気候変動説も存在するが、はっきりとした事情は不明である。この後、アズキニアは属州時代と呼ばれる支配時代に突入し、アズキニア人国家は形成されなくなった。イケアやテーボルトの遺跡などは1976年以降からジュライアーによって発掘された。
一方で西アズキニアには統一国家・文明がなく、トレアス半島に至っては多くの人類がまだ狩猟最終の生活を続けていた。
ローナ・コンクエスト
ルードヴィッヒ・バレンツがクロイシア征服戦争中の紀元前55年と紀元前54年に2度の遠征を行ったときが、古ローナ帝国とアズキンニアが直接に接触した最初である。ただ、この遠征は東クロイシアを掌握する一環として行われたものであり、アズキニアに恒久的な拠点を獲得するものではなかった。
紀元前40年にバレンツは再びアズキンニアへの遠征を画策したが、この計画自体は実現性に乏しく、その後ローナ帝国で政変が起こり、結局実行されなかった。
アズキンニアが実際にローナ帝国の勢力に組み入れられたのは、紀元前43年のシュヴァルツ帝の遠征によってである。このときベン・シュタイナーを総司令官とする4個軍団約4万のローナ軍は、ムンキア族の王ガラパゴスに率いられたナゴン人部族連合を破り、ついでシュヴァルツ帝自身による援軍を待った後、ムンキア族の都であるデッサーヴァンメル*34を占領した。直後にシュヴァルツ帝は同地で属州設置宣言を行い、紀元43年に属州アズキンニアが誕生した。占領当時はデッサーヴァンメル(後に植民市化)を中心とする南西部一帯のみを支配下に置いていたが、その後オーラ帝国は南部、西部、南西部の各方面に軍を展開、抵抗する部族を平定し、着実に領土を増やしていった。
属州支配の確立
属州アズキンニアの統治は、基本的に圧倒的な軍事力による武断統治である。総督には代々軍団長やそれに準じる経験を持つ者が就任し、前述のデッサーヴァンメルは退役兵に住まわせるための植民市とした。各軍団は、時代により異動があるもののシュマリ地方のイスカ・ドムニシン*35、ウルマティア南部のイスカ・ボーダード*36、マリオネアのポグロム*37、ポニエッタ北部のデウァン*38にそれぞれ正規軍団要塞を構え、各方面の辺境を守備するとともに属州領内部を監視した。領土内では、従属させた各部族をそのままオーラ式の行政単位に改変し、税を課した。しかし一方で、従順な部族の権利は実質的に温存された。また、ローナ軍に協力した隷属部族*39は一時的に独立が許されたが、王統が途絶えると軍事力でもって強制的に属州領に併合させられた。属州アズキンニア最大の先住民反乱であるチランコーカーの反乱もケマル族の併合に端を発する動乱であった。
以上のような統治体制の下で属州アズキンニアは比較的安定し、ヴァンドロシー総督の時代(78年 - 85年)にはシルプス*40東部を除くほぼ全領域を支配、属州時代最大の版図を現出した。もちろん帝国の力を持ってすれば東部の制圧は容易だったが、北部との交易収入は無視できなかったので支配はしていなかった。
しかしそれ以降は東部のイルマ族からの圧力が強まり、七雄時代には東部前線が後退するとともにハンブルの長城、シュタイナーの長城が築かれた。補助軍の基地の一つロールスルーズべン遺跡には当時の守備兵の風俗を伝える大量の木簡文書が発見されている。
アズキンニアには前述の通り多数のローナ軍が駐在し、総督には皇帝の信頼が厚い熟練した人材を充てられることが多かった。このためアズキンニア総督を経験した皇帝は少なくない。ペルティナクス、ゴルディアス1世がこれに含まれる。
百国時代
紀元前5世紀ごろには古ローナ帝国は、内部の反乱や度重なる政変によって弱体化し、ナゴン諸島の領土を失った。それによって出来た空白地帯にさまざま王国が乱立した。
ゲーテ人の侵入
古ローナ帝国の弱体化
紀元前523年、古ローナ帝国では次男のオクシターヌと長男のブラキア*41の間で後継者争いから反乱が勃発。反乱の影響は古ローナ帝国各地に影響を与え、アズキンニア属州も例外ではなかった。
アズキンニアの総督コミュミアヌはオクシターヌと親戚関係にあり、アズキンニアはオクシターヌ側につくことを決定しようとした。しかし、重臣たちはブラキアにつくことを主張。話し合いは紛糾し、ついに総督領と重臣領の間で戦闘が発生した。
五王国時代
大帝国
暗黒時代
23世紀の危機
2182年のエフォロ会議でアズキニアが三つに分裂してからもアズキニア世界は分裂の一途を辿った。2197年にはイドリュス王国が重臣らの反乱によって2つに分裂、2206年にはデリテニア王国が後継者争いから4つに分裂。それらの王国もさらに分裂を繰り返し、2226年の時点でアズキニア王国があった領域には17の王国が分立することになった。初期の政体を残しているのはシュマリア王国だけとなり、それも領土を初期の半分以下に減らしていた。
度重なる内乱によって疲弊していたアズキニアに追い討ちをかけるように2232年、北東の方角から「海の民」と呼ばれる海上民族がナゴン諸島北岸一帯に襲来。ロナント海岸を中心に海外沿いの諸都市を襲撃しステフブールやデリテーヌなどに激しい攻撃を加えた*42。これを受けて沿岸部の王国は内陸部の王国に対し援助を求めたが、殆どの場合有効な支援を得ることはできず両者の間に軋轢が生まれた。2234年には海の民はレヴァン川やシビュラ川にも侵入して河川沿いの都市を徹底的に略奪。海の民は一連の略奪によって、農村や都市の男を虐殺し、女子供を攫った上で奴隷として持ち帰り、農地を焼き払い食料を略奪した。これによって食糧危機が起こりクロイシアや南メロビア諸国から食料を輸入しなくてはならなくなったためアズキニアからの莫大な金銀の流出を招いた。さらに海の民に対し有効な対処ができなかった王に対し農民の間では不満が高まり、各地で農民反乱が多発した事もアズキニアの荒廃を加速させた。海の民はその後も2240年まで継続的に略奪を続けながらトレアス半島付近に定住することとなる。
さらに2233年夏にはコーラント海の突発的な温暖化による偏西風の異常強化により、アズキニア全体で降水量が増加。特にロード山脈以西のダイナゴン島では飽和水蒸気圧の低下により大量の水蒸気を含んだ強い偏西風がロード山脈に強くぶつかった事で大量の雨が降り、各地で洪水や土砂崩れが発生した。ロード山脈を挟んだ中央平原でも全体的に曇りや雨の日が増加し、植物の生育にとって重要な夏季の日照量が大幅に減少した。しかし2235年夏には一昨年の反動により偏西風が例年より大幅に弱体化。今度はロード山脈を卓越し乾いた偏西風が中央平原に吹きつけ、中央平原一帯で大旱魃を引き起こした。主要河川も流量が大幅に減少し、シビュラ川では一時期水が無くなり底が見えるまでに乾燥した。これらの異常気象はアズキニアの農業に大きな打撃を与えた。
また、2236年には白腐病と呼ばれる結核の一種がアズキニアに到達。初夏にシューローリンゲンからイドリュスに来航した一隻のの奴隷船によって流入したとみられる白腐病は23世紀全体を通してアズキニアで猛威を振るった。白腐病は死者の呼吸器系が収縮して真っ白になる事からその名が付けられ、外見上は一般的な風邪の患者との見分けがつけ難い。感染から短くても5日で発症し、潜伏期間の長さによりレヴァン川などによる水上交易が盛んだったアズキニアでは山地や孤島を除いたき瞬く間に全体に感染が拡大した。また白腐病は主にゴキブリなどの昆虫に付着する細菌や待機中のエアロゾルによって媒介されるため感染源の特定及び感染防止が大変難しく、「水に5分沈めば治る」や「蛇の頭を食べれば治る」などの誤った憶測や迷信が横行し更に被害を拡大させた。このような理由から陰謀論などが大きな広がりを見せ、「術者狩り」と称した無作為な無差別虐殺や「解脱」と称した集団自殺が各地で見られた。このようにアズキニアに於ける白腐病は他地域における被害より突出して深刻で、前述した異常気象に伴う社会不安と食覆危機で免疫が下がったアズキニア人に壊滅的な打撃をもたらした。一回目の感染拡大は2238年秋頃にピークを迎えたと見られる。また、2233年と2235年に発生したもの程の規模ではなかったが、2230年代後半には小規模な異常気象が継続的にアズキニアを襲い、気候が完全に回復するには2239年の冬を待たなければならなかった。
異常気象が収まりつつあった2240年初春頃、ペリシテ半島沖でマグニチュード8.3の大地震が発生。これに伴って発生した津波も沿岸部に大きな被害をもたらした。ペリシテ半島付近が入り組んだ離水海岸であったことから津波の規模は大きく歴史に残るような災害にはなったものの、もともとそこら一帯は気候と地勢の影響で人口が少なく、地震と津波の被害は限定的なものでしかなかった。2040年春、ムヘネトリー火山にて火山爆発指数7相当の破局噴火が発生。数日前から噴火の予兆としての地鳴りや揺れはあったようだが、ペリシテ半島沖地震の余震と見做され警戒されることは殆どなかった。噴火に伴う大爆発音は極めて広範囲に伝わり、1000km以上離れた場所でも聞こえたという。火砕流は急速に山を下り、最大で130km先まで到達したとされる。一般に火砕流は低地に沿って流れる傾向を持つが、300m以上の高さを持つアマルティア山系を越えた地域にも広がっており、標高700m以上の高地にあるタルヴァ湖でも堆積物が確認されている。この火砕流堆積物は最大層厚は80mに及び、ここら一帯に広がるサダリア台地を形成した。火砕流から巻き上げられた火砕物は偏西風に流されて南東へ広がり、アズキニア列島各地に降り積もった。ティアナスファでは50cm以上灰が降り積もり、中央平原でさえ6cmの厚さの降灰があったとされる。この時に降ったとみられる灰の地層はカーゾン島や西メロビアでも確認され、この時代の広域テフラとなっている。噴火の総合的なエネルギーは10^26エルグと推定されており、また噴出物総量は約90km3*43であった。マグマ噴出量は1.4×1014kg、熱エネルギーは1.3×1020J、最大噴煙高度は37km、最大噴出率は1.9×108kg/s、噴火マグニチュードは6.2とされる。
噴火から30分も経たずに火砕流は火口から20km離れた街*44を一瞬で滅ぼし、ロード山脈の東西を数十の村落を消滅させながら駆け下りるように流れた。特に南部のレヴァン川渓谷に流れた火砕流はティアナスファにさえ迫ったとされ、火山噴出物の影響によりレヴァン川は1年間に渡って川底が見えず濁ったままであったと言う。火砕流は半径150km圏内に居た80%の人々を6時間以内に窒息死させ、木々や家などのすべての建造物を飲み込んだ。火砕流によって直接被害を受けた地域は主に山岳部であったため、この時点では中央平原への被害は限定的だった。噴き出した大量の溶岩と火砕流はムヘネトリー周辺一帯に新たな地形を構築し、現在の北ロード山脈の水捌けが良すぎる大地を形成した。しかし、より打撃をもたらしたのは他でもない火山灰であった。
アズキニアに於ける火山灰の害はアズキニアの人類文明に回復不可能なレベルの打撃を与えた。降り注いだ大量の火山灰によって農地は使用不可能に陥り、滞空する粉塵によって日光が遮られたことによって植物の生育に深刻な悪影響を及ぼしたため、全土で史上類を見ない規模での飢饉が発生した。最初の一週間は「火の七日間」と呼ばれ、空では大量の火山灰によって日光は遮断され、ムヘネトリー火山だけが唯一光り続けたためこう呼ばれる。火山灰は中央平原を中心にアズキニア全土に降り注ぎ、アズキニア全体を回復不可能なまでに壊滅させた。大量の粉塵は風によって世界各地の空に運ばれ、数年間に渡って待機中に滞留したことがコールドランド島の氷床コアの硫酸エアロゾルの測定によって判明している。大量の火山噴出物日光を遮った事で惑星全体の気温は最大で3度低下し、世界各地の農作物や植物に大きな影響を与えた。この時期に文字を残すことができる文明自体少なかったため資料に乏しいが、東ニューラシアでは寒さのために木々が枯れて稲作や水牛も被害を受け、霜によって畑が大きな被害を受けた。遠く離れたスメラシナでも、火山灰が混じったと見られる赤い雪が降った事が文献によって確認されている。その他惑星全体に噴火の影響は及び、アズキニア外でも200万人近くが噴火に伴う飢饉の被害を受け、25万人近くが餓死したとされる。
またアルトー海峡及びラミダス海峡、レヴァン川河口が完全に凍結したことによってマトリア海の海上交通は崩壊し、アズキニアの貿易網は壊滅。また、凍結した海峡を渡って遠く西メロビアから「タファール」と呼ばれる騎馬民族が侵入を開始した。
これら23世紀の危機によってアズキニア世界の人口は23世紀の始まりの6分の1までに減少し、文明レベルは200年近く後退した。アズキニアの人口が再び23世紀初頭の水準に回復するには800年を待たなければならず、その後1050年近くに渡ってアズキニアが一つの王朝によって統一されることはなかった。2240年のムヘネトリー火山の噴火から3418年のダーウィン帝の即位までを暗黒時代と呼び、アズキニアが技術的にも経済的にも大きく後退した時代となった。
無主時代
ムヘネトリー火山の噴火を始めとする国難によってアズキニア地域の殆どでは支配制度が消滅し、封建社会は完全に崩壊した。大半の地域では技術レベルは新石器時代にまで後退し、製鉄などの技術が失われた地域もあった。
ランジュー帝国時代
注意:この項目では便宜上ランジュー帝国という国名が用いられますが、これはネルベル合同から小諸島戦争に至るまでアズキニア王国を含む、ジラント家が統治した領域の歴史的俗称であり、正式名称ではありません。ただ、ランジュー帝国内の国家は全てアズキニア王国の強固な支配下にあったためほとんどアズキニア王国と同義と考えて貰って構いません。また、ジラント朝は現在まで続くアズキニア王国の唯一の正当な王朝であるため、ジラント朝アズキニア王国の誕生は紀元前十八世紀頃となります。
東方の軛
アズキニアはランジュー帝国の東西分裂により、東西に分割され、辺境部は数多の国家に分かれ独立する。広大な大陸領土を次々と失陥しその後ポラリス諸島を除いたアズキニア本土はマトリア海を境に西ランジュー帝国はユーラン帝国王家に継承、東ランジュー帝国はメロルビア諸国連合に加盟してマクウルの支配下になった。
また、この頃から戦乱によって荒れ果てた聖都地方に変わって中央平原の生産力が急速に向上し始め、レヴァン川とロースラ川を通して西アズキニアの南北を繋ぐ地点であるシュマリの重要性は低下した。それに加えてラミダス・アルトー海峡の価値の上昇もそれを後押しした。もともとラミダス・アルトー海峡は西アズキニアの富の集約地域であるマトリア海に入るために絶対に通る必要があるので重要性は高かった。しかしチュウナゴン島を通してさらに東部との交易が活発化したり南部のエステランドとの安全航路が確立されたりしたこと、レヴァン川とロースラ川を支配するのが単一勢力でなくなったことで政情不安などからこの二つに大河を利用する意義が低下したことが挙げられる。
戦国時代
ジラント朝の運命 (完成)
1275年2月23日、サンプレヒト王国の創始者となるアムアールは、シェイエロー諸島のダーメルに生まれた。アムアールが誕生した当初、大帝国であったアズキニア王国は東のオデシア王国と西の神聖ローナ帝国からの侵攻を受けてすっかり弱体化していた。第五次アズキニア遠征に伴うへフェンステッドの戦いの敗北によってナゴン諸島を完全に喪失した1280年以降、アズキニア王国はレーベルとダーメルを拠点にしてシェイエロー諸島中部を支配し、南部のオデシアと北部のキール人に挟まれながらもなんとか国を維持していた。しかしオデシア王国はたびたび北シェイエローへの侵入を試み、アズキニアを脅かしていた。
1300年、オデシア王国の王ユルマ5世はアズキニアの後継者争いに漬け込んで領土を奪うべく2万の軍勢を率いて、既に支配下にあったバクシス島のカドワから海を渡って北に侵攻。1299年に後継者争いに勝利して王となったアムアールをはじめとするアズキニア残党は必死の抵抗も虚しくプルファ島南部のレーベルを占領される。同年にアムアールは奇襲によってユルマ5世からレーベルの奪回を試みるもユルマ5世に敗れ、プルファ島南部を諦めてダーメルに逃れた。1304年以降、ダーメルも安全ではないと考えたアムアールは他の王族の反対を受けてもなお単独で、当時アズキニア王国の支配に抵抗していたユメイ島のオディルネを新たに対オデシア王国の拠点とすべく北に遠征し、1305年にこれを征服した。だが、1307年にユルマ5世は最後の遠征としてプルファ島北部に侵攻。オデシア軍がダーメルに迫った時、ダーメルに残存していた貴族は絶望的な状況で抗戦を主張するアムアール1世を見限ってその従兄弟のユレウスを王に即位させ、命の安全と身分の保証と引き換えにオデシア王への降伏とアズキニア王位の譲渡を行なった。こうしてアズキニア王国は一時的に滅亡した。ただしこの時にオディルネにいたアムアール1世は自身を正当なるアズキニア王として宣言し、亡命王朝を樹立した。これを機にアムアールはもはやオデシア王国に武力で対抗することは不可能と悟り、ジラント朝存続の道を探り始める。
その後もアムアールは現地の諸侯と同盟してオデシア王国に対抗しようとしてきたが、歴史的な対立による摩擦から強力は結局うまくいかず、そもそも諸侯たちの力も微々たるものであった。1311年、アムアールは最後のプルファ島征服を敢行しオデシア王国に侵入して一時的にダーメルを奪った。だが、アムアールの帰還によりダーメルが戦場になること嫌ったダーメルの住民は早くも離反し、1312年にダーメルはユルマ5世に奪い返された。これを最後にアムアールは完全に領土奪還を諦め、プルファ島奪還を目指してオデシア王国に攻撃を行うことはなくなった。
これらの事情により、アムアールはナゴン諸島でのアズキニア復活を事実上あきらめなければならなかった。この後の数年間は、アムアールはオディルネを中心に最後の領土ユメイ島の支配を固めることに専念するようになる。そしてアムアールが長年の試行錯誤の末たどり着いたのが、ユメイ島を放棄して、諸島連合が支配するカリエ島やシマン諸島を奪ってさらに東に逃れ、さらにその先の辺境まで征服するというもでであった。これらの島々はアズキニアにとって辺境であったが征服する価値がなく、オデシア王国から逃れるには最適な土地であった。諸島連合とはカリエ島、シマン諸島を支配していた勢力であり、その実態は各島々を収める豪族の集合体のようなものであった。諸島連合はもともとアズキニアに対する緩やかな従属の代償として、不可侵を約束されていた。しかし、アズキニア王国は弱体化しきった当時では従属は形骸化しており、諸島連合はアズキニアとほとんど対等な関係にあった。もとよりユルマ5世がシェイエロー諸島を狙ってユメイ島に攻めてくるのは時間の問題であったし、アズキニア亡命政権が逃げる場所はそこしかなかった。
1317年、アムアールはついに家臣の反対を押し切って、諸島連合に対し侵攻を開始。当時オデシア王国の勢力はさらに力を増しており、ハテス海をアズキニアの船が自由に通ることもままならなくなっていた。これをユメイ島侵攻の前兆と見たアムアールは、諸島連合の首長が死んで後継者が決まっておらず不安定になっていた1317年を絶好のチャンスとみていたのである。アムアールは1400の軍を率いてカリエ島の西端のパウラに上陸。西カリエ山地を東西から迂回し、首都トゥーカーンで継承の話し合いをするため軍をシマン諸島においていた諸島連合の隙を突く形で最大首都ヨルラントを占領した。これには諸島連合の政治体制に不満を持つカリエ島西部の有力な諸侯の協力もあった。そして、1320年3月、アムアールは協力した諸侯の軍と合わせた2,000の兵をもってイート海峡を越えてシマン諸島に侵入し、1320年4月にアムアールの軍は諸島連合の軍とトゥーカーン付近のルルーシュラントで対峙した。同月21日、およそ一週間にわたる対峙ののち、両軍は刃を交えた。諸島連合の君主ララク・オクシタニアは1万以上の兵を擁していた。だがアムアールは、圧倒的な兵力差を大砲などの火器を駆使して諸島連合の大軍を破り大勝し、この戦いでララク・オクシタニアを討ち諸島連合を滅ぼし全土を支配下に置いた。
しかしアムアールの警戒はそれだけでは止まらなかった。シマン諸島はユメイ島からある程度離れているとはいえハテス海に面していたし、狭い海峡を通してシェイエロー諸島と接続されており、侵攻の可能性がないとは言い切れなかったためある。アムアールはシマン諸島の北の海の果てに豊かな大地があるという伝承をもとに積極的に北の海に船団を派遣。結局新天地を見つけることは叶わなかったが、1324年にシマン諸島の北東にてカーゾン島などから成るポラリス諸島を発見した。ポラリス諸島はシマン諸島などから十分に離れており、オデシア王国から逃れるには絶好の地であった。アムアールはカーゾン島の複雑な地形を目にして、島を丸ごと要塞家すればオデシア王国のからの攻撃を防ぐことができると気づき、1326年に城塞都市サンプレヒトの建設を開始した。カーゾン島には多数の原住民が住んでおり、それらを強制労働させることによって建設は進められた。原住民は独自の文化を持ち平和に暮らしていたが、強制労働の負担や虐殺、アムアール一行が持ち込んだ疫病などによって大きく数を減らし絶滅した。また、シマン諸島などからも旧諸島連合兵などが徴発され建設に従事した。
1330年、アムアールの予想通りユルマ5世は7万の兵を連れてカリエ島への遠征を敢行。アムアールは抗戦か逃避かの決断に迫られたが、ジラント朝の存続のためポラリス諸島への逃避を決断。1331年にカリエ島を放棄しシマン諸島を経由してサンプレヒトに逃れた。この時一部の交戦派はシマン諸島に籠城し抵抗を試みたが、軍事の才能に長けたユルマ5世の大軍に蹂躙されて全滅した。1333年にカリエ島とシマン諸島は正式にオデシア王国の領土となり、アムアール率いるアズキニア亡命政権の領土はポラリス諸島のみになった。これ以降のジラント朝によるポラリス諸島の亡命政権を都市名にちなんでサンプレヒト王国と言う。
このようにしてジラント朝アズキニア王国はアムアールの活躍によってサンプレヒト王国と形を変えながらも存続することができた。サンプレヒト王国になったことによって領土は最盛期の5%まで縮小されたが、1335年にオデシア王国国王ユルマ5世が死去したことによって危機は去り、アムアールも1337年に死去したものの彼の子孫によってジラント朝は途切れることなく存続していった。しかしながらアズキニアは依然として外部勢力によって支配され、外部勢力がさった後も各地で諸侯が台頭し国が分かれる時代が続いた。ここからジラント朝の末裔が聖ティアナスファの王冠を再び手にするには200年近く待たなければならない。
小諸島戦争
大諸島戦争
ここら辺の歴史は諸侯が散らばっててものすごく複雑なので三行でまとめると
途中から執筆を開始して見ました。EU4などを参考にしております。
遂にフィガーラ朝アルトー王国とメユン朝フューランド王国の軍は1548年3月23日、メクトフォール近郊で遭遇した。アルトー王国の兵力は4万6000、フューランド王国の兵は5万2000であり、オデシア王国の義勇軍と合わせて7万1000であった。現在のメクトフォールを流れるシキュリラ川を挟んでアルトー軍は南西、フューランド軍は北東に布陣し、数日間睨み合いが続いた。4月5日フューランド軍が先にシキュリラ川を渡って攻撃を開始。
外部からフルボッコにされた衝撃でバラバラになって
みんな全国に分かれて戦って
最後に昔から続くテラリシオス大王のアルトー家が勝ってジラント家との結婚でアズキニア王位を正式に継承し、統一した
ってことです。いずれ詳しく書きますが、近世の歴史は得意じゃなくて...。ナポレオン戦争以後くらいが一番得意なんですよね...
新大陸へ (完成)
時は遡り1497年、自由都市イドリュス出身の航海士セザンヌ・ベルメールは当時のアルトー王国*45国王フェミリア二世に東への航海費用の捻出を打診する。当時、ニューラシア大陸に渡るにレームセット海*46もしくは南大泉洋を通ってクロイシアの南か北を大きく迂回しさらに西に航海する必要があった。しかしセザンヌは世界は球体であり、大泉洋を北東に航海し続ければ西ニューラシアに到達できると考えていた。これは必ずしも安全ではないクロイシアを経由せずに直接ニューラシアと交易ができるということを意味し、アズキニア全体にとって大きな魅力であった。1502年8月3日、セザンヌ一向はフェリクト港からニューラシアを目指して大泉洋へ出航した。このときの編成はメーベル船のアニャー号とシカール号、ゴア船のロヴァ・ドリーネ号の5隻で総乗組員数は約90人。
いったんモルー諸島へ寄り、大航海の準備を整えたあと、一気に東進した。南大泉洋は島の少ない海域であり、船員の間には次第に不安が募っていった。度重なる嵐で貴重な食料や水が流されたことによって船内は慢性的な食糧不足であったことや、壊血病によって船員の5分の1程度が死亡したことも一因である。当時の最新科学では地球が球体であるということはほぼ常識だが、船員の間では地球を平面とする旧来の考えも根強く残っていた。セザンヌ自身は平気なふりをしていたが、長い航海となったことに不安を感じるようになる。10月6日には小規模な暴動が起こり、3日後には船員の不安は頂点に達し、セザンヌに迫って「あと10日で陸地が見つからなかったら引き返す」と約束させた。その後、ココナツの実などを発見し陸が近くにあると船員を説得する。
そして10月14日夜明けごろ、船員の一人が東の方角に陸地を発見。セザンヌは小型ボートで上陸し、アルトー王国領土として宣言。これがアズキニアによる西オメガ支配の始まりである。彼らが上陸したのは現在のアズキニア王国領西オメガ直轄領に属するコトン半島の付け根あたりであり、東である程度発達した文明を築いていたテープコナル人と違って原始人しかいなかった。セザンヌ一向は上陸場所をニューラシア大陸だと思っていたため原住民をニューラシアンと名付けた。セザンヌはニューラシアンと交流を試み、交易によって船の中の小豆と引き換えに原住民のつけていた金のネックレスを入手する。セザンヌはこの航海でニューラシアの文明を見つけれてなかったため、第一次航海の重要性を証明し第二次航海にこぎつけるためにも金のような価値のある物品の入手は彼にとって必須であった。セザンヌはこの島で交易を行い、次に現在のタルカソーヌ島を発見した。ここを「ブルチ島」と名づけたあと、11月6日にはロヴァナシャーニャ島と名づけた島に到達。そこで簡易的な要塞を建設し、西オメガにおけるアズキニア初の入植地を作った。この入植地には27名の男性が残った。第一次航海では発展した文明を見つけることはできなかったが、地球が球体であるということが証明されニューラシアへの新航路を獲得したという意味で大変重要なものとなった。ただ、この時航路は嵐などの影響で北東から東北東にずれていたようで正しい方向に進んでいなかったことが帰りの航海で分かる。いずれにせよ当時のアズキニアでは東北東にニューラシア大陸があるとの通説が広まった。
セザンヌは1503年12月15日にデリテーヌ港へ帰還した。帰還したセザンヌを歓迎して宮殿では盛大な式典が開かれた。セザンヌは航海に先んじて、発見地の総督職、世襲提督の地位、発見地から上がる収益の10分の1を貰う契約を交わしていた。この取り決めに従い、セザンヌはニューラシアンから強奪した金銀宝石、真珠などの戦利品の10分の1を手に入れた。また陸地を発見した者には賞金がアルトー王国から与えられることになっていたが、セザンヌは自分が先に発見したと言い張り、これをせしめている。国王に調査報告を終え、少しばかりの援助を求めたセザンヌは、次の航海目標としてこう述べている。「彼らが欲しがるなら私はありったけの黄金を持ってこよう。彼らが欲しがるならありったけの香辛料を持ってこよう。彼らが欲しがるならありったけの奴隷を持ってこよう。」ニューラシア発見の功績と折からの関心の高まりによって、セザンヌは2回目の航海の資金を難なく作ることができた。
1506年の9月に17隻1,500人で出発したセザンヌの2度目の航海は、その乗員の中に農民や坑夫を含み、交易拠点の建設目的であった。11月にロヴァナシャーニャ島と名づけた島に到着したが、前回作った植民地に行ってみると基地は荒廃しており以前置いて行ったはずの人々は誰も残っていなかった。セザンヌはここを放棄して新しく「ヨークト植民地」を築き交易拠点の完成を目指した。しかしアズキニア人入植者の間では植民地での生活に不満の声が上がり、セザンヌは仕方なく本来全て自分の取り分であったはずの土地を入植者の私有地として与え、先住民と交易したり奴隷にしたりすることを認めた。これによって植民者や船員の士気は大きく向上し、しかしセザンヌは本国が求めていたニューラシア文明と思われるような文明を見つけることができず、奥地にいけどもあるのは原始的な集落と鬱蒼と茂る亜熱帯林のみであった。さらにセザンヌが発見した土地では入植者が持ち込んだ小豆が育ちにくく、恒久的な入植地の建設はもはや絶望的であった。セザンヌは失意のうちに帰還し、そこからも3回航海を続けたが遂にニューラシア文明を見つけることはできなかった。
一方で1514年、セザンヌの発見は誤りであったことが分かる。セザンヌの甥であるユーラン・ベルメールがニューラシアとされた大陸に行くため東北東に向かったときに嵐で大きく進路が北にずれ、北東に半年近く流された結果、現在のヤーラッパの西端に到達したのだ。当初ユーランは海岸近くのは風車や家を見て、ニューラシアとは全く別の文明と邂逅したと錯覚した。しかし彼は西ニューラシア語で話されている言葉を理解できる通訳を連れており、通訳がニューラシアの言葉が通じることに気づいたため、彼の叔父が探し求めてきたニューラシア文明であることが明らかとなる。現さらに地にあった王国と国交を結無事に成功し、ニューラシアの真の発見の確固たる証拠である国交の書簡を得ることに成功した。ユーランの帰還はその3年後の1522年であり、当時死んだと思われていたユーランは到着したデリテーヌの港で住民に大変驚かれたという。ユーランの発見はすぐさま彼の叔父と王室に伝えられ、書簡の厳重な鑑定が行われた結果ユーランがたどり着いたのは紛れもないニューラシア大陸であることが認められ、ユーランはニューラシア大陸発見者の称号を手にすることになる。しかしユーランが到達した陸地がニューラシア大陸であることが証明されると、当然セザンヌが発見した陸地に関する疑問が生まれた。
当初セザンヌが発見した陸地はニューラシアと接続されている陸地なのか、それとも全く新しい巨大な陸地なのかが最大の疑問点となった。後の航海でセザンヌが発見した大陸は新大陸だということが分かり、「オメガ大陸」と名付けられた。既に一線を退いていたセザンヌは、この知らせを聞くなり「私は誰も見つけていない大陸を発見したのだ。既に知られているものを発見するよりはるかに難しいだろう!」と言い新大陸の発見の功績を手に入れたことに喚起したという。また、幾分か前からオメガ大陸の入植地にて芋類や熱帯の豆などが生育に適していると判明し始め、食糧事情が大幅に改善されたことから本国での農地不足にあえぐ農民やエステランドなどで迫害された人々を中心に急速に移民が来始めるようになり、無益の地と思われていた西オメガの入植地は畑が広がる豊かな大地へと変貌した。この頃原住民を奴隷にし金山や銀山が盛んに採掘されるようになり、それも本国に莫大な収入をもたらした。こうした功績からセザンヌに対する評価は見直され、セザンヌは王室から西アズキニアに広大な私有地を与えられ、同時に貴族の称号を手にした。
地位と名誉を手に入れたセザンヌは彼の甥が発見したニューラシアに行くことを夢見ていたが、1517年にデリテーヌで風を拗らせて肺炎にかかり、54歳で死亡した。セザンヌが発見したオメガ大陸はアズキニアからの入植者によって数世紀にわたって支えられ、テープコナルとの本格的接触まで安定した発展を続けていった。
アズキニアの完全統一
エステランド侵攻(完成)
1679年、アズキニア王国エリス・ヨルダーは神聖皇帝アミネスター3世の名の下でエステル諸島の大部分を占めるエステランド島に位置するエステランド公国に侵攻する。事の発端は1777年、アズキニア王国の南方軍司令官エリス・ヨルダーが四年戦争での勝利への貢献に対する褒美を求めたことに始まる。王室はそれに対してヨルダーに褒美としてエステランドの支配権を与えた。エステランド島は一司令官が褒美として受け取るにはあまりにも広大であったが、当時エステランド北部のミュッスター植民地はエステル人の反乱によってすでに壊滅していた。アズキニアはエステル諸島においては北部に僅かにルガースイ島とそのほかの小規模な島々をいくつか押さえているにとどまっており、支配は名目上のものであって実効支配していたのは多民族であった。そのため王室にとってはエステランドを手放すデメリットは全くなかったのである。王室にとってはヨルダーがエステランドを制圧できずに所領を得られないまま司令官としての勤めを終えることが最も望ましいシナリオであった。
そして1679年4月、ヨルダーは自身の支配下の6万7000の軍を引き連れエステランド島北部ミュッスターに上陸。ヨルダーの戦闘は私闘とみなされており王室から兵糧などの援助を得られなかったため、ヨルダーは兵站の安定のためミュッスターで徹底的な略奪を行なった。
ミュッスターを陥落させるとヨルダーは続いて軍を幾つかに分けて南下を開始。鹿と馬の雑種を利用した軽騎馬兵を用いて、少数精鋭の重装歩兵突撃戦法で対抗するエステランドの現地国家兵を機動力と数で圧倒した。1679年12月にはエステランド最南端の街ママリースを攻め落とし、エステランドでの交戦戦力は消滅した。
エステランドにはケテルオ人と呼ばれるアズキニアのナゴン諸島の人々がいたが、ヨルダーは彼らから肥えた農地を奪って南部の痩せた大地に追いやり、抵抗をした住民がいる村に対しては虐殺を行って土地は自らの兵に分け与えた。こうしてエステランド北西部からはケルテオ人は消滅し、民族浄化が行われた。また南部の痩せた土地での農業は困難を極め、さらに1680年の冬には史上類を見ない寒波がエステランドに到来し、エステランド南部の農業は壊滅的な打撃を受けた。そのため南部に逃れたケテルオ人も多くが餓死・凍死し、17世紀の間に少なくとも合計470万人の人がエステランドから消えた。
ヨルダーの遠征によってエステランド島はヨルダーの領地となり、ケリテオ人を追い出した北部ではアズキニア人の入植が進み、南部ではケルテオ人を使ったアズキニア人地主による農場がいくつも建設された。王室はヨルダーが北エステランドを完全に征服したことに驚いたが、約束をした手前エステランドの支配権を認めるほかなかった。しかし当のヨルダーも軍事的才能こそあったが、統治の腕は酷いもので先住民反乱が相次ぎ税もほとんど徴収できていなかった。そこで1688年のティエルアミナ条項でヨルダーはエステランドの徴税権などをアズキニア王室に正式に献上して統治は任せ、自身とその子孫が名ばかりの領主として分前をもらうことで合意した。そのためエステランドは名目上はヨルダーとその子孫の統治領とされ、正式にはアズキニアに編入されなかった。しかし実態はアズキニア王国の植民地で、前述の通り北部を中心にアズキニア人が入植し、南部ではケルテオ人を使った農場が運営された。
このようにしてエステル諸島はアズキニア王国の支配下となり、今後数百年にわたってアズキニアによる苛烈な支配が続いた。両民族による和解は進んでおらず、それは現在でも大きな対立の主要因の一つとなっている。
産業革命
クロイシア大陸での戦乱に危機感を感じ、アズキニア王国は徹底的な軍備拡充と国家体制の近代化を行った
アズキニアにおける産業革命の発生原因は大きく分けて2つある
帝国主義の目覚め
サークル帝国?への侵攻 *47
アズキニア王国が最初に目をつけたのは大泉洋の北東のサークル帝国?であった。サークル帝国のあった丸々島?は石炭を豊富に算出することで知られており、アズキニア王国は当時アズキニア市場内で不足していた石炭を賄うために丸々島の獲得を目指すようになった。サークル帝国は当時1694年に即位したカネ・サン(サン6世)によって圧政が敷かれており、大虐殺や大粛清で十万人近くの人が処刑された。
アズキニア王国は1697年、サークル帝国に対し石炭の採掘権の購入を打診し、アズキニア王国のへフェンステッドで両国間交渉がなされる。アズキニア王国は六千万ダカット*48での買収を図るが、これをサークル帝国側は拒否。おまけに「我が国の石炭は我が国民のためにのみ使われるべきであり、我が国に他国に渡す石炭はない。六十億なら売ってやらんこともないが。」と返答したことで交渉は決裂。これに対しアズキニア側の大使は激昂し、本国へ送った手紙には「あんな腐った国には死んでも行きたくない」と書かれていたとされる。そして大使の手紙は新聞で誇張されてアズキニア国民に伝わり、アズキニア国民の間に強い反サークル感情が生まれた。国民の強い反サークル感情を無視できなくなったアズキニア政府はサークル帝国に対し禁輸をする。この決定によりアズキニアでは石炭の値段が上昇したが、サークル帝国はもともと外国に対し石炭の輸出量の上限を決めていたため大きな打撃にはならなかった。しかし、サークル帝国ではアズキニア王国領西オメガから砂糖やとうもろこし、植物油などの輸入が途絶えたことでこれらの商品の値段は最大で四倍に跳ね上がった。これが引き起こした市民の生活苦はサークル帝国内でのカネ・サンへの批判につながり、1698年には首都では砂糖の安売りを求めて暴動が起こった。これに対しカネ・サンは軍隊を出動させ武力で鎮圧させ、二千人以上の市民が殺された(血のマールバーグ事件)。この時殺害された市民の中にはアズキニア王国の大使の召使の少年がおり、アズキニア王国はこれに介入し賠償金の支払いを求めるが、カネ・サンは拒否。これを受けアズキニア王国はサークル帝国に宣戦布告し、通称「亜丸戦争」の火蓋が切って落とされた。
アズキニア軍は4月20日、10万人で南部の三箇所から上陸戦を展開する。この時サークル帝国は防衛陣地を築いており、6,000人が防衛していたが、アズキニア王国軍は十二時間にわたって海上から砲撃を浴びせ続け、これを壊滅させた。そして翌21日、アズキニア王国軍は悠々と上陸し残存兵を駆逐した。その後サークル帝国の首都マールバーグを目指し、その前地となる南部平原は主戦場となった。
アズキニア軍は分進合撃を企画して南部平原へ進撃し、シェクイ軍56,000人はラルト付近、第一軍33,000人はエッセス付近、第ニ軍15,000人はゲルナール付近に集結した。26日にはシェクイ軍が進発して南部平原に侵入して28日に南部の主要都市ドレを占領した。サークル帝国軍はドレの陥落より、この方面がアズキニア王国軍主力とみなしてユーベを離れヨーゼフシ要塞まで前進した。29日、アズキニアのシェクイ軍は第一軍とアルチャーンで合流すべくく東進し、ラルクを経由して5月5日日頃には南部平原の北端ガッベルスに到達した。アズキニア第一軍は集結地エッセスを進発して5日にライヘンブルクへ到達してシェクイ軍と併進態勢を取った。
アズキニア第一軍がアボット、第二軍がジェラール平原でサークル帝国軍と戦闘になったが、装備の良いアズキニア王国軍が勝利し、サークル帝国軍は甚大な被害を受けた。
サークル帝国軍軍総司令官は戦闘に自信を失い、講和を上申したが、サークル皇帝の意向は決戦であった。サークル帝国軍はアラルダ要塞の西北近郊のケンム高地を中心に布陣した。
5月13日朝、第二軍は未着であったが、地勢に有利なクルム高地のサークル帝国軍15万に対し、第一軍とシェクイ軍の約8万のアズキニア王国軍が攻撃を開始し、アラルダの戦いが始まった。前夜の雨は上がっていたが泥濘の中で、サークル帝国軍の抵抗にあいアズキニア王国軍の進軍は低下した。
午前中からの戦闘は戦力が拮抗していたが、午後になって約2万人のアズキニア第二軍が戦場に到着し、作戦通りの三方からの包囲攻撃が成立した。戦況は一転し、第二軍が攻撃したサークル帝国軍右翼が崩れはじめると、中軍も動揺して退却が始まった。また、銃の性能差による慢性的なサークル帝国軍の疲弊が現れ始めていた。アズキニア王国軍では奪取した高地に砲兵を挙げて退却するサークル帝国軍を砲撃するだけでなく、騎兵と歩兵による追撃を続けた。サークル帝国軍はヤックシロ川へ追い落とされて全滅した。
こうしてアラルダの戦いは一方的な結果となり、アズキニア王国軍の死傷者はニ千人に留まったのに対し、サークル帝国軍の死傷者約五万人、捕虜十万人を数えた。
また、カネ・サンの暴政に耐えかねた人々がアズキニア王国軍の侵攻に呼応するようにして各地で武装蜂起し、知事や地方領主の館を襲撃し、サークル帝国の統治体制は崩壊した。また、カネ・サンの統治に不満を持っていた地方軍はサークル帝国軍に離反し、アズキニア王国軍と協力してサークル帝国軍と戦った。その中でもアレッサンドロ=リュウ?率いる「国民の怒り軍」は約8万人の大軍勢にまで膨れ上がり、地の利を生かして東部で倍以上のサークル帝国軍を破ってアズキニア王国を勝利へと導く大きな要因となった。
アズキニア王国軍はアラルダの勝利の勢いのままマールバーグ?に進軍。この時、マールバーグの民衆はアラルダでの敗戦によりかねてよりあったカネ・サンへの不満が爆発し、王宮を襲撃。王宮では近衛兵と武装した市民により激戦が展開され多くの建築物が被害に遭った。
5月20日、アズキニア王国軍はサークル帝国首都マールバーグに到達。アズキニア王国軍総司令官マスクード公は市民の激しい抵抗を予想し、戦列歩兵と大砲を従えて四方向からマールバーグに迫った。しかし、マスクード公の予想に反し、マールバーグ市民は城に白旗を掲げ戦意がないことを示し、街の門を内側から開いた。そして、正午ごろアズキニア王国軍はマールバーグに無血入城。アズキニア王国軍は馬に乗ってマールバーグを凱旋し、市民はアズキニア王国旗を振りながら敵国の軍を歓迎するという異様な光景が見られた。また、アズキニア王国軍はマールバーグ城に対し砲撃を開始。この間にもアズキニア王国兵は歓迎され、市民は自分の家にアズキニア兵を呼んで温かい料理でもてなしたという。
21日、未だに中心の城に籠城に抵抗を続けていたカネ・サンはアズキニア王国軍の城への砲撃により戦意を失い、近衛兵と共に投降し、降伏文書に調印。ここに亜丸戦争は終結した。
当初アズキニア王国はカネ・サンを本国に送って裁判にかけて終身刑にしようとしていたが、マスクード公はマールバーグ市民のカネ・サンにたいする復讐心を利用し今後の統治を円滑に進めて今後もサークルで権力を握ることを目論み、本国の意向に反し独断で裁判をマールバーグ城で行うことにした。城外では終始市民による死刑を要求する声が飛び交い、城内のカネ・サンは終始怯えた様子であったという。無論法曹はアズキニア出身であったため裁判は終始アズキニア側のペースで進み、正午ごろにマールバーグ広場での公開処刑が決定した。マールバーグ市民はこの知らせを聞くなり、踊り狂うように喜んだという。
そして22日にカネ・サンは市中引き回しにされ、道に並んだ住民から石打ちに処されながら、広場へと運ばれた。広場に着く頃にはカネ・サンは投石の痛みで既に気絶しかけていたが、鞭で叩かれ起こされて磔にされ、マスクード公の命令でアズキニア王国兵に腹を割かれ絶命した。腹割きは時間をかけてゆっくり行われ、傷口に塩を塗しながら行われ、当初は命乞いをしていたカネ・サンも最後には早く殺してくれと言いながら死んでいったと言われる。処刑後、遺体はそのまま放置され、市民たちは道すがら唾をかけたり石を投げたりしたという。これは本国の命令に背く処置だったが、マスクード公は部下が独断でやったということにして処罰を免れた*49。
亜丸戦争での敗北によりサークル帝国は事実上滅亡し、しばらくマスクード公による暫定統治が施行された。6月23日、マールバーグ裁定でサークル王家の廃位が決定され、アズキニア王国神聖皇帝がサークル帝国皇帝位を兼ねる形でアズキニア王国領サークル帝国?が成立。サークル王家の一族は南部のドレ城に軟禁された。サークル帝国はここから約140年に渡りアズキニアの支配を受けることとなる。マスクード公は彼の目論見通りマールバーグ市民から支持を集めて初代副王に任命された。アズキニア王国領サークル帝国では超上層以外は現地人を登用する間接統治が採用された。これは当時地域大国であったサークル帝国を直接統治するのは困難であったのと、サークル人の中でも上級階級を作ってサークル人を分断し、アズキニア人にヘイトが向くのを防ぐというのが理由である。また、国民の怒り軍を組織したアレッサンドロ=リュウ?はのちにアズキニア王国軍配下のサークル帝国軍の元帥まで上り詰めた。
また、亜丸戦争において当時世界最新鋭の前装式小銃であるシェルフィールド銃が初めて実戦で本格的に投入された。特に南西部では不正確な命中精度で短い距離しか射撃できない旧式のフリントノック式の滑腔銃で戦うサークル帝国軍を、アズキニア王国軍は相手の射程外から一方的に正確に射撃にして圧倒した。シェルフィールド銃は亜丸戦争においてその有効性が証明され、その後長きに渡ってアズキニア王国軍を支え続けた。
テープコナル共和国への侵攻
パクス・アズキニア
アズキニア王国は産業革命の成功と広大な植民地の保持により諸外国に対し優位に立つことが出来るようになり、全盛期を迎える
海洋支配の完成
アズキニア王国は第四次アズキニア王国王位継承戦争でペルファス~シュローリンゲンを結ぶ線より西側のシャルケー半島を含む領土をを奪って、周辺の海の完全支配を確立させた。これは当時はコールドランド島以北のカンブリカ大陸が発見されておらず、リガルフィアやアクーサリア、ガラルーク、ソーカやシテンなどの領土があるあたりは当時は氷海と考えられていたからである。どちらにせよ、実質的に中漠海の海運を完全に掌握したのはアズキニア王国であった。
但しポラリス諸島はアズキニア王国領であったものの海外領土とされており、編入には至っていなかった。また、北シェイエロー、シマン、ポラリスなどの『新王国領土』はシュマリへの回帰の際にアズキニアの本土としては編入されなかった。
揺れる大国
アジャール戦争
西オメガの動乱
二十一世紀後期に入ると西オメガでは隣国からナショナリズムが波及し始めアズキニアの強権的な統治体制が揺らぎ始めていた。既に徹底的な言論統制による国民思想の流入の阻止にも限界が出ており、街では知識人層が独立に関しての討論を盛んに行なっていた。アズキニアはこれらの活動を徹底的に取り締まり指導者を万単位で逮捕していったが、活動は収まるどころかむしろ活発化していった。
西オメガの民族運動の明確な始まりは1926年のテープコナル大学法と1930年のパテイン分割令である。テープコナル大学法において、官吏の統制が強化され、テープコナルにおける高等教育の発展が阻害された。パテイン分割令において、パテインを二分し、パテイン東部とシューラヒル地方でもって東パテイン州を新設し、パテイン西部とバクーク州、ビハール州とを合わせて西パテイン州を新設することで、それぞれの州の多数派をテープコナル人とマンダレー人にしてしまうことで、パテインで盛り上がっていた反アズキニア運動を分断することにあった。パテイン分割令は、1937年に撤回されるが、それは分割したパテイン州を再統一し、パテイン、バクーク、チキット、シュラーヒル各州に自治権を与えるという、いわばパテインに対して妥協がなされる形となった。
1938年クロイツ=アズキニア戦争が勃発すると、多くの民族主義指導者はアズキニアへの支持を打ち出した。彼らの期待は、テープコナルのアズキニアによる支持は、終戦後に結果として、テープコナルへの大幅な自治が認められるという期待に基づいていた。その結果100万人以上のテープコナル人が徴兵に応じ、クロイシアで戦死した。大戦期、アズキニアは戦費を賄うために西オメガから徹底的に搾取したため西オメガ経済は極度のインフレーションと重税に直面することとなり、各地で飢饉が相次ぎ多くの人が餓死した。これに対し西オメガの勢力は1940年4月8日、ハンウ合意でテープコナルのテープコナル国民議会とマンダレーの全マンダレー連盟が西オメガの独立について合意した。
アズキニアはテープコナル、マンダレーの二大勢力が大同団結した事態を重く見て、1941年8月20日、シロン・ジャフ・プライア、テープコナル担当国務大臣により、プライア宣言が発表された。アズキニアは植民地テープコナルの即時独立を容認することはなく、全人的に自治権を拡大させる政策を採った。テープコナルの民族主義者の懐柔と同時に、1942年には、スケイト法が可決され反亜主義者の弾圧も行う姿勢を見せるようになった。スケイト法が適用されて展開された悲劇がバラノアの虐殺である。
しかし、この時代、テープコナル独立運動では大きな転換点、世代交代を迎えた。今までの独立運動を指導してきたチュロスの死亡、リガルフィアからのプノン・エールザラン・タミルの帰国である。タミルは先の戦争で協力したにも関わらず、アズキニアが西オメガの自治を認めなかったことでアズキニアを信頼しておらず
サークル独立戦争
アズキニア統治下の丸々島ではカネ・サンの統治下のように不条理な虐殺が行われることは無くなり、かつての悪習などの廃止が行われ、農地の貴族独占状態によって生じていた飢饉などが親アズキニアの地方豪族による緩やかな地主制に移行することによって大きく減少したために、初期にはアズキニアの統治は熱烈な歓迎を持って支持された。しかしながらアズキニア王国は戦争の目的であった丸々島の豊富な石炭の多くを本国への輸出に回したため、サークル帝内での石炭の流通は限定的であったため生活水準が大きく上昇することはなかった。それでも植民地時代の前半はアズキニアから持ち込まれた農業技術や農作物の自由取引基準の緩和によって市民は恩恵を少なからず享受したためにアズキニア統治への不満はかなり小規模なものに留まったが、後半に入ると知識人が力をつけ始めて本国との格差解消や民族自決を訴えるようになると独立の火種が燻り始めた。これにはアズキニアでの人口増加に伴って穀物を輸出に回したことなどでサークル人の生活が困窮したことが主要因とされる。また1821年頃リーダー不明の秘密結社「サークル・フリースラント」が結成され、サークル人の扇動とアズキニアへのレジスタンスを精力的に行って植民地政府を苦しめた。一方でアズキニアから鉄道や電信の技術が伝播し、限定的ではあったがマールバーグでは都市化が進み富裕層が多く生まれた。
アズキニア王国はもともとある程度整った統治体制があったサークルが反乱を起こすのを恐れて二重支配体制をとった。まず、亜丸戦争でアズキニアに味方した地方豪族や有力農民、富裕商人を『名誉アズキニア人』として小作人や労働者と区別した。その上でこの階級を固定化することで権力が強い少数派の支配層と権力が弱い多数派の被支配層の間でサークル人内での対立構造を作り、アズキニアにヘイトが剥くことを回避していた。この武断統治制度はサークレジェクション体制と呼ばれ、独立直前まで存続する。独立戦争においても下級市民からなるサークル解放軍とアズキニアからの支援を受けた名誉人の私兵からなる王党派軍の衝突が主として行われ、実際にアズキニア軍が戦った戦争はそこまで多くなかった。しかしながら、サークルの民族自決運動を扇動した知識人はこの階級の出身者が多かった。
アズキニアによる武断統治は反発を受けながらもなんとか一応の成功を見せていた。しかし、独立の原因となるのは『コール・ラダスト』と呼ばれるサークル領内の石炭問題である。事の発端は1844年に始まったアジャール戦争である。アジャール戦争にあたってアズキニア王国は航空機や戦車の燃料の十分な確保のため、民間へ石油の利用を制限し戦争を優先させた。しかし、アズキニアでは既に石油を燃料とした工業生産システムが多くの工場で採用されており、民間への石油使用の規制は工業製品価格の高騰を招き、国内経済の混乱や世界におけるアズキニアの地位の低下に繋がることは誰の目から見ても明白であった。そこでアズキニア政府は石油に代わる燃料としてサークルの石炭に目をつける。当時アズキニア王国領サークル帝国では大規模な石炭鉱山のほとんどはアズキニア資本によって支配されており、アズキニア政府が企業に働きかけることで石炭の生産量を増やすことは簡単であった。
1845年、アズキニア王国領サークル帝国で石炭法が制定される。石炭法はサークル領内の石炭鉱山を全てアズキニア政府の管理下に置き、産出量、市場への流通量などを全てアズキニア政府が決定するというものである。石炭鉱山の保有企業とは、引き換えとして今後のアズキニアの公共事業において、優先的に仕事を発注することが約束された。石炭法が施行されるなり、アズキニア政府は産出する石炭のほとんどをアズキニア本国への輸出に回し、石炭を政府の専売品とした。また、産出量を少しでも増やすために鉱夫に過酷なノルマを要求し、危険で劣悪な状況下で長時間低賃金で労働させた。
当時サークル帝国では工場から一般家庭に至るまで石炭燃料の使用が主流となっており、既に石炭は生活に欠かせないものとなっていた。なので当然このことはサークル領内での石炭不足を招き、サークル市場では石炭に代わる燃料となる薪の価格が急激に高騰。薪を買えない貧困家庭では寒さの厳しい冬に凍死するものが相次ぎ、そうでない一般家庭でも生活必需品たる燃料の価格の高騰は、深刻な生活苦を招いた。また、薪作りや炭鉱鉄道の枕木としての使用のため、大規模かつ無計画な森林伐採が広い範囲で行われ、サークル領内の森林面積は大きく減少した。過度な森林伐採は地盤の不安定化や海の貧栄養化を引き起こし、サークル領内の農業生産に決定的な打撃を与えた。森林はもとより地盤の安定化や平野部の農地の保全、川を通しての海への栄養供給などの自然界において大変重要な役割を果たしている。肥えた土が海に流出し、土地が痩せ衰えて深刻な食糧不足に陥り、各地で治安が大きく悪化した。
また、炭鉱の非人道的行為も大きな問題であった。以前は炭鉱では、効率第一の元鉱夫は峻厳な状況で働かせられていたが、それでも十分な給料が与えられ、最低限の保障もあり、最低限の安全規則に基づいた運営がなされていた。しかし、石炭法が施行されると状況は一変する。アズキニア政府は石炭増産のため、鉱夫の給与を採掘量の順位によって決め、厳しいノルマを達成することを要求した。そのために鉱夫たちはガス漏れや落盤の危険が伴うところで採掘を行うことを余儀なくされ事故が相次いだが、しかし十分な保証は行われなかった。こうしたアズキニア政府の現場の実情を無視した過酷な運営は現地の指導者と鉱夫の間に軋轢を生むこととなる。1846年9月4日、丸々島南部のフラストブール炭鉱で大規模落盤事故が発生。地下で採掘に当たっていた749人が生きたまま坑道に閉じ込められた。また、落盤に伴う土砂崩れと粉塵爆発に伴って大火事が発生。これに対し、鉱山側は石炭生産の停止と坑道内の石炭の燃焼による損失を恐れて坑道への注水を断行。これにより全員の死亡が確定した。この事件をフラストブール炭鉱事件という。この暴挙にサークル人は当然激怒。各地で「アズキニアは出て行け運動」が勃発し一部の『名誉人』にもこの運動は広がった。サークル領内の迎合度は著しく低下。アズキニアの支配の終焉はすぐそこまでやってきていた。
同年11月27日、フラストブール炭鉱の鉱夫はアズキニアの厳しい支配に耐えかねて遂に大規模ストライキを起こす。このストライキは瞬く間に全国に広がり、サークルでの生産活動は完全にストップする。事態を重く見たアズキニア王国は、12月3日、全土の港を一方的に封鎖。アズキニアから輸入している生活必需品の流入を阻止し、サークル人の戦意を削ぐことを試み、それでも出入港を試みるものは逮捕して厳しい罰を与えた。47年1月5日、市民はアズキニアに捕まった政治犯や貿易商人の解放を求めて当時最大の監獄があった東部のヤルババーグに集結し、監獄前でハンガーストライキを行い、緊張は一気に高まった。当初は平和的なデモに過ぎなかったが、過激独立派の市民といつまでも退かない市民に苛立っていた兵士の間で9日の13時ごろ*50に煽り合いが勃発。次第にそれは周囲の市民を巻き込んだ乱闘になり、監獄の責任者にもデモの指導者にも止められなくなってしまった。そして14時頃*51、ついに一発の銃弾が放たれる。銃声を聞いた市民とアズキニア兵はお互いにこれを相手側からの発砲だと思い込み、武装市民と兵の間で銃撃戦が発生。尚、最初の銃弾がどちら側から放たれたものなのかは今でも不明である。銃撃戦の末、市民は130人ほどが犠牲になりながらも、監獄内の囚人とアズキニアに雇われていたサークル人の手助けにより5時間後には監獄を占領。これによりサービス市民は大量の銃や大砲を手に入れるとともに、アズキニアに対し独立を宣言し、サークル独立戦争が開戦する。1月10日の出来事であった。ほぼ同時期に秘密結社「サークル・フリースラント」が活動を本格化し、主に東部を中心にレジスタンス運動を展開する。これまでとは違い武器を大量に入手上に何故か練度も高く、植民地軍を大きく苦しめた。そしてナグロ・ロヴァンスサークル総督は、『名誉人』であり数々の戦果により政府からの信頼も厚かったマルノ=リュウ?中将に植民地軍第一軍の統帥権を与え、反乱の鎮圧を命じる。アズキニア王国領西オメガにいた彼は第一に民意に逆らう事が不可であること、第二は冬に大軍を動員するのが不可であり、第三に内戦をすれば、他国がその虚に乗じてくること、第四に寒くて雪の多い時に当たり、兵糧が不足し、大軍が疫疾にかかりやすいことを理由に鎮圧に反対するが聞き入れられなかった。ロヴァンスはミエン・シンラン内務提督の意見に従い反対論を無視し鎮圧を開始した。実はこの出兵には反乱鎮圧以外にも新興商人勢力やマルノ=リュウら武人の勢力を削るという目的があった。ロヴァンスは軍の勝利に興味がないと公言し、出征の日に激励の言葉を一つもかけなかった。また、反乱に備えて遠征する将軍らの家族は総督府に来させて人質*52とした。リュウは5月に進軍を開始してその際にマールバーグで装備の補充と兵站の補給を行うことを決定した。マールバーグへ立ち寄る事を聞いた市民はリュウを歓迎し、リュウを讃える歌が流行した。
6月5日、マールバーグに到着したリュウは総督府に入ると、大広間で総督への謁見中に、突如剣を抜いて総督に襲いかかった。それを合図にリュウの私兵が総督府を襲撃。その後リュウは6時間で総督府を制圧し、1日でマールバーグを占領。主要なアズキニア人は全員暗殺され、植民地在留アズキニア軍の指揮系統は一日で崩壊した。その後リュウは「私はアズキニアのために働くことが祖国のためだと信じていた。私の祖先は少なくともそうした。だがそれは間違っていた!アズキニアは我々から多くのものを奪っていった。資源と領土ではない。彼らが奪ったのは我々の尊厳と誇りだ!さぁ、今こそ我々は尊厳と誇りを取り戻す時だ!」と演説を行い、『名誉人』を追放。マールバーグ全体を反乱勢力の味方につけた。リュウは最初からアズキニアを信用しておらず、アズキニアを見限って独立勢力に味方する事を決めたのである。さらにリュウこそが秘密結社「サークル・フリースラント」のリーダー*53であり、長年植民地政府が当組織のリーダーを見つけ出せなかったのは『名誉人』であり信頼も厚いリュウを捜査対象としていなかったためである。この一連の事件は丸五事変と呼ばれる。丸五事変の後リュウはアズキニア中央部政府に対し、ロヴァンスは病気のため自分がアズキニアとの通信を担当しており、優勢であるから援軍を送る必要はないとの連絡を送る。実際には中央指揮系統を失って混乱するアズキニア軍に対し奇襲を仕掛け、北部のほとんどを奪還し南にアズキニア軍を追いめていた。さらに一月後には王党派も合流し、この攻勢期は領土奪還において反乱側を優勢にするのに大きく貢献した。しかし、アズキニア中央政府は事前から潜伏させていたスパイを使ってリュウの予想より早く現地の状況を掴み、即座に援軍の派兵を決定した。ただしアジャール戦争がこの時まだ終結しておらず、主力を送ることは不可能であった。そしてアズキニア軍は数と練度では劣っていたものの航空戦は圧倒的に優勢であり、なんとかサークル反乱軍の進行を少しでも遅らせようとしていた。具体的には地の利で勝敗が決まりやすい山岳のある東部は放棄して近接航空支援や戦術爆撃がより有効な平野の南西部で港を維持し続けるというものだった。リュウの軍はすでに国土の8割近くを奪還していたが、アズキニア軍が築いた強固な防衛線を前に攻めあぐね、膠着状態が続いた*54。そして時間は流れ1848年10月ついにアジャール戦争が終結し、アズキニア側はより多くの戦力を割くこちができるようになった。これはリュウにとって最悪の事態であったが、リュウは戦線ごとの状況を把握して川と山脈を利用し巧みに防衛を行う。だがそれでもアズキニア軍の爆撃と通商破壊はサークルにとって大きなダメージとなり、劣勢が続いた。だがアズキニア軍の進撃は南部オルガン川で停止する。これは占領地での強固なレジスタンスと大河の渡河ペナルティのためである。さらに1849年1月、アズキニア王国領西オメガでテープコナル大反乱が発生。アズキニアは最重要植民地であるテープコナルを失陥することを恐れて、兵を大量に引き上げ、サークル反乱軍に対し継続的な石炭輸出と引き換えに独立を承認する方針で和平交渉を開始。2週間後に中立国でアントン条約が結ばれ、1849年2月12日にサークルは150年の時を経て再び独立した。4月27日には王政復古がなされ正式にサークル帝国?へと回帰した。この戦争の結果としてアズキニア王国は丸々島を失い、180億ダカットの戦争賠償金を支払うこととなった。この賠償金はサークルの戦後復興を支えた。この後サークル帝国は1867年の亜丸平和友好条約でアズキニア王国と和解し、現在では互いに友好関係を継続している。
アズキニアの落日
衰退の始まり
それでもアズキニアは10世紀の年月をかけて作り上げてきたマトリア海から世界へとつながる大交易網が未だ健在であったことや、革命などの国家の信用が揺らぐ大事変が未だ起こっていなかったこともありアズキニアは経済的な信用を失ってはいなかったこと、世界中の植民地はまだ残っておりそこから外貨を大量に獲得できたことなどの要因から
帝国への一撃
しかしながら弱りつつあったアズキニアに最後のトドメを刺したのは、アズキニアと争ってきた近隣諸国たちでも、台頭する新興国たちでもなかった。
2020年8月31日、アズキニア王国次元崩落テロが発生した。このテロはテェルナ=カローラ体制下の政権に対する最大の打撃となった。
対テロ戦争
- アイアン・レイン作戦
魔法戦争の発端は2023年10~11月ごろなろう王国及び第一魔法師団 data-tippy-theme="light" data-tippy-allowHTML="true" data-tippy-interactive="true" data-tippy-content="<p>以下魔法勢力と呼称</p><div style="text-align: right;"><a href="#notefoot_55">脚注 *55 へ</a></div>">*55と呼称されるテロ組織が活動を開始した事だった。同勢力は全世界への敵対宣言や無差別爆撃テロを行い、ヒイラギシティなどの国際都市に甚大な被害を与えた。当時各国が協力して魔法側勢力の撃破を目的とした連合を結成し各地で戦闘を繰り広げていたが、アズキニア王国は伝統的な孤立主義政策に従って両勢力と距離を置き、その動きを静観していた。またアズキニア全体で魔法側勢力が中立を宣言したアズキニア王国に侵攻することはあり得ないとのムードがあり、当時政府は軍のほとんどを独立戦争が展開されているテープコナルや最重要植民地のリガルフィアなどに割いていた
しかし2023年11月14日、なろう系転生者Σを指揮官として持つなろう王国軍が旧領奪還を目的に突如アズキニアとの同君連合を形成しており実質的な従属下にあるエルドビア王国を急襲。それまでなろう王国に対し中立を保っていたアズキニアは同君関係に基づきなろう王国に対し宣戦布告した。なろう王国軍は港湾に空から降下し、電撃的に敵を殲滅。エルドビア・アズキニア軍が駐留していたが、エルドビア・アズキニア軍は突然の空からの急襲に大混乱し、兵士たちは蜘蛛の子を散らすように逃げた。エルドビア・アズキニア軍は対空砲を完備し連絡があればいつでも対抗できるようになっていたが、なろう王国軍は海をすっ飛ばして空から侵攻したため、準備時間が全くなく、あえなく敗北した。次に、なろう王国軍は沿岸部の飛行場に狙いを定め、第二部隊が降下し、全て占領。エルドビア・アズキニア軍は制空権を喪失した。ここでようやく近海に来ていたアズキニア海軍にも急襲が伝わり、海軍は艦砲射撃や艦載機による機銃掃射で足止めを試みたが陸上部隊との連携不足により敵部隊の位置が明確に把握できなかったためこの攻撃はほとんど効果がなかった。16日にはエルドビア・アズキニア軍は沿岸部の支配権を喪失し、本土からの補給は不可能となった。残存部隊は沿岸部の奪還を諦め、山中で抵抗し援軍を待つ方針に転換。木が生い茂る山中ではなろう王国軍は空を自由に飛べても敵の位置に把握は難しく、山中への撤退一定の効果があった。しかし17日にはなろう王国軍は絨毯爆撃を開始。森ごと焼かれ、部隊は次々と殲滅されていった。
同君連合に基づきエルドビア王国を解放しようとする政府に対し国民は『なぜエルドビアのために死ななければならないのか』をスリーガンに反戦運動を展開したため、戦争の続行は難しいと判断された。そのため、他国はなろう王国と戦闘を継続していたものの、アズキニア王国は交渉能力を失ったエルドビア王国の代理としてなろう王国と講和することを決定した。そして19日にエルドビア王国がなろう王国に対し完全降伏。残存部隊は武装解除されアズキニアへと強制送還された。講和時にはアズキニア王国に対しなろう王国はその立場を生かし苛烈な条件を提示し、受諾するよう要求した。この内容は当然アズキニア王国にとって到底受け入れ難いものであったが、取り残された兵の命と反戦運動が行われる国内の安定には代えられず、調印を強いられることとなった。これによりナグプール条約が結ばれ、『アズキニア王国はエルドビア王国において、その自治領としてなろう王国の成立を承認する。』『なろう王国の領域はエルドビア島全土および周辺諸島とする。*56』『なろう系転生者Σをエルドビア王国の大統領とする。また、いかなる場合であろうとその地位は確約される。』『なろう王国行政府には領域の徴税権、警察権並びに外交権などの諸権利がアズキニア王国政府から保障される。』『アズキニア王国が今後なろう王国にとって軍事的に不利となる行動をとることは禁止される。』『アズキニア王国の行動の監視のため、なろう王国はシュマリ、ニューロフト、メクトフォール、オーズデン、ノバルスレムス、フェルラン*57に大使館を置き、監視団が駐留する。』『なろう王国の領域全土について、エルドビア王国との関係を継承しアズキニア王国には防衛義務が発生する。』『アズキニア王国はなろう王国の領域の人的資源、物的資源などのあらゆる資源に対する利用権を主張してはならず、許可を得ずに輸送並びに利用してはならない。』『この条約はアズキニア王国大統領とエルドビア王国大統領の名の下で絶対的な効力を発し、これを破ることはいかなる場合でも許されない。』などの条項が規定され、事実上エルドビア島はなろう王国に支配されることとなった。しかし、形式的ではあるもののアズキニア王国の支配下にあり、対なろう王国連合は容易に手を出せない状況となった。これはアズキニア王国が法治国家であるが故に条約を破ることができないことが招いた事態である。なろう王国はそれを利用して連合のエルドビア侵攻を遅らせた。また、反戦運動を行っていた国民も条約の内容には衝撃を受け、一転して反戦運動を停止した。
しかし、12月9日連合軍によりアイアン・レイン作戦が始動。第一段階として連合軍が近海で小競り合いをしているうちに魔法側勢力の交渉材料として捉えられていた人質が救助された。同日にアズキニア王国の行政首都メクトフォールにてイルネシア共和国との協力のもと暗殺計画が始動し、指導者なろう系転生者Σはイルネシア軍に狙撃で頭部を撃たれて死亡した。それとほぼ同時に前述のナグプール条約にて定められていた監視団の殲滅を試み、ニューロフト以外の都市では大した被害を出さず撃破に成功した。ニューロフトはリガルフィアにある都市だったので攻撃の遅れにより監視団に勘付かれ、激しい市街戦が行われ2,000人近くが死亡し、総督府などの行政施設も破壊された。
連合軍は12月9日午前10時から戦闘区域での市民の避難と同時に、大規模上陸作戦の敢行を決定。南部のセントフェアとユーランデラヴァ、西部のクーロンとヒュジュールとシネランク、北部のセントコークとウィキンヘルスとジュヘーナとアークシュタットの計九箇所に同時に上陸を開始。セントフェアとクーロンでは天候不順と張り巡らされた防衛陣地を活用した魔法軍の熾烈な抵抗により上陸に失敗し撤退することとなったが、その他の地点では上陸に成功。ただしひとえに上陸に成功と言っても上陸地点によって連合軍の被った損害は大きく異なった。特にアークシュタットでは魔法軍の戦力が集中しており、空中飛行が可能な飛行兵士のせいで航空優勢を生かした近接航空支援や空挺降下を行うことができず、大量の機関銃と艦砲射撃だけで上陸を完遂することになり上陸戦において最大の激戦地になった。飛行兵士は航空機の役割を果たす存在にも戦車の役割を果たす存在にもなりうる上に二つの役割を瞬時に切り替えられるのが最大の強みであり、常に空と陸の両方で過密な連携による繊細な攻撃を加えなければ殲滅が困難であった。当初は上陸地点の10km西のアークシュタット港を占領し市民の避難を行う予定だったが、ここでの激戦によって急遽輸送能力が劣るセントコーク港に変更された。しかし連合軍は重機関銃と対空砲によって確実に飛行兵士を殲滅していき、水陸両用戦車と歩兵による迅速な浸透戦術によって防衛陣地の奪取に成功した。
上陸作戦から半日後のエルドビア島北側のセントコーク港から戦闘区域での市民の避難が開始され、既に中心部を後にしていた市民たちが次々と連合国の船に乗り込み、非戦闘区域やアズキニア本土への脱出作戦が開始された。他の北部の港からも脱出作戦は展開されたが、早期に占領に成功した港で港の容量が最も大きかったのはセントコーク港だったためセントコーク港から全体の30%が脱出した。しかしこれは当然の如く勘付かれ、魔法側勢力の軍勢が南部から大挙して押し寄せ、港は包囲された。これに対し連合国はユーランデラヴァから上陸した機甲戦力の集中投入により南部から包囲の突破を目指し攻撃を開始。なろう王国は頑強に抵抗したが、包囲した師団の殲滅に戦力を大きく割くことができず、市民にセントコーク港からの脱出が完了した。連合国軍は包囲の突破はできなかったものの、なろう王国の戦力を大きく削ぐことに成功し、市民の避難にも大きく貢献した。しかし、砲弾が飛び交う戦場の中で市民全員が脱出することはできず、市民五万人近くが死亡または行方不明となった。
12月10日正午、上陸してから機動兵器と戦車を用いて海岸の重点的な占領を進めていた連合軍は全ての海岸の占領を完遂。これによってエルドビア島の魔法軍勢力は海上を経由した外部とのつながりを遮断された。しかし連合軍はその過剰戦力の投入による補給の圧迫と不十分な航空優勢による攻勢限界により損害が多く出ていた。そこで戦線の歩兵師団の攻勢を一時的にストップして後方の占領地の安定に当て、足の早い機甲師団で広がりすぎた戦線を維持。それが完了し次第連合軍側の圧倒的な火力を誇りながらも地形による攻勢能力低下を受けにくい、精鋭歩兵や重装甲機動兵器部隊、現実改変・奇跡論兵器部隊などからなる精鋭師団によって火力集中一点攻勢を仕掛け、直ちに飛行場やその先のエルドビアシティを奪取し航空優勢や補給を確実にしつつ長大な突出部を形成して敵を半包囲し再度全面攻勢を仕掛ける作戦を立てる。これはレイカー攻勢と呼ばれさらなる侵攻の加速を望める作戦であったが、敵によって戦線に穴を開けられて仕舞えば精鋭部隊を含む多数の師団が包囲されるリスクを孕んでいた。作戦司令部ではこの作戦が実行されることとなり、12月11日午前11時よりレイカー防戦が開始。8時間後に戦線の師団の移動が完了すると精鋭師団は飛行場の占領を目指して山がちな北東に侵攻を開始。精鋭部隊は厳しい地形をものともせず進撃し、僅か2時間後にはロヴァエルドビア山地の分水嶺に到達し更なる突破を目指す。一方で魔法軍も精鋭師団の脅威を認識しており、高速での飛行が可能な精鋭飛行兵や奇跡論による強力な対地攻撃が可能な超火力戦力などから成る主力をエルゲザー峠に投入。史上最大の激戦となるエルゲザー峠の戦いが始まろうとしていた。ただし機甲師団・歩兵師団の双方にとって最大の脅威である飛行兵士の多くがエルゲザー峠に回されていると考えた作戦司令部は飛行場を確保する前に空母などから発艦した航空機を利用して山地周辺で限定的に大攻勢を開始しており、この攻勢を含めてエルゲザー峠の戦いと呼ばれることに注意されたし。12日午後3時ごろ飛行兵士と精鋭航空師団の戦闘機が接敵したのを皮切りに双方の軍が攻勢を開始し、エルゲザー峠の戦いが始まる。連合軍は南西から大規模攻勢を仕掛けるが、当初は連合軍は戦闘正面幅の制限により全ての戦力を最前線に投入できていなかった上に飛行兵士の徹底的な対地攻撃と幹部級戦力による機動兵器への効果的な直接攻撃を受けて大苦戦していた。しかし午後8時ごろ闇夜に紛れて山岳師団が、飛行兵士によって甚大な被害を被りながらも防衛が薄かったエルゲザー峠の南東側で戦線の突破に成功し機動力を利用してエルゲザー峠の主戦場を裏から回り込んで峠の南東と北東の斜面を確保する。連合軍は直ちに精鋭師団を南東と北東の斜面に向かわせて二方面から攻勢を開始。三方面から攻撃を受けた魔法軍の主力は混乱に陥り瞬く間に敗走し、12月11日午前4時ごろエルゲザー峠の戦いは連合軍の勝利という形で集結した。また、これに乗じて機甲師団も戦線が崩れたエルゲザー峠の北東から電撃的にエルドビアシティ周辺の主要な平野部に侵攻することを決定したが、まだ戦線は戦いの前に比べて北東に伸びきっており、北西側の斜面から撤退した魔法軍精鋭に攻撃されれば捕球が遮断される恐れがあった。よって軍の大半は補給を十分に確保するまで師団の移動を停止すべきだと主張したが、エルゲザー峠の北西から撤退しているであろう魔法軍主力を殲滅し迅速に飛行場とエルドビアシティを確保したかった作戦司令部は12月11日正午ごろアズキニア政府及びエルドビア亡命政府に無断で核をエルドビア島山間部へ十発投下。両者は逃げ遅れた市民の潜伏の可能性への考慮と領土に核を落とすことの嫌悪によって核兵器の使用には強く反対していたが、作戦司令部はそれを知りながら無断で核を投下した。結果的にこの核投下は敗走中だった魔法軍主力に決定的な打撃を与え、その後の勝利に大きく貢献したものの、アズキニア政府及びエルドビア亡命政府はこれに対して憤慨し非難声明を出し、作戦司令部とアズキニア王国との間に大きな軋轢を生むこととなった。
核投下を伴ったレイカー攻勢の成功は連合側の侵攻をさらに加速させ、戦線に空いた穴に連合軍側の機甲師団が次々と雪崩れ込み既に崩壊しかかっていた戦線を食い破るようにエルドビアシティを目掛けて突進していった。そしてついに飛行場を奪取し、これによって上空を巡回する飛行兵士を航空機の数の力で圧倒し完全制空化での戦闘が可能になった。そして間も無く全戦線にて自動車化歩兵を中心とした連合軍は波状攻撃を開始。既に主力を失った魔法軍はこれに抵抗できる余力を残しておらず、エルドビアシティ周辺を除く島の大部分が瞬く間に占領されていった。魔法軍は残った全ての戦力をかき集めてエルドビアシティに立て籠もり大西毱子を中心として最後の抵抗を行うことを決意。そして連合軍は12月12日午前9時ごろついにエルドビアシティに到達。市街地を駆使した魔法軍の戦略と幹部級戦力の決死の抵抗により連合軍は大損害を出すが、それでも精鋭師団などをはじめとする戦力によって絶え間なく攻勢を続ける。そして12月13日午前6時ごろにエルドビアシティを完全に包囲した連合軍は総攻撃を実施し圧倒的な空軍力で猛進。そして午前9時ごろ遂に総督府が陥落し、建物の天辺にはエルドビア王国の旗が掲げられた。これによって組織的抵抗は完全に終了し降伏したが、大西はエルドビアシティからの脱出を試みながら最後まで足掻き続けるが、正午ごろエルドビアシティより5km北西で精鋭部隊の機動兵器に捕捉され、激戦の末戦死。これによって完全に戦闘は終了し、勝利宣言がなされた。
魔法側勢力の完全な降伏に伴い連合国陣営で戦後処理が行われ、12月17日の第一次イドリュス裁定で正式に戦後処理の様相が決定された。これにより降伏した魔法軍は膨大共和国に移送されて、戦争裁判にかけられたのちに監獄への収監が決定。12月21日に正式に撤退が完了し、エルドビア島には独立が戻った。しかし未だに裏で活動を続ける残党も存在し、ヒイラギシティがたびたび標的にされている。エルドビア島は現在も復興中で、避難の影響で激減した人口も戻りつつある。
また、この一連の戦争はアズキニア国民の強い転生者・反能力者感情を一層掻き立てた。もともと魔法側陣営は虐げられてきた転生者たちの名誉回復や人権の獲得などを目標にして武力行使を行なっていた。しかし彼らの行動には以後アズキニアでは『転生者狩り』などの反転生者運動を活発化させてしまい、皮肉なことに目的と真反対の結果を生み出してしまった。現にアズキニアは今日世界中で進んでいるなろう系転生者の人権保護運動に対して非常に非協力的で、国内でもなろう系転生者に対する犯罪の減刑などなどの重篤な差別問題が発生している*58
- 桜花作戦
だがアズキニアに降りかかる厄災はこれだけではなかった。年が明けた2024年1月5日、ラクロス解放戦線を名乗る勢力が国連軍を追い出し、ラクロス島を占領。島本などのラクロス軍幹部はラクロス島が国連軍基地が置かれていながら貧しくその恩恵の享受していないことに不満を持ち、 data-tippy-theme="light" data-tippy-interactive="true" data-tippy-allowHTML="true" data-tippy-content="みんなで分け合う領土 Tochi*">分割大陸を生存圏として確保し、主要国を従えることでラクロス帝国を建国し新たな世界秩序を構築することを目標として兵士を集め反乱を決意したのである。また、島本は世界中の発展途上国に対し戦争協力と引き換えに戦後の地位向上を秘密裏に約束していたため、島本に賛同するラクロス島民だけでなく世界中から義勇軍が集結した。アズキニアはこれに対しても自国と直接関係のない事象として、伝統的な孤立主義に従いまたしても静観の姿勢を決定した。
しかしその二日後、ラクロス解放戦線はアズキニア王国に対し突如宣戦布告。ラクロス解放戦線の宣戦布告の理由はアズキニアは過去に二回なろう系転生者によって甚大な被害を被っていて、軍事力に似合わぬ国力を持っているので淘汰されるべきであるという正当性のかけらもないものであった。そして宣戦布告とほぼ同時刻に中央平原の一帯をラクロス解放戦線の空挺兵が強襲。空挺兵はステラリスやシュマリ、メクトフォールやアルトーなどに次々と上空から降下して、次々と攻撃を開始。ラクロス軍は直ちにアズキニア主要部を制圧して、一週間以内にアズキニアを制圧するという作戦を立てていたのだが、中央平原一帯に展開していたアズキニア第三軍がエルドビア戦争の反省を踏まえて設置されていたレーダーでこれを察知し、制圧がなされる前に戦闘状態に持ち込むことに成功し、主要部の陥落という最悪の事態を免れることに成功した。また、カナン海峡沖海戦で長旅によって消耗していたラクロス海軍を数の差でなんとか退かせることに成功し、海からの脅威を排除した。その後、地上部隊の活躍によって空挺師団を殲滅することに成功した。しかしながらアズキニアが負った損害は決して少ないものではなく、主要都市郊外の戦闘で多くの市民が死傷した他、アントガール海でのラクロス軍の通商破壊の影響で貿易が大きく妨げられ経済的な損害を被った。
国際社会は当然ラクロス解放戦線の行為に対して軍事制裁を課し、同日にストロンゲスト共和国やイルネシア共和国、ケミサリー共和国連邦やアンリオス、サークル帝国をはじめとする数多くの国家が解放戦線に対し宣戦布告した。また、シャングリア帝国などもアズキニアへの支援を表明し、オルシオ電磁国なども別の理由で宣戦布告した。こうしてアズキニア王国への宣戦布告をきっかけに世界中で対ラクロス包囲網が出来上がっていった。しかしこれはラクロスも予想しており、逆に宣戦布告を受けたことを大義名分に分割大陸を全て占領したラクロス軍の狙いは大国とされる中でも軍事力が高くなく知名度が最も高いアズキニア王国を倒し、世界に自身の権威を認めさラクロスを独立させることにあった。そのためラクロス軍は分割大陸を南下してガラルークまで激進し、中漠海とクロイシアからアズキニアの中央平原に侵入する作戦を立てた。この分割大陸を南北に跨ぐ壮大な作戦はランスロード作戦と呼ばれた。
1月5日、ラクロス解放戦線の軍は分割大陸北部の半乾燥地帯に攻撃を開始。ストロンゲスト共和国領セガトール、イルネシア共和国領ナルピアを占領するため準備を進めており、その前哨戦として行われたのがセントナラキア占領戦であった。同日午前8時ごろ、アズキニア王国領ナラキアはラクロス軍の空挺師団による奇襲を受けてわずか二時間で全土を占領され*59、政府高官などは陸上を経由してナラキア国に逃れた。一部の軍人はセントナラキアの水産加工工場に立て籠って抵抗を試みたが、それも1時間で制圧された。この時ナラキア国への侵攻も計画していたとされるが、後述するバレル・テルメの戦いによって無期限の延期となり、結局最後まで実行されることはなかった。これによってアズキニア王国は重要港であるセントナラキア港を奪取され、貿易協定を結んでいる中立国ナラキア国経由で遠征軍に物資を送ることが困難になった。
1月5日午前11時ごろ、セントナラキアの占領成功が伝わると、事前に海上に待機していたラクロス軍はセガトール、ナルピアへの上陸戦準備を開始する。分割大陸北部の西部と中央部は、最北部の硬葉樹林が生い茂る沿岸部に降水が集中しているため沿岸部に人口や富が集中し、内陸部は乾燥限界を下回るまばらに灌木が見られる草原となっていて人はほとんど住んでいない。そのため主要な戦いはキタイア川河畔やキタイア・デルタを除いてほとんどが海岸から25km以内で行われ、内陸部は戦いの発生はおろかどちらの軍もほとんど侵入しなかった。それは後方の砂漠地帯を占領しようとも土地そのものの価値は高くなく、補給は孤島に援軍を送るように困難であり、かえって兵站を圧迫するからである。そのため前線においては、その地形を利用した大胆な機動戦が行われた。その進撃距離は長いが地域は細長く、同時に両軍の戦力や補給量の問題により、戦線が短時間で大きく移動することとなった。
ラクロス軍は西方第一任務部隊、西方第二任務部隊、中央任務部隊、東方任務部隊に分かれてそれぞれニューカビール、コラン、ナルジェ、セーセンエルの港湾を目標とした。宣戦布告から12時間も経っていない状態での奇襲であったため、連合国軍はわずか8師団しかおらず、西方第一任務部隊の歩兵6師団は二手に分かれてニューカビールのピレア地区とツユレン地区にそれぞれ上陸。コランでは西方第二任務部隊の歩兵8師団がそのまま上陸し占領。10の歩兵師団、10の機甲師団から成る中央任務部隊はナルジェでストロンゲスト共和国軍4師団の抵抗を受けたものの艦砲射撃や航空支援で上陸に成功し、13時間の戦闘ののちにこれを壊滅させ後方に撤退させることに成功した。東方任務部隊の10の機構師団もセーセンエルに無血で上陸し、占領。ラクロス軍の奇襲上陸は全て成功し、連合国軍はセーセンエル以西の十分な補給キャパシティを持つ港をわずか四日で全て失い、反攻作戦は容易でなくなることとなる。
連合国の8師団は1月9日午前10時ごろからのクヂュラ・アレモスの戦いで防衛線の構築を目指し決死の防衛戦を行ったが、数で勝り多方面からに攻勢を仕掛ける連合国軍に敗北。4師団は捕虜になってもう4師団は南に敗走し、ラクロス軍は44師団は瞬く間にセガトールと西ナルピアの北沿岸主要部をわずか4日で完全占領。南に逃げた4師団4万人のうち、ヘキアのモンテ帝国に逃れたられたのはわずか五千人であり、大部分は過酷な砂漠での行軍中に枯死した。
ラクロス軍はセガトールの完全占領を確認すると、軍を第一軍集団と第二軍集団に分け、第一軍集団には第一軍~第五軍、第二軍集団には第六軍と第七軍が配属された。第一軍集団は当初の目標通りアズキニアに進出するため比較的湿潤なナラキアやヘレモアにキタイア川沿いに進出し平原が多い南部にたどり着くことを目標としていた。第ニ軍集団はセガトールを更に南下して西部中央山脈の西側のヘキア、バカチク、チローラに進出し大東洋からの上陸に対処するとともに山脈沿いに防衛線を築いて北と西から分割大陸を挟むように進撃することが目標だった。またこの作戦に最終目標は世界随一の穀倉地帯にしてアズキニアの生命線であるアズキニア王国領リガルフィアの中核都市ニューロフトを陥落することと位置付けられ、第一軍集団の作戦はリテロリガー作戦、第二軍集団の作戦はガウス作戦と名付けられた。ラクロス解放戦線は両作線について、敵軍が分割大陸に集結する前に可及的速やかに広域を電撃的に制圧することを最重要事項とした。具体的には敵の補給結節点の包囲と遠方への進撃のみに集中し、主要都市の奪取や敵軍の殲滅を決して優先して行わず大きな抵抗があれば即座に転進するというものであった。このような無茶な作戦を遂行するために連合国からの鹵獲物資によって補給を行い、その装備で敵軍の物資の鹵獲を目指して戦うという寄生虫のような戦法をとった。実際にカンブリカ戦線の末期ではラクロス軍の装備の80%以上は連合国製であり、最初から用意されていた物資はほとんど残っていなかった。そのため連合国による海上封鎖は通商破壊は当初あまり効果をなさなかった。
1月11日、ラクロス軍総司令部は第一軍集団に対し東進命令を出した。その頃第一軍集団はまだセガトールに点在しており、作戦開始地点となるセーセンエルにいたのは装甲師団5師団に過ぎなかったが、持久戦に持ち込まれれば到底勝ち目がないことは理解していたため、無理矢理にでも敵がまだ集まっていないうちに戦線をできる限り東に押し出す必要があったのである。5つの装甲師団は命令に従って早速セーセンエルを出撃し、5時間後にクランティアナ付近で連合国の防衛線に接触。元から現地にいた連合国軍はここまで早く進撃してくるとは思わなかったため、防衛線を捨てて沿岸部のクランティアナに撤退し死守を画策。しかし先鋒部隊はこれらの敵兵の殲滅をせずに都市を迂回してさらに東へ駆け抜けていった。クランティアナに立てこもった連合軍の部隊は、ラクロス先鋒部隊が通り過ぎていったことが分かると背後から攻撃を仕掛けるとともにラクロス先鋒部隊の分断することを狙って再び都市から出撃するが、セガトールから先鋒部隊を追って東進してきていた後続の師団に遭遇し撃退され再びクランティアナに逃げ込んだ。ラクロスの後続師団はこの間に連合軍が防衛線のに残していった装備や燃料を鹵獲し輸送専用師団を用いて戦法部隊に届けたり、クランティアナの包囲の持続のために用いたりした。これがクランティアナの戦いであり、ラクロス軍の無茶と言えるほど速い進撃によって敵を最終防衛拠点まで撤退させて先鋒部隊が迂回し、後続部隊によって包囲を継続しつつ鹵獲を進めるという戦法が大成功した戦いである。戦線を押し上げて占領地を拡大させる前に包囲した敵軍を殲滅するというのは連合軍側の定石であり、ラクロス軍もそれをすると信じて疑わなかったため連合軍はラクロス軍の突飛な戦術に対し現地の少ない師団だけでは到底対応できなかった。ラクロス軍はこの方法でレーメルバカ、シューズ・フロリカ、パン・カ・ミアンの戦いなどで勝利し連合軍側の予想を遥かに上回る速さで占領地を拡大させていった。しかしながらラクロス軍は敵が防衛戦を強固にする前に進軍するという方針を忠実に守っていたため、カンブリカ大陸沿岸の都市群に撤退させた敵軍の殲滅に力を割かず、沿岸の10以上の都市にはまだ反撃可能な連合軍が立て籠っていて占領はできていなかった。そのため沿岸都市の港は敵軍の補給結節点として機能していなかったものの、自軍の補給結節点としても機能しておらずラクロス島本土からはセガトールからと陸上輸送で伸び切った補給船を伝って物資を届けるしかなかったため、本国からの補給は届かずラクロス軍は鹵獲物資だけで戦闘を継続しているような状況になっていた。
そして1月18日にラクロス軍先鋒部隊はリテルロガー作戦最大の中間目標であったキタイア川に差し掛かる。キタイア川は乾燥地帯を南から北に流れる外来河川であって、緑が見られる河岸部は占領する価値が十分に存在するため中間目標とされていた。そのため北カンブリカ戦線でもここでは例外的に戦闘が盛んに発生した。ラクロス軍はこれまでと同じように敵軍圧縮包囲戦法で敵を半無力化しようと試みるもすでに連合国軍はキタイア川に沿って強固な撤退線を築いており、ラクロス軍がそのまま渡河をするのは困難を極めた。また、この頃になるとアズキニアなどを中心とした地理的にも近い国々の兵がリガルフィアからヤバンナ川・チェリー湖を伝ってキタイア川に侵入してきており、まだ到着したばかりで士気統制の整っていない師団が多くを占めていたものの、それでも敵の戦力は単純な人数比較だけで五倍になっていて、この時点でラクロス軍を超えていた。キタイア川をそのまま渡るのが不可能と判断したラクロス軍総司令部は、何らかの要因でキタイア川の防衛線を無力化することを模索していた。最初に考えられたのは航空戦力による空からの爆撃によって防衛線を崩壊させることであったが、ラクロス軍にはそこまでの航空戦力がなかったことや新しく航空基地を建てている時間がないこと、すでに空は連合軍が支配しており今からキタイア川下流空域の制空権を奪取するのは多くの損害が伴うであろうことから断念された。次にデルタ地帯を陸と海から突破する地形であった。キタイア・デルタは微高地、低湿地、無数の小さな支流や小さな三角州、砂嘴、砂州、ラグーンなどからなる複雑な地形が広がっておりラクロス軍の攻勢が最も成功しやすいような場所であったがそれでも渡河は厳しかった。
そこでラクロス軍はキタイア川上流の、チェリー湖との境界にあるリガ・クーラントダムを破壊して人工的に大洪水を起こし、防衛施設をすべて水で流すことを画策する。最初にラクロス軍は独立派の原住民に対してコンタクトをとり、ラクロス軍の特殊工作部隊をキタイア川上流に侵入させることを計画。ナルピアおよびヘレモアでは肥沃なデルタや下流の狭い地域で灌漑農業を営む農耕民と、上流で原始的なヤギやラクダの牧畜を行い砂漠や高地のオアシスを点々と移動する遊牧民の二つの民族が暮らしていた。原住民の農耕民は外国の入植者の支配を受け入れて近代文明に適応することに成功し、ダムや農薬によって恩恵を受けていた。一方で遊牧民は農耕民による河川工事や過耕作によって、家畜の飲み水を確保したり十分な食料を手に入れるのが難しくなっていた。
それにラクロス軍は目をつけ、遊牧民のラクダ兵や山羊による輸送によって1月20日に特殊工作部隊を上流に送り込むことに成功。現地で原住民の協力で現地の飛行場で連合軍兵に紛れて動乱を起こして無力化した上に数機の爆撃機を乗っ取ることに成功。ラクロス軍がダムに仕掛けた爆弾が作動するタイミングでダム周辺に戦術爆撃を行い、ダム周辺軍の指揮系統を麻痺させ、ダムへさらなるダメージを負わせた。これによってリガ・クーラントダムは1月21日午前10時ごろ損傷によって遂に決壊し、チェリー湖の水は一気にキタイア川から流れ出した。キタイア川はもともと乾燥地帯を流れる河川であったため、長さの割に極端に流量が少なく、分割大陸最大のチェリー湖の水を大泉洋に差し支えなく流し出すほどのキャパシティはなく、特に下流では大規模な洪水が発生した。流れ出した水は下流の三つのダムを勢いのまますべて決壊させて、キタイア川下流にほとんど弱まることなく流れ出した。1月20日午後5時ごろには増水はとうとう連合軍の防衛戦の最南端に当たるアブジャ・ナルキールまで到達した。連合軍はダム決壊の知らせを聞いていたものの、7時間の間に装備を含めた軍をすべて撤退させることは到底不可能であった。連合国総司令部は大量の野戦砲やレールガンを一つでも多く運び出すように現地軍に命令を下したが、現地兵の連隊は洪水から助かるために命令に従わず自分の身を優先して蜘蛛の子を散らすように東に逃げ、防衛線には連合国が短期間で集まられるだけ集めた火砲やミサイル、戦車はすべて置き去りにされた。洪水は止まることを知らずに下流を流れ、連合国の装備や現地の人々を海に流し出していった。午後8時、遂に洪水はキタイア・デルタに位置するナルピアの最大都市フリエガに到達し、午後8時半ごろには海に流れ出していった。この洪水によって連合軍の防衛線は完全に崩壊し、指揮系統も壊滅した。これによって連合軍は最新鋭の陸上装備の多くを失ったほか、多くの逃げ遅れた兵士が死亡した。また、最も被害を被ったのは軍ではなく下流から河口にかけて農業を営む農耕民であった。下流に広がる広大な畑はは洪水によって作物のほとんどが流されてナルピアの農業は壊滅的な打撃を負った。また砂漠地帯の特性上逃げる道が限定されるため住民が一気に避難することができず、住民の約五人に一人が死亡又は行方不明となった。さらに伝統的な灌漑農業のための水路が上流からの土砂で埋まって農業ができなくなったほか、流路も短期的に大きく変わってしまった。これによってキタイア川沿いに住む500万人以上の人が被害を受けて、深刻な食糧不足や住居の亡失が起こったため、合わせて50万人近くが最終的に死亡した。洪水が完全に引き切るまでは14日かかり、その後反動で5日間にわたってキタイア川は干上がってしまった。
ラクロス軍は最初は洪水の水が完全に引くのを待つことが提案されたが、またしても敵の意表をつくため1月22日正午ごろ、かろうじて通行ができるほどまで水が弱まったことを確認すると、アブジャ・ナルキールの第一、第二軍、キタイア・デルタの第三、第四軍、上流のパルキアール峡谷の第五軍に分かれて3つの地点からキタイア川の渡河を開始。アブジャ・ナルキールは南の崖状地形を背にして前衛に戦力を集中し第一軍の水陸両用戦車と第二軍の空挺戦術によって強行的に突破を行い、未だ水浸しの対岸に橋頭堡を構築。第一軍は引き続き東に進み続け、第二軍はそこから戦線を食い破るように進撃し第三軍、第四軍の補助を目的に対岸を川沿いに進み続けた。パルキアール渓谷は洪水の影響が比較的少ないことから敵軍の陣地は壊滅状態にまでは陥っておらずキタイア川の峡谷を挟んで両陣営によって激しい火砲やミサイルの撃ち合いが行われた。これにはラクロス軍は根負けし24日ごろの砲弾がなくなると第五軍は攻撃を停止し南部への転進を決定した。キタイア・デルタは3つの中で最大の戦いが行われた。連合軍は22日時点で既に、洪水によって新しく生成された微高地に最底辺の防衛拠点を築き上げており、ラクロス軍は防衛拠点を避けて通るわけにもいかず、低湿地や残水地を直進するしか突破方法がなかった。一方で連合軍の防衛拠点も点々と散らばっているのみであって接続されていなかったため指揮系統に重大な弱点を抱えていた。そのため連合軍も武器や人員を最前線に輸送して防衛線を再構築する必要があり、しばしば戦いは幾多もの支流によって区切られた中洲で行われた。25日まで両陣営で合計1000を超える突撃命令が出され大きく消耗していたが戦線が大きく動くことはなかった。これによってラクロス軍の進撃も終わると思われたが、26日の午前10時ごろに戦況を大きく変える出来事が起こる。連合軍の中で二番目に大きい防衛陣地があった中洲の一つのクライシューナ島が水の浸透による地盤の不安定化と砲撃などによる地面の揺れに地形が耐えきれなくなって瞬く間に崩壊してしまったのである。ラクロス軍はこの機会を逃さず、クライシューナ島があった地点を迂回する形で水陸両用戦車を集中投入しキタイア川最後の支流を渡り終え、キタイア川の渡河に成功した。そこから戦車部隊は最後の支流の東側に沿って敵防衛陣地を迂回し、南下中の第二軍とも午後6時ごろに合流し連合軍を包囲し27日正午にはデルタの中央を除いてキタイア川東岸を完全制圧した。ここまでのラクロス軍のキタイア川渡河作戦と連合軍の防戦を合わせてキタイアの戦いと呼ぶ。この戦いによって連合軍はキタイア川の防衛戦を破られ、ラクロス軍のナラキアとリガルフィアへの侵入が現実味を帯びることとなる。しかしラクロス軍も装備を今回の他界でほとんど鹵獲できなかったため、これ以降は最初期ほどうまく戦いを進められなくなっていく。
キタイア川の戦いによって連合国中央セガトール軍司令部は完全に壊滅し、北カンブリカの防衛体制は壊滅的な打撃を受けた。総軍司令部は北カンブリカに残された30万の軍を使って再び、ナラキアに辿り着かれる前に防衛線の構築を目指したが、軍には十分な士気が残っておらず装備も補充には時間が足りないと判断された。もはや連合軍にはラクロス軍に抵抗する力は全く残されていなかった。そこで人的資源を保全するためキタイア川からナラキア国までの間の軍はほとんどがキタイア川から20km東のパルチザリカから撤退することが決まった。身一つで先の洪水から逃げ出した兵士たちは乾燥地帯に連隊単位で転々と取り残されていて脱出命令を下すのは不可能と思われていたが、連合軍はかろうじて残っていた航空機を総動員してビラ撒きや上空からのアナウンスで残存兵に撤退を促した。この時の命令はひたすら南に向かえという極めて単純なものであり、多くの兵士はそれに従ってわずかな食料や現地からの収奪によって南に行軍し続けた。撤退命令に従わず現地に残った兵や途中でラクロス軍の捕捉され捕虜になった兵、食糧不足によって行軍から脱落した兵はパルチカリザに辿り着けなかったが、それでも13万の兵がパルチカリザに辿り着き、27日から撤退を開始した。撤退は30日にかけて3日間かけて行われその間には戦闘教義に従ってパルチカリザ後方の占領を優先したラクロス軍からの攻撃がなかったため12万3000人の兵が撤退に成功した。
ラクロス軍はキタイア川全域を占領すると南方のチェリー湖周辺と東方の乾燥地帯に二つの戦線を抱えた。そこでラクロス軍は軍を再編成し、キタイア川上流で戦闘慣れした歩兵師団を中心に第四、第五師団を再編成。また、機動兵器や戦車、機械化歩兵を中心に第一師団、その他歩兵を中心に第二、第三軍を再編成した。第四、第五軍は南方戦線に配属されメガロド作戦と呼ばれるヤバンナ川に沿ったヘレモアへの侵攻作戦を担当。第一~三軍はユーゲント作戦と呼ばれるナラキア、ヤデント方面への侵攻作戦を担当した。ラクロス軍の再編成は各兵科ごとに適した戦地を担当するという合理的なものではあったものの、急であったため兵器の輸送や人員の急な交換が起きて再編成は滞り、完全な再編成がされないうちに出撃命令が出されたためその後の先頭に悪影響を与えた。また、クランティアナ、レーメルバカ、シューズ・フロリカ、パン・カ・ミアンでの包囲下の連合軍を25日にようやく殲滅し東に向かっていた師団がかなり後方取り残されており、命令の伝達や補給も怪しくなっていった。
一方、ラクロス軍第二軍集団はヘキア戦線でもラクロス軍は滞りなく前進していた。1月12日から1月15日にかけて戦線は280km近く南方に移動し、ヘキアの連合軍はラクロス軍の奇襲侵攻によって次々と後退させられていった。しかし1月16日のキユリヒトの戦いの後は進行は大幅に鈍化し北ヘキアの中央あたりで戦線はほとんど動かなくなった。西海岸戦線は北カンブリカ以上に乾燥した地域で行われ、都市も少なく、占領に対する土地の価値が相対的に低かったため、北カンブリカ戦線のように機動兵器や戦車によって激戦が繰り広げられることはなく、細々と歩兵によって戦いが続けられた。
南方戦線の戦闘は険しい高原地帯で行われた。ラクロス軍はリガ・クーラントの戦い以降は低インフラ地帯を強行突破を目指し突撃。そしてクレ峡谷の戦いで戦線を突破し連合軍12師団を包囲し、ヤバンナ川を下りリガルフィアに入るため前進を続けた。しかしヘレモアの亜熱帯林に進軍を阻まれて思うように進軍できず、時間を浪費している間に南から連合軍が集結したために戦線は膠着し、ラクロス軍のメガロド作戦は失敗に終わった。
主戦戦の東部戦線はキタイアの戦い以後しばらくラクロス軍の猛進撃が続いた。パルチカリザの戦いが終わった30日時点で、既に26日のクライシューナ島沈没によってキタイア川東岸に渡り終えた機動兵器を中心とする第一特殊装甲師団が連合軍がほぼ撤退したためユーゲント作戦に従い狭い無人の海岸を補給環境を無視して猛進した末、ちょうどナラキア最東端から1600km、つまり分割大陸北岸の丁度四分の一の地点に達していた。ラクロス軍の進撃は止まらずナラキア国に侵攻する勢いであった。連合国は13日の時点でエルドビア侵攻時と同じように各国と国連から総勢700万にも及ぶ軍をかき集め分割大陸に派兵することを決定していたが、セガトール、西ナルピア、東ナルピア海岸部の高インフラ地帯を占領されたことやラクロス潜水艦隊の通商破壊によって東部大熱帯雨林や中央大山脈、ピアナラ回廊*60後方のシルヴァン砂漠などの低インフラ地帯を通過せねばならず、北リガルフィアに派兵されたのちに一気に主戦戦に送ることはできなかった。それでも連合国軍は少しずつ南部から北部へと歩兵を中心に軍を移動させ続け続けたが、そうしている間にラクロス軍はどんどん進撃を進めて占領地を拡大させていた。
そこで連合国軍は1月26日、戦略爆撃のために温存して置いた大量の航空機を使って機動兵器を宙吊りにして主戦戦まで運ぶという異色の作戦の実行を決定。当初この作戦はラクロス軍の爆撃に市民を危険に晒すことに抵抗を覚えた守旧派から猛反発を受けたが、最終的には守旧派も直接占領されては元も子もないということで作戦の実行に合意。また作戦内容には大中央山脈の峠を機動兵器などで確保し、大量の兵士を送り込むための街道を開くという内容が付け加えられ、連合国が優勢になるとラクロス島侵攻までの全ての過程を総称して桜花作戦と呼ばれるようになった。そしてピアナラ回廊の東端から約50kmのバレル・テルメで両軍の機動兵器が相見えた。キタイア・デルタから撤退した連合軍であったが、先程の連合軍の機動兵器降下作戦によって機動兵器をバレル・テルメ付近に大量に降下させ、強力なバレル・テルメ防衛線を構築していた。尤も、可能な限りの航空機のリソースを補給に割いていても充足しておらず、一度防衛線が突破されれば再興は不可能であったため後にハイリスクな作戦と評価されている。その防衛線は北は海岸から南はサラーラ低地まで30kmにも及ぶものであったが、この全線を固めることは困難であったので、要所要所に一般機動兵器部隊を待機させ、一般機動兵器部隊がラクロス軍を足止めしている間に、精鋭機動兵器部隊が戦場に駆け付け反撃することを想定していた。また一般機動兵器部隊と言っても殆どの部隊が重装甲化されていたので、戦線のどこかが攻撃されれば、他の陣地を守っている部隊も増援に駆け付け、さらに砲兵も集中し、車両で機動的な運用を行って、敵に向けて集中砲火を浴びせられるようにしていた。これはラクロス軍が少数精鋭の機動兵器による一点突破浸透作戦を用いたのに対抗して、防衛線の中で戦力を速やかに戦闘地帯に集中することが目的である。敗北の中で着々と防御を固めていた連合軍に対して、ラクロス軍の総統である島本は勝利に驕って連合軍を完全に舐めており連合軍防衛線の側面と背後に回り込んで一撃を加えれば戦線は崩壊するものと信じて疑わず、ひたすら東に向かって猛進撃を続けていた。軍内ではそのような島本の姿を見てラクロス軍内では、ソリトイアにある高級ホテルに島本が既に宿泊予約を入れているという噂が流れた。また、ソリトイアで勝利パレードをするため、既にラクロス首脳が北カンブリカに訪れていた。しかし、これらラクロス側の慢心は明らかに軽率であり、連合軍は暗号解読によっラクロス軍の作戦の概要を既に掴んで準備を重ねていた。1月28日にラクロス軍が進撃を開始した。作戦ではラクロス軍防衛線を大きく迂回して避けたのちに海岸線に向かって北上する計画であったが、前日の激しい砂嵐で事前の偵察を殆どしておらず、連合軍の配置の情報がないままの進撃で、迂回するつもりが逆に連合軍陣地の真ん中に突入してしまい、激しい戦闘となった。ラクロス軍は連合軍が築いた防衛線は海岸から15kmくらいまでしか広がっていないと予想していたが、前述の通りサラーラ低地までの30kmに渡って防衛線を築いていたため、ラクロス軍は予想していなかった進行を強いられて消耗していった。ラクロス軍は中央軍司令部に攻勢の中止を訴えたが、島本の過信によってそれは聞き入れられず、後方迂回作戦の継続を続けなくてはならなかった。ラクロス軍は補給もままならいまま、連合軍の側面からの攻撃を防ぎながらひたすらになんかを続けた。しかし30km進んだところで杜撰な補給体制とあまりにも厳しい砂漠の複雑な地形によって攻勢限界を迎えた機動兵器部隊や自走砲部隊が動かなくなり始め、作戦の続行は困難を極めた。後方迂回作戦を物理的に不可能と判断したラクロス軍は独断で撤退を開始したが、時すでに遅く砂漠の奥地に引き込まれたラクロス軍は撤退中に連合軍の自走砲による集中攻撃や量産型機動兵器による白兵戦で次々と精鋭の重装甲機動兵器を失っていき、初期の陣地まで撤退した頃には戦力は三分の一にまで減少していた。これを好奇と捉えた連合軍は撤退するラクロス軍への反撃を命じ、ラクロス軍第三特殊装甲師団は多方面攻撃によって殲滅寸前にまで追い込まれたが、それまで目立った活躍が見られなかった近接航空支援機数機が運よく連合軍の旅団司令部を急降下爆撃で破壊し、旅団長が戦死したため、攻撃は中止され第三特殊装甲師団は難を逃れた。ラクロス軍は部隊の配置換えを行い、陣地前には厚く地雷を埋設し、陣地前面に野戦砲を押し出した。さらに後方から戦車の補充が到着し、機動兵器は44機まで回復した。ラクロス軍は海岸道路の奪取を目的に再度攻勢を仕掛けたが、強力な防御陣地の前に突破は叶わ攻勢を中止した。一方連合軍は当時戦力で上回っていたものの、砂嵐と海陸風によって敵の情報を思うように掴めず、相次ぐ敗北で慎重になっていた連合軍司令部は攻撃を命じなかった。その間にラクロス軍は機動兵器を配置して防御陣形を構築し、その後もラクロス軍は連合軍の攻勢を凌ぎ続け、両軍は一進一退の攻防を継続した。連合軍軍の攻撃で大損害を被ったポラ・ハート第4特殊装甲師師団や第60歩兵師団のようなポラ・ハート軍の不甲斐ない戦闘に島本は怒りを募らせ、ラクロス軍とポラ・ハート軍の間ではきつい言葉が飛び交った。連合軍第1特殊装甲師団を率いていた司令官は勇敢で有能な指揮官ではあったが、これまでの敗戦で必要以上に慎重になっていた。甚大な損害以上にラクロス軍を悩ませていたのは補給問題であった。戦後にはラクロス軍は不十分な補給しか受け取っていなかったとも見られるようになったが、これは明らかな誤りであり、ラクロス軍を悩ませていたのは、補給量ではなく補給路の長さであった。北カンブリカのラクロス軍に対する補給は、ラクロス海軍が主役を担っており、必要な量の補給はなんとか港を輸送船が出航する時点では確保されていた。しかし、周辺海域の制空・制海権が連合軍に奪われていく中で、揚陸港はよりラクロス軍に近いセガトールのナルジェやセーセンエルであった。一方でラクロス軍は攻勢限界を超えてナラキアに向かって猛進しており、揚陸港からの距離は離れる一方で、せっかく揚陸した物資も最前線に届くまで数日を要した。
ナラキアまで進攻したラクロス陸軍は、ラクロス海軍に攻略したフリエガやパデント・アレルまで補給品を輸送するよう要求した。それまでラクロス海軍は連合軍航空機や潜水艦に海路の安全を脅かされる中でも、海上における海上輸送能力のほぼ全てを投入して陸軍に補給品を送り続けたが、ラクロス陸軍の矢のような要求にやむを得ずナラキア周辺まで航路を伸ばした。しかしラクロス海軍の懸念通り、連合軍の攻撃は激烈でフリエガへの海路はラクロス海軍の墓場と化して損失は4倍に跳ね上がり、陸揚げ量は約60%にまで落ち込んだ。また、装備鹵獲作戦も連合軍精鋭部隊の登場によってうまくいかなくなり始め、補給に加えて充足率もじりじりと下がっていった。ラクロス軍は本国から持ちこたえることを要請されたが、守りに入っては連合軍の物量に押されて持ち堪えられないのは明らかであったため、もう一度全力を結集して攻勢に転じることを決めた。作戦計画はこれまでの砂漠戦の集大成のような雄大なもので、海岸沿いでポラ・ハート軍歩兵師団が連合軍の注意を引いている間に、ラクロス第3特殊装甲師団とラクロス第1特殊装甲師団及び戦車師団、自動車化歩兵師団が前線から南東方向に大きく迂回、連合軍の後方に達したところで海岸線に向けて一気に北上して、足止めしているポラ・ハート軍歩兵師団と共に連合軍を包囲して殲滅し、その後にソリトイアを目指して進撃するというものであった。しかし連合軍は背水の陣で士気はこれまでないほどに高まっており、これまでの戦いからラクロス軍の行動パターンを徹底分析し入念な対策を行っていた。連合軍はサラーラ低地の遥か手前から厚い地雷原を敷かせ、サラーラ低地の20km前から強力な陣地を構築して量産機体を配置、さらに精鋭機体も砂の中に埋め、銃身だけを地上に出して待機させた。もしラクロス軍が正面から攻撃してくれば、厚い地雷原に阻まれたところを攻撃し、一方でいつもラクロス軍の常とう戦術の通り、地雷原や陣地を大きく迂回すれば、それに釣られて連合軍機動兵器が白兵戦を挑むのではなく、連合が想定している戦場まで機動兵器を引き込んでから、補給線が伸び切ったところで反撃することとしていた。これまでは連合軍はラクロス軍の攻撃に対し戦略的撤退や防衛陣地の変更などで柔軟に対応することを試みていたが、機動力で勝るラクロス軍には通用しなかった。そこで今回は死守によって一切の陣地の変更を行うことなく、戦いの主導権をなんとしてでも保持することを最優先目標とした。
先述の通り、このままではじきにジリ貧に陥ると先行きを悲観していたラクロス軍が2月1日に乾坤一擲の攻撃開始を命じた。しかし、この進撃開始の時間さえも連合軍は察知していた。戦線北部の海岸沿いのポラ・ハート軍歩兵が攻撃を開始したとの報告を受けたは、これは陽動作戦であると断じて特に対抗策を講じることはしなかった。ラクロス軍工兵は必死に地雷原処理を行ったが、地雷は予想以上に多く、処理は捗らなかった。島本の計画では明け方までに50km進撃している予定であったが、厚い地雷原に阻まれ、実際には15kmしか進撃できていなかった。やがて夜が明けると、連合空軍の戦闘爆撃機多数が飛来し、ラクロス軍機動兵器隊を攻撃し始めた。激しい爆撃で損害が続出し司令官の妹である副司令官島本が負傷、ラクロス第1特殊装甲師団は大きく消耗してしまった。ここで島本は計画を変更し、当初は夜間に敵陣深く50km前進し、それから進路を北方に変えて進撃して、連合軍を背後に廻り込んで叩く予定であったのを、計画より遥かに手前で部隊を北方に転進させた。しかし、燃料補給に手間取り、ラクロス軍が進撃再開できたのが午後1時、ポラ・ハート軍に至っては3時となってしまった。この間さらに連合軍は防御を固めて、ラクロス軍、ポラ・ハート軍を待ち構えた。また、こうして戦闘が繰り広げられている間にも連合軍によって空から次々と補給物資や兵士、機動兵器が運ばれ続けていた。ラクロス軍の早期攻撃は連合軍がこれらの支援によってさらに防衛力を高めることを恐れたのが一つの要因である。連合軍の空輸を妨害するためラクロス軍航空機がこれらを迎え撃ったが、当初は立地などの関係上十分に妨害できていたものの、量で勝る連合軍の前に制空権を維持し続けることはできなかった。さらに不幸なことに激しい砂嵐が発生、先頭を行ラクロス第1特殊装甲師団とドイツ第3特殊装甲師団は視界不良のなかを手探りで進まざるを得ず、やがて目標のサラーラ低地10km手前までどうにかたどり着いたが、そこで待ち構えていた連合軍からの激しい機動兵器によるバルカン砲、機関砲、レールガンの砲撃が浴びせられた。戦車師団も戦場に到着したが、そのタイミングを見計らって連合軍特殊装甲師団精鋭部隊が砂の中から現れた。歩兵隊と見事な連携攻撃を行い、視界不良の中で不意に連合軍陣地から攻撃されたラクロス軍戦車隊や、遅れて到着し連携不十分なポラ・ハート軍戦車隊を圧倒した。激しい戦車戦となり、両軍機動兵器や対火砲が次々と撃破されたが、ラクロス軍、ポラ・ハート軍は全く前進できなかった。やがて日が暮れたので両軍は進撃停止したが、燃料の備蓄が乏しくなっていたうえに、眼前サラーラ低地の堅陣を突破する妙案もなく、2月2日の夜が明けても、小規模な攻撃しかできなかった。動きの止まったラクロス軍、ポラ・ハート軍の機動兵器相手に連合軍戦闘爆撃機が襲い掛かり、次々と機動兵器が地上で撃破された。島本自身も爆死かという危機も味わった。タイミングを見計らっていた連合軍は、計画通り防衛線南端を守っていた第1特殊装甲師団師団にラクロス軍の後方に回り込んで退路を遮断するように命じた。包囲されることを恐れた島本は突破した地雷原まで後退し、2月3日夜には、島本はサラーラ低地の攻略をあきらめて、軍の撤退を命じた。
しかし、島本は奪取した地雷原の一部や、占拠した見通しのよい展望点いくつかには部隊を残させた。彼女は先述の戦闘で戦いの主導権を失ったことをすでに確認しておる、後続の歩兵師団が到着するまでいかに守り切るかを考えていた。連合軍は討ち漏らした島本などが搭乗する精鋭機動兵器を殲滅するため入念な作戦を立てた。作戦計画では、まずはラクロス軍の戦力が薄い防衛線南部で欺瞞作戦を行い、島本に防衛線南部から攻勢をかけるように誤認させて、戦力の分散を狙った。この欺瞞作戦は極めて巧妙なもので、防衛線北部で軍主力が攻撃準備のために、車両を移動させると、防衛線南部でも同数の車両を動かしてラクロス軍の目を欺いたり、さらには、給水パイプに見せかけたフェイクのパイプをわざわざバレル・テルメの補給基地から防衛線南部まで構築した、張りぼての戦車や軍用車や火砲などが大量に作られて砂漠に並べられ、あたかも大部隊が防衛線南部に集結しているようにも見せかけた。一方で実際の攻勢が行われる防衛線北部においては、火砲や戦車を張りぼてのトラック内に隠したり、歩兵も日中は幌のついたトラック内で待機させ、兵力があまり配置されていないように見せかけた。そして、この作戦の最大の目的はラクロス軍の機動兵器を全滅させることにあった。
一方で島本も隷下の歩兵6個師団降下猟兵旅団に30kmに渡バレル・テルメ戦線に渡って塹壕を掘らせ、戦線中央部の歩兵陣地後方に防衛線を強化するためラクロス第1装甲師団の戦車を砂の中に埋めて待機させた。これまでセガトールからナラキアまで前進に次ぐ前進を続けてきた、島本たちはついに陣地での防衛戦を強いられることになった。島本はいつ連合軍が攻勢をかけてくるかを確実に知るために、常に機動兵器たちに見回りをさせており、その数約全体の3分の1であった。しかしこれによって機動兵器をさらに消耗させてしまう。さらに島本は鹵獲した地雷を全て巧妙に配置し、その間隔は5mでしかも連動して誘爆するようになっていた。その上地下三層にわたって地雷が埋め込まれておる、地雷撤去に手こずったところを精鋭機動兵器で集中して殲滅することを繰り返して防衛を行うつもりでいた。2月5日から、連合軍航空機による、爆撃と機銃掃射がラクロス軍の各飛行場に行われ、制空権はあっさり連合軍のものとなった。そして2月7日午後8時から満月の下で連合軍が北部戦線のポラ・ハート軍陣地に向けてバルカン砲などによる集中砲撃を開始した。連合軍の砲撃はラクロス第1歩兵師団と第2自動車化師団が守る北部戦区約3kmの範囲に集中した。連合軍の自走砲数は約3,000門であり、3mごとに1門の火砲が12時間に渡って休みのない猛射を加えた。ラクロス軍とポラ・ハート軍の陣地には連合軍の砲弾が1分毎に2900発着弾し、コンクリート製のトーチカは破壊され、機動兵器陣地も陥没した。島本が精魂込めて築き上げ、絶対の自信を持っていた地雷原も例外ではなく、鉄条網は砂や小石と混じって間欠泉の様に吹き上がり、地雷や航空爆弾も空中に舞い上がるか、激しく誘爆した。このような地雷処理は島本には想像もできなかったもので、ラクロス兵とポラ・ハート兵は連合軍の砲弾で身体に何の痕跡も残さず死ぬか、誘爆する地雷や航空爆弾の爆発で、土砂に埋もれてしまった。砲撃は事前の入念な観測により正確にラクロス軍、ポラ・ハート軍陣地に着弾した。また、空からは連合空軍の爆撃機や戦闘爆撃機がひっきりなしに飛来し、砲撃と連携して銃爆撃を浴びせた。砲撃開始早々に通信網が断絶されてしまったので、第一線で何が起こっているのかまったくわからなかった。激しい砲撃の下、連合第30軍団の歩兵が進撃を開始したが、猛砲撃で地雷を鋤き返したと言っても、まだ大量の地雷や航空爆弾が砂漠に残っていた。各歩兵師団の先頭には、これまで徹底的に訓練されてきた工兵隊がおり、手際よく残った鉄条網を切断し、地雷を処理していったが、急に用意された地雷探知機はその多くがまともに機能せず、結局殆どの工兵たちは、銃剣を砂に突き刺して地雷を探索するという原始的な方法に頼らざるを得なかった。工兵隊は2輌の機動兵器が同時に通行可能な30mの幅員の通路数本の開通を目指したが、原始的な手法のため、地雷や航空爆弾の起爆による犠牲者が後を絶たなかった。ある部隊は110kg航空爆弾を起爆させて一瞬で1個小隊30人の身体がバラバラになって吹き飛ばされるなど、連合軍各部隊は、敵と遭遇する前から地雷や爆弾で多大な損害を受け、野戦病院には次々と負傷した兵士が運び込まれ、押し入れのような小部屋で軍医による緊急手術が行われ、野戦病院はパンク寸前だったという。地雷探知機が使用できた部隊ですら1時間に180m進むのがやっとであり、8日の夜明けまでに司令部が求める突破口を開くことができるのか、各師団は大きな犠牲を払いながら時間との闘いを強いられた。また、砲撃や地雷などの誘爆ですっかりと掘り返された砂漠を見て、連合軍兵は生き残ったラクロス兵やポラ・ハート兵はいないのではと考えたが、それは間違いで、ラクロス、ポラ・ハート兵は身を隠しながら連合軍を待ち構えており、接近するや、機銃や対戦車砲を浴びせて、連合軍各歩兵師団は激しい抵抗で前進を止められ、両軍近接した中で激戦が繰り広げられた。激しい戦闘の前で連合軍兵士は次々と散っていったが、やむなく司令部の命令に従い、第1軍団は強攻の末9日午前8時には地雷原を突破したが、これは当初の作戦計画から丸一日遅れていたうえ、16,000人もの兵士が死傷するという大きな損害を被った。一方でラクロス軍は機動兵器対機動の戦闘を諦め、自走砲やレールガンなどの砲撃を集中してどうにか連合軍戦車隊の足止めを図った。連合軍の猛砲撃のなかでわずかに残った地雷原も活用して連合軍量産型機動兵器隊をうまく地雷原内に誘導した後に集中砲火を浴びせ、大型航空爆弾の誘爆連鎖で12輌の連合軍機動兵器を一気に撃破するなど、相手に相当の損害を与えどうにかその突破を防いでいたが、数も質も勝る連合軍戦車の前に損害は蓄積しており9日の終わりには第1特殊装甲師団の可動機動兵器は31輌にまで減っていた。
そして遂に大量の歩兵の命と引き換えに一部戦線の地雷の撤去が完了し、10日の正午ごろに連合軍ナラキアの機動兵器が一斉に開いた穴から敵軍陣地に傾れ込んだ。ラクロスはこの時点で敗北を確信し、なんとか機動兵器を撤退させるため、大量のレールガンや自走砲を最終防衛陣地まで下げて連合軍に集中砲火を浴びせ続けた。しかし、一部の精鋭機動兵器はこれを突破し、逃げるラクロス軍の機動兵器を捉えることに成功した。この時戦線で機動兵器同士の激しい白兵戦が繰り広げられ、ラクロス軍の多くの機動兵器が背後からの攻撃で殲滅された。ラクロス軍とポラ・ハート軍は11日にはありったけの自動車を総動員して兵士を逃がそうとしたが、激しい砂漠の前に撤退をスムーズに行えなかった。結局連合軍の猛追の前で逃げられたのは島本を含めた少数の少数の機動兵器のみで、ラクロス軍はこの戦いで戦力の多くを喪失し以後戦いを優勢に進めることは無くなった。そのため、この日バレル・テルメの戦いはラクロス戦争全体の転換点として記録されている。
バレル・テルメの戦いでラクロス軍は初の本格的な敗北を喫し、戦線は120kmほど西に押し戻された。これ以降ラクロス軍がピアナラ回廊を超えて西ナラキア低地に侵入してくることはなく、連合軍はラクロス軍をナラキアの手前でなんとか食い止めることができた。連合国はラクロス軍特殊装甲師団の無力化を目的として疲弊したラクロス軍を猛追し、ピアナラ回廊を西にに進むラクロス軍を背後から攻撃し続け、2月12日正午から13日未明までのピアナラ回廊撤退戦でラクロス軍に甚大な被害を与えた。しかしラクロス軍は歩兵を狭いピアナラ回廊を塞ぐように配置して、死守防衛を命じなんとか特殊装甲師団がケルキューレイの拠点まで撤退する時間を稼ぐことを試みた。その結果歩兵は連合軍の猛攻によって全て玉砕したものの、バレル・テルメの激戦を生き残った特殊装甲師団の機動兵器をほとんど失わずに撤退することに成功した。2月14日、ラクロス軍はピアナラ回廊の占領地を放棄してピアナラ回廊の西の端に当たるパデント・アエルまでの撤退を決定した。パデント・アレルから南南東に引かれる線のから東には前述の通り高原状の砂漠や塩水湿地が広がるシルヴァン砂漠があるためピアナラ回廊以外の東方向から攻めることはほぼ不可能で、同時に南からヤデントに伸びる平地を守るのにも適した拠点であり、パデント・アレルは最も防衛に適した地点の一つでありそれをラクロス軍も理解していた。しかしこれはラクロス軍にとっての大きな誤算を一つ含んでいた。それは、連合軍がピアナラ回廊を奪い返したことによって連合軍の兵輸送路が大幅に改善されたことである。これまでは東部戦線においてはリガルフィアからヤデントを経由して兵士を送っていたため中央大山脈や東部大熱帯雨林を通るしかなかったが、ピアナラ回廊を占領したことでシルヴァン砂漠を海路で迂回しバレル・テルメなどの港を経由して大量の兵士を送るという新たな選択肢が確保できたからである。しかしそれだけでは兵士を送ることは困難であった。ラクロス軍の潜水艦隊が周囲の海域に展開し通商破壊を行なっていたためである。そこで、この気を逃すまいと連合軍は各国からかき集めた艦隊をヤデント沖に派遣した。
そして2月18日未明、両軍の主力艦隊がヤデント沖で邂逅したことでヤデント沖海戦が発生した。ラクロス軍の潜水艦は奇襲攻撃を狙って分散し魚雷や機雷による連合艦隊への集中攻撃で駆逐艦16隻、重巡洋艦1隻、巡洋戦艦2隻を撃沈し勝利を確信し更なる攻撃を加えることを画策した。しかし連合艦隊は海域からの脱出を行わず副砲や魚雷で潜水艦を18隻撃沈させた。しかしそこでヤデントの熱帯林から発進した大量の艦上攻撃機と艦上爆撃機がヤデント沖に急行。海上戦に於いての制空権は完全に連合軍のものとなり、ラクロス潜水艦隊は全滅し、南方と北方を繋ぐ海上ルートは再び連合軍のものとなった。
そして、連合軍はラクロス軍を完全に大陸から叩き出すべくパデント・アレルを奪還し西に押し返していくことを目的として攻勢を開始。しかしパデント・アレルの守りは硬く20日から22日まで断続的に攻撃を加えたにも関わらず前進は敵わなかった。そこで連合軍は25日に南方・東部・西部戦線の全てで一斉に攻撃を仕掛け強攻によって突破する作戦を立案。しかし、この作戦は甚大な人的被害が予想される上に得られるものが攻勢の労力に見合っていないとして、パデント・アレル後方のキタイア川河口部のフリエガへの上陸によりパデント・アレル方面のラクロス軍を丸ごとごと包囲して殲滅することを計画した。その前には陽動作戦として南方戦線全体で戦線を北に押し上げるための一斉攻勢が行われ、チェリー湖畔を完全に奪還す、キタイア川にまで戦線を押し上げることに成功した。しかしながらキタイア川の流域以外はほとんどが砂漠の軍隊侵入不可領域でありパルキアール峡谷に密集するラクロス軍を突破できなかった。しかしそれが真の狙いであり、キタイア川にラクロスの兵力を引きつけることでフリエガやアブジャ・ナルキールから兵力を引き剥がすのが目的であった。また、更なる陽動準備として死亡した兵士の死体に偽の文章を持たせてラクロス軍に発見させるように仕向けることで、次の作戦地点を西部戦線のヘキアだと誤認させることに成功。パデント・アレル後方はガラ空きとなった。そこで満を持して連合軍は26日にフリエガへの上陸を開始。しかし最重要都市とも言えるフリエガには連合軍の予想と反して少数ながらも守備隊が配置されており、軽装で挑んだ連合軍は苦戦を強いられる。だが十分な近接航空支援と艦砲射撃、そしてキタイア川の渇水によって水不足によってうまく水際陣地をラクロス軍が構築できなかったことによりラクロス軍はフリエガより西に20kmの地点で戦線が突破されたことを皮切りに崩壊を始め、フリエガは28日に陥落しパデント・アレル方面軍は包囲された。包囲の情報が伝わったパデント・アレル方面軍はパデント・アレル港からの脱出を図るも、連合軍艦隊により船は兵員を輸送中に徹底的に狩られて、ラクロス島に到着できたのは3分の1に過ぎなかった。そこで残ったパデント・アレル方面軍はまだ上陸したてで駐屯部隊の準備が整っていないと思われるフリエガを再度奪還しパン・カ・ミアンなどを通ってセガトールよりラクロス島に帰還することを試みるも連合機動兵器部隊が逃げる歩兵を執拗に追撃。ほとんどが捕虜になった。しかし東部戦線にいたと思われる島本は機動兵器により連合軍の海上探知網を潜水によって掻い潜って、30日にラクロス島に命からがら帰還。島本は大陸放棄と全軍撤退を命令するも時はすでに遅く、指揮官の不在により混乱に陥っていたラクロス軍は各地で敗退を繰り返し、キタイア川以西のセガトールを保持しているのみになった。また、遂に31日にフリエガから東進していた連合軍とパデント・アレルから西進していた連合軍が最後の敵師団を倒して合流。ラクロス軍はセガトールの残党を残すのみになった。
3月5日、連合軍はラクロス軍の最終掃討作戦を開始。2000両を超える戦車が一斉に西進、北進を開始し、補給不足に苦しむラクロス軍は海岸沿いの都市とそれらをつなぐ鉄道に立て籠ることを試みるも、6日午前5時にラクロス軍師団が防衛線に到着する前にセーセンエルとクランティアナの間で連合軍が海に到達。ラクロス軍の補給拠点であるナルジェとレーメルバカ、シューズ・フロリカ、パン・カ・ミアンの三都市は切り離された。その12時間後にパン・カ・ミアンは陥落。最終的に三都市が陥落し23万人が死傷もしくは捕虜となった。8日には遂に連合軍は少なくない犠牲を出しながらラクロス軍の最後の拠点であるナルジェを攻略し、ラクロス軍は大陸から完全に追い出された。しかしながらこの時ばかりはラクロス軍は西に大きく迂回することで、連合軍艦隊の追撃を免れつつ兵士を本土に送り返すことに成功し、30万の兵力を温存することが出来た。
ラクロス軍の作戦は全て完全に失敗し分割大陸から叩き出されたほか、ラクロス軍は初期と比較して兵の7割を失った。ラクロス軍はなんとか引き上げに成功した戦力と残された工業力で島の要塞化を試みたが、開戦前に国連軍から奪った武器はすでに底をつき始めており、資源生産も追いついていなかった。また、連日のように夥しい数の戦略爆撃機がラクロス島に来襲してラクロス軍の軍需工場やインフラを破壊し、継戦能力を確実に削いでいった。また、ラクロス軍兵士は島本のラクロス帝国による世界新秩序の構築に賛同し従軍していたため、敗退を続けるラクロス軍に不満を持ち多くの兵士が離反を開始した。島本は必死の説得のもと引き止めを図ったものの、兵士たちの前にかつてのラクロスの夢を語る総統の姿はなくて、姿を見せたのはボロボロの機動兵器に乗る草臥れた戦闘員であり兵士は聞く耳を持たなかった。また義勇軍も戦後処罰を免れるためラクロス島からの脱出を開始。最終的に兵力は20万にまで激減した。
3月17日、連合軍はラクロス砂丘、チョクトー川河口部に同時上陸。ラクロス軍は島全体を要塞化して戦うことは不可能と判断して、首都ラクロスシティ周辺を徹底的な防備によって固ることを決定した。しかしラクロス軍には救援の当てのある味方もおらず、戦局の打開はもはや絶望的であり物資にも当然ながら限りがあるため、この抗戦は悪あがき的な側面を持つものであったと考えられている。島本の部下たちは徹底抗戦して生まれ故郷で散る予定であったが、一部の部下は兵士の命の保障のために無血開城からの降伏を提案したが、聞き入れられなかった。そこで、降伏派は敢えて連合軍に降伏してラクロスシティの防備の手薄なところを教える代わりに兵士の安全を保障させた。連合軍は警備は脆弱な西の海岸方面から上陸を仕掛けて突破を試みたものの河川や建物を用いた巧みな防衛の前に突破は叶わず、ラクロスシティ郊外には死体の山が積み上がっていった。しかしながら、ラクロス軍も連合軍に無停止攻撃の前に弾薬も銃も目に見えて減っていきジリジリと後退を続けついに行政中心地区まで連合軍が迫った。そして臨時国会議事堂が陥落し敗北を悟ったラクロス軍兵士の大半は降伏して武装解除された。こうしてラクロスシティの防備は崩壊したが、島本は単騎で機動兵器に乗って連合軍に挑み最後には自爆して戦死した。こうしてラクロスシティ攻囲戦は連合軍の勝利で幕を閉じた。
エルドビア戦役に続く、国際的テロ組織による大規模武力攻撃はアズキニア国内、ひいては世界全体に大きな衝撃を与えた。数年前までは一民間組織にすぎない団体が国連軍の武器を奪ってこのような規模の武力攻撃ォすることはまずあり得なかったのである。さらにはさまざまな理念に基づいて行動する過激派組織が急増しており、世界中で緊張が高まり始めている。これら一連の騒動を経てアズキニアは非同盟孤立主義政策を緩和し、国際協調に重きを置き始めるようになった。これによりアズキニアは世界各国の暗黙の相互独立保障体制に組みいることができたものの、その弊害として貿易的な安定が少しづつ揺らいでもいる。アズキニアは対外政策の転換点に立たされている。
植民地の内憂外患
2000年頃になると西オメガでは再び独立運動が再燃する。
年表
| 地質時代 | |
|---|---|
| 3億年前 | フロンティアプレートが誕生する。 |
| 1億3000万年前 | クロイシアプレートがフロンティアプレートに沈み込むように衝突し始める。 |
| 4500万年前 | クロイシア大陸とフロンティア亜大隆が接続する。ロード山脈、ラプラス山脈が造成され始める。 |
| 3000万年前 | コーラント海が形成される。 |
| 先史時代 | |
| 歴史時代 | |
| 868年 | |
| 1174年 | オポロシャ族の侵入によってシューローリンゲンを含むオクシアナ山脈以西一帯がが略奪を受ける。 |
| 1175年 | 1175年大火によりシュマリの3割が焼失。螺旋城も被害を受け、主塔が崩落。自ら鎮火作業に従事していたガラリヤ帝が崩落に巻き込まれ圧死。弟のオリンピア帝が即位。 |
| 1179年 | エアポリオの海戦でガルーナ帝国のテレペア帝の艦隊に敗北。コーラント海における優勢を失う。 オリンピア帝が病により崩御し、娘のヘレナ帝が即位 |
| 1180年 | 西メロビアを統一したオデシア首領国がシャルケー半島への侵入を開始しアズキニア王国からシューローリンゲンを奪う。これを機に両勢力の衝突が本格化。 |
| 1182年 | ペルファスを失陥。 |
| 1184年 | ヘレナ帝が自殺し、一世の孫のマルサックス帝が即位 |
| 1185年 | ビレン、オルボーダジュールを失陥 |
| 1187年 | コクルを失陥。 |
| 1195年 | テルンテモ河畔の戦いでオデシア首領国に大敗しマカールを除くシャルケー半島全域を失陥。これよりオデシア首領国はオデシア王国と呼称されるようになる。 |
| 1196年 | テルンテモ河畔の戦いの傷が元でマルサックス帝が崩御ヘルソン帝が即位。 |
| 1207年 | セントデリテーヌ首領国がアズキニア王国に反旗を翻し、トレアスの乱が勃発(~1221)。後にトレアス半島全体が離反。 |
| 1208年 | オデシア王国、トレアスの乱への介入を試み第一次アズキニア遠征を開始。アズキニア王国はトレルアードの戦いで敗れマカール、及びショウナゴン島全域を失陥 |
| 1214年 | オデシア王国、第二次アズキニア遠征を開始。ダイゴークの戦いでヘルソン帝を破り、アルトー・ラミダス海峡以西を獲得。 |
| 1215年 | ダイゴークの戦いの傷が元でフェシス4世が死去。ケレーネ帝が即位。 |
| 1221年 | セントデリテーヌ首領国、クロスの戦いでアズキニア王国に決定的な勝利を収め、アズキニア王国が独立を承認した事によりトレアスの乱が終結。 ケレーネ帝が暗殺され、弟のデサート帝が即位。 |
| 1229年 | デサート帝が狩猟の傷が元で崩御。シュカ帝が即位 |
| 1236年 | オデシア王国が第三次アズキニア遠征を開始(~1241)。 |
| 1238年 | 第二次ステラリス包囲戦が開始。64日間の包囲戦の末に落城。 |
| 1241年 | メコルフィスタの戦いで決定的な敗北を喫し、シュカ帝が戦死。アズキニア王国は中央平原のレヴァン川以南を喪失。息子セレンゲティ帝が即位。 |
| 1263年 | オデシア王国、第四次アズキニア遠征を開始(~1264)。フレリスタの戦いで勝利するもフィランの戦いで敗北。 |
| 1264年 | シュマリの戦いで敗北しロード山脈以西の進出を断念。アズキニア王国はシュマリ、ティアナスファ、フィランを維持するもフレリスタ以東のリナーシュ平野、カラカン平野を喪失。 |
| 1277年 | 宮廷貴族のアントンがセレンゲティ帝を暗殺してクーデターを起こし、自身の傀儡でシュカ帝の弟のセーラムを擁立するがセレンゲティ帝の嫡子のペルリエ帝の返り討ちにあい失敗(アントンの乱)。ペルリエ帝が即位 |
| 1280年 | オデシア王国のユルマ5世による第五次アズキニア遠征が開始(~1281)。へフェンステッドの戦いで敗れ、ダイナゴン島及びナゴン諸島を完全に失陥。 |
| 1281年 | アズキニア王国、フューウール沖海戦及びカドワの戦いで敗北しバクシス島を失陥。 |
| 1292年 | ペルリエ帝が宮廷貴族によって暗殺され、キューラ帝が即位。キューラ帝はアズキニア領の縮小を利用して反発的な貴族を粛清し権力基盤を強化(レーベル事変)。 |
| 1298年 | キューラ帝が死去。抗戦派のアムアールと和平派のレフトリスの間での後継者争いからレフトリスの乱が勃発。 |
| 1299年 | レフトリスの乱がアムアールの勝利で終結し、アムアール帝がアズキニア王に即位。 |
| 1300年 | オデシア王国による第六次アズキニア遠征が開始(~1307)。ユルマ五世の軍勢がレーベルに無血入場しプルファ島南部を奪取。これを受けアズキニア王国はダーメルに遷都。 |
| 1304年 | アムアール帝がユメイ島に侵攻(~1305) |
| 1305年 | ユメイ島征服を完遂し、オディルネに遷都。 |
| 1307年 | ユルマ五世がダーメルを攻略しプルファ島全土を征服。ユレウスの変によりユレウス帝はオデシア王国に降伏し、ジラント朝アズキニア王国は一時的に滅亡。アムアール帝がオディルネでアズキニア亡命王朝の樹立を宣言。 |
| 1311年 | アムアール帝、キール人と協力し一時的にダーメルを奪還。 |
| 1312年 | キール人との不和によりダーメルを再度失陥。 |
| 1317年 | アムアール帝、諸島連合が支配するカリエ島に侵攻。北シェイエロー戦争が勃発(~1326)。ヨルラントを攻略しカリエ島全土を占領。 |
| 1320年 | アムアール帝、ルルーシュラントの戦いで決定的な勝利を収めて諸島連合を滅ぼし、北シェイエロー戦争が集結。 |
| 1324年 | アムアール帝の探検隊がカーゾン島及びポラリス諸島を発見。 |
| 1326年 | アムアール帝、カーゾン島に城塞都市サンプレヒトの建設を開始 |
| 1330年 | ユルマ5世、第七次アズキニア遠征を決行(~1333)。アムアール帝はカリエ島、シマン諸島を放棄しカーゾン島に撤退。 |
| 1331年 | アムアール帝、亡命王朝の拠点をサンプレヒトに移動しサンプレヒト王国の建国を宣言。 |
| 1333年 | ユルマ5世、カリエ島及びシマン諸島を征服し最後のアズキニア遠征を完遂。 |
| 1337年 | アムアール帝が死去。嫡子のアテナイ帝が即位。 |
| 1341年 | アテナイ帝が転落死。弟のアパラチア帝が即位。 |
| 1356年 | アパラチア帝、デネシュの戦いでオデシア王国に勝利しシマン諸島を奪還。 |
| 1367年 | アパラチア帝が崩御。アリス帝が即位。 |
| 1409年 | アリス帝が病死し、コロンド帝が即位 |
| 1432年 | コロンド帝が怪死(現在は研究により新型インフルエンザと分かっている)。即位した息子のロン4世も2ヶ月後に同様に怪死。そしてアムアール4世の弟のアテナイ5世が即位するも9日後に怪死。王族や宮廷貴族は暗殺を疑い疑心暗鬼になる。 |
| 1433年 | 新年に忌避の儀式を終えてアテナイ5世の弟のロン5世が即位。しかし、ロン4世の弟のシュナイ2世はロン5世を暗殺の犯人と疑いこれを暗殺。ロン4世の嫡子のウルメークはこれに激怒し、ファーレン島にて挙兵しファーレン王国の樹立を宣言。シュナイ2世はファーレン王国に宣戦しファーレン戦争(~1441)が勃発。 |
| 1434年 | シュナイ2世、カリエ島に上陸を図るもオデシア王国とサンプレヒト王国との挟み撃ちに遭い、やむなく撤退。カリエ島はオデシア王国領に。 |
| 1436年 | 新型インフルエンザが収束。この年までに戦乱と合わせてサンピレヒト王国領土の18万人が死亡したと推定。 |
| 1438年 | シュナイ2世、フェリスの海戦で勝利しファーレン島の包囲を開始(~1441)。 |
| 1440年 | ウルメーク1世、カリエ島を強襲しフラジールの戦いにてサンプレヒト王国守備隊を殲滅。そのまま無人のカーゾン島に雪崩れ込み占領。 |
| 1441年 | シュナイ2世、セントメキシ島にて再起を図るも敗北し戦死。これによってファーレン戦争が終結。 |
| 1445年 | シュナイ2世、 |
| 1502年 | セザンヌ・ベルメールがオメガ大陸に到達し、現在のコトン半島付近をアルトー王国領と宣言。 |
| 1514年 | ユーラン・ベルメールがニューラシア大陸に到達。 |
| 1517年 | |
| 1523年 | メクトフォールの戦いでアルトー首領国がフューランド王国を破りアズキニアを再統一。 |
| 1525年 | アルトー首領が婚姻によってジラント朝を継承し、アズキニア王位が再びジラント朝の手に戻る。 |
| 1845年 | |
| 1900年 | |
| 1936年 | 八月革命 |
| 2003年 | クロイツ帝国が発見した分割大陸の東岸地域の探検を開始。リガルフィア平原にてクルーシュ王国と初接触し『大いなる再会』を果たす。 |
| 2004年 | 東岸地域に入植を開始。現在のアズキ川をロホール・ミクローシュが発見しアズキニア王国の外国からの呼称にちなみアズキ川と命名。クルーシュ王国、サパタン王国、ピピクス王国を保護国化。 |
| 2005年 | ナラキア北東部に入植を開始しセントナラキアが建設される。ヤバンナ川の最南の支流に到達し以南を領土と宣言するが、山脈と密林により以北への進出は断念。 |
| 2007年 | アズキ川に沿った探検の結果分割大陸にて西部中央山脈に衝突。進出を進める南西の平原部にて他国と接触が頻発。 |
| 2008年 | クルーシュ王国、サパタン王国、ピピクス王国を保護領化。 |
| 2009年 | ソリトイア条約によりセントナラキアを除くナラキア地方の領有権を放棄し、ナラキア国との国境線が確定。同時にアズキニア王国領ナラキアが成立し正式にアズキニア王国の海外領土と規定。 |
| 2011年 | 保護国を外交的圧力によって併合し、アズキニア王国領リガルフィアが成立 |
| 2014年 | オストロール合意によりリガルフィアと他国との国境線を確定。 |
| 2020年 | ディヨン協定が施行 |
経済
中継貿易による利益と文化産業による利益が非常に大きい。アズキニアの経済形態は物資を生産して富に変えるという形態ではなく、他から来たものを他に流す中継地点として機能させることで富を生み出すといういわゆる再輸出・中継貿易を行っている。ただし、最近は慢性的な不景気に陥っている。工業製品を積極的に生産しないのに植民地を含めた巨大な単一市場を有しているため、アズキニア市場での工業製品シェアを拡大し利益を上げるために工業国たちが鎬を削っている。そのため工業国たちの過度な開発競争によってアズキニア市場には安い工業製品が大量に流入する。また、アズキニア王国が同盟を組まないのは中継貿易を行うにあたって特定の国家を経済的に優遇すると貿易のバランスが崩れる可能性があるからである。
貿易経済
アズキニア王国は経済を完全に貿易に頼り切っている。中継貿易により他国から入ってきた商品を輸出することで莫大な収入を得ている。但し、市場規模は経済の割には小さい。
中継貿易に頼っている割には自給はできている
“アズキニア病”
アズキニア王国次元崩落テロからアズキニア王国は深刻な経済危機に陥り、実質GDP成長率は-14.8%を記録した。緊縮財政と復興政策によりなんとか経済の再稼働には成功したものの、不況は長く続いた。完全失業率はかろうじてテロ発生以前の水準にとどめられている。しかし、スタグフレーションにより物価は上昇し続けるのにも関わらず、所得は変化しないという状況になっており、慢性的な貧困が深刻化しつつある。不況から抜け出せず衰え続けるアズキニア王国の状況は“アズキニア病”と国内外から揶揄され、実際にアズキニア王国の経済的な威信は大きく低下している。ただ、それでも世界有数の超強大な経済力を誇る。
産業
新大陸などで企業的・商業的大規模農業が盛ん。産業の空洞化や脱工業化が原因で第二次産業の割合は相当低い。第三次産業の割合が高く、中でも特に貿易業・運送業・観光業が盛んで、経済的に大きく依存している。中継貿易によって大きな利益を上げているものの、その反面として経済格差は少なからず存在する。
第一次産業
農業
アズキニアでは主食かつ特産品の小豆以外の作物は育つのに適さないが、生産の改良により生産量は前近代に比べ急増し、大量の小豆を輸出できるようになった。正確な統計はないが、小豆の生産量と輸出量は間違いなくアズキニア王国が世界一。
- 本国の農業
アズキニア王国の農業は概して商業的といえるが、本土では時給的側面が大きい。アズキニア王国の小豆は小麦と共に主食として君臨している。これは数千年に渡って品種改良を続けてきたからであり、アズキニア王国の小豆は他国で栽培される小豆は違って、糖質の割合が品種改良によって非常に多くなったために、主食になりうるほどの栄養価を有しているというのが主食とされる原因である。但し一般的な小豆と呼ばれるものも概ね栽培されており、それらは国内で消費される他、海外へも輸出される。だが他国へ輸出された小豆は主食としてではなく、副食物として消費される場合がほとんどである。
中央平原では四圃制混合農業が行われている。輪作と二毛作の組み合わせによって四年間で八種類の作物を循環させるので、集約性が高く単純な労働生産性も圧倒的だが、休閑作物の栽培には労働力の継続的投下が不可欠であり、地力の減衰が著しいため中央平原の大部分を占める森林褐色土で導入した場合でも、莫大な量の肥料の投下が必須である。
小豆を主食にする国はここぐらいしか無いため、小豆はアズキニア本土だけで独占的に栽培・消費しており他国の小豆市場への参入はない。
| 一年目 | 二年目 | 三年目 | 四年目 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 季節 | 夏 | 冬 | 夏 | 冬 | 夏 | 冬 | 夏 | 冬 |
| 圃場① | A | 冬小麦 | 小豆 | アブラナ、カブ、テンサイなど | ジャガイモ、夏野菜など | B | 大麦、燕麦、トウモロコシなど | 緑肥作物*61 |
| 圃場② | 大麦、燕麦、トウモロコシなど | 緑肥作物*62 | A | 冬小麦 | 小豆 | アブラナ、カブ、テンサイなど | ジャガイモ、夏野菜など | B |
| 圃場③ | ジャガイモ、夏野菜など | B | 大麦、燕麦、トウモロコシなど | 緑肥作物*63 | 冬小麦 | 小豆 | アブラナ、カブ、テンサイなど | |
| 圃場④ | 小豆 | アブラナ、カブ、テンサイなど | ジャガイモ、夏野菜など | B | 大麦、燕麦、トウモロコシなど | 緑肥作物*64 | A | 冬小麦 |
||
||
| 季節 |
|---|
夏小豆4~8→カブ9~12、ダイコン9~2、アブラナ9~6→ジャガイモ3~7、夏野菜6→9
キヌア アマランサス
一年目の冬には、冬小麦を栽培する。冬小麦は秋に播かれ、積雪の下で越冬しながら根を張って翌年初夏に収穫される。耐寒性が高く寒冷な気候条件にも適応しており、積雪によって保温されることで安定した生育が可能となる。冬期間も畑を緑で覆うため、風食や土壌流出をいで雑草の発生も抑制される。収穫後の麦わらは、飼料や緑肥として再利用される。小豆と並んでアズキニアの主食でもある。
二年目の夏は、小豆を栽培する。特にアズキニアの気候に適したマメ科作物で、古くから重要な作物とされてきた。5月から6月にかけて播種され、8月から9月に収穫される。栽培期間が比較的短く収穫期の降雨にもある程度強いため、夏の主作物として全国的に最も広く栽培されている。マメ科植物の一種として、根に共生する根粒菌によって空気中の窒素を固定し、地力の回復にも貢献する役割も果たしている。ただし、連作障害を起こしやすいためイネ科や根菜類との輪作が基本とされており、アズキニアの輪栽式農業の中で地力維持と収益性を両立する役割を担っている。
二年目の冬には、カブやテンサイなどの根菜を栽培する。これらは搾油や製糖に使われるほか、搾りかすや茎は家畜の飼料となる。特に、カブ類は成長が早く品種によっては年を越す前に収穫できるので、不足しがちな冬の餌として昔から重宝されてきた*65。また、根菜類は地中に深く張った根によって土壌を深く耕す役割があり、土壌を改善するのに役立つ。
また、都市などの大消費地に近く園芸的側面が強い地域では、採種用のアブラナや、カブと同じくアブラナ科のキャベツ、ブロッコリーなどの冬野菜の栽培も見られる。
三年目の夏には春ジャガイモを栽培する。
二年目の冬にアブラナを植える場合は、翌年の六月まで種子の成熟を待つ必要があるので、トマトやキュウリ、パプリカなどのナス科の夏野菜を六月中旬から植えることも多い。但し、夏野菜を植える場合は、アブラナが畑に残っている間に苗を種から育てて用意しておく必要がある。
四年目の冬には、クローバーやアルファルファなどのマメ科植物を地力回復用に栽培する。これらマメ科の植物の根に共生している根粒菌が空気中の窒素を、栄養分として取り込んで植物が利用できるアンモニアに変え、三年間半にわたる作物の栽培で疲弊した土壌に活力を取り戻すのに役立っている。
三年目の夏にトウモロコシを植えた場合は、二年目の夏に植える小豆との連作障害を軽減するために、トウモロコシが特にイネ科の中でも連作障害が起こりにくいことを利用して、ライグラスやオーチャードグラス、トールフェスクなどのイネ科の植物を植える場合もある。
これらの栽培された植物は腐らせずに土壌に漉き込まれて、地力の回復のために翌年の春までに土壌に還元されて肥料となる。また、継続して地面が植物で茂っていることで、センチュウなどの害虫の発生を抑えやすくなる。また、緑肥にされず牧草として羊や乳牛などの家畜に与えられることも多い。
- アズキニア王国領リガルフィアの農業
短い乾季に降水量が少なくなるため、黄土・黒土平原が果てしなく広がっている。広い農地を使って小麦や大豆などの作物を主に生産している。 data-tippy-theme="light" data-tippy-interactive="true" data-tippy-allowHTML="true" data-tippy-content="貿易と観光の王国<br class="spacer">閲覧者数世界一!">アズキニア王国随一の穀倉地帯で、アズキニアのパン籠とも呼ばれる。作られた小麦は現地や本国でも消費されるが多くは国外に輸出される。やや乾燥した地域では羊や牛が放牧されている。北から南へ行くごとに降水量は減少し、気温も低下する。小麦畑では大型農機を使っているので一人当たりの耕地面積はとても広い。機械化が困難な農地でも、海外から出稼ぎに来た人を小作人として安い賃金で長時間*66労働させているため農業生産性は高い。企業的穀物・畑作農業、企業的放牧が基本であり、産物は大量に安価で国外へ輸出される。
- アズキニア王国領西オメガの農業
西の沿岸部を除いてラトソルや赤黄色土が広がっており、土地は痩せている。プランテーション農業や商品作物の栽培が盛ん。内陸部のジャングルでは焼畑農業が主に行われている。自給的農業の側面が強い。西部のアルハラ川流域では棗椰子の生産が盛んで、流域には合計5000万本近くの木があると言われる。これらは現地で食卓に並ぶ他、乾燥させて本国や国外に輸出される。アルハラ川の棗椰子は小ぶりだが甘みが強く濃厚で高級食材としても用いられる。
水産業
海洋国のため漁業は盛ん。遠洋漁業、沖合漁業が特にが盛ん。南部の入り組んだ多島海では牡蠣や真珠の養殖が盛ん。アズキニア王国の西部は寒流が流れるので中緯度でも北方系の魚が獲れるが、主要な輸出品はアズキニア王国領コールドランドの鯨とオキアミ。
春には多くの機械化大型漁船が船団を組んでアズキニア本土の港から東のコールドランドに向けて出発し、数週間かけて漁をして帰ってくる。東方漁と呼ばれるこの方式の漁は、船が機械化されていることに加え他国の船が漁をできないため生産性が非常に高い*67。そのため先進国にしては珍しく漁業従事者が多い。
北方に遠洋漁業に出かける船も多く、アズキニア王国領ナラキアはそうした船の一大補給拠点になっている*68。アズキニア王国領ナラキアで水揚げされた魚の多くはナラキア国を始めとする分割大陸北部に運ばれる。こちらも分割大陸北部では魚の需要が大きいため高い収益を上げられる。
近年、アズキニア王国に寄港する船が難破し重油が流失したりその船員が海にゴミを捨てたりすることもあるので、近海は最近少し汚れてきている。そのため近海の漁獲量が少し減ってきている*69。
漁獲量の回復のため、近年では栽培漁業に力を入れている。
林業
現在は本土での林業はあまり盛んではない。植民地からの安い輸入木材に押されているというのが主な原因であるのと、観光業に力を入れるためロード山脈を中心に木材の伐採を大きく制限したというのも要因である。
かつてはアズキニア王国領リガルフィアでも本国への輸出用に木が大量に切られ伐採跡地は畑となったが、リガルフィアの人口増加に伴い木の輸出が減少したのに加えて、リガルフィアでは広大な森林を伐採したことによる弊害で災害が増加しておりその反動として持続可能な林業が推進されるようになったため、今はリガルフィアからの木材の輸出はほとんどされていない。
現在最も木の伐採が進んでいるのはアズキニア王国領西オメガであり、中北部のジャングルや落葉広葉樹林が伐採されている。伐採された土地は放牧のために利用され、羊や豚が飼育されることが多い。西オメガでは急速に森林面積が減少していて、毎年本国の王宮首都シュマリと同程度の広さの森林が伐採されている。急速な森林破壊は環境の激変を招くとして多くの学者が警鐘を鳴らしているが、植民地政府は無視して森林破壊を続けている。
第二次産業
鉱業
アズキニアでの地下資源の特徴は西部と東部で大きく異なる。これは西部地域が険しい山脈や山地を中心とした新期造山帯に属するのに対し、東部地域は概してなだらかな地形が広がる安定陸塊や古期造山帯に属するからである。
西部では、全体としての産出量は多くないものの、埋蔵される鉱物の種類が非常の豊富で、これまでに200種を超える鉱物がアズキニアで新たに発見されている。また、大規模ではないながら銅やタングステン、チタンやクロムなどの非鉄金属の鉱床も数多く存在する。また、アズレーン内陸部では多くはないものの石油を産出し、パイプラインや船舶輸送を通して都市部へと供給されている。
東部では鉄鉱石や石炭を産出する。特に地上付近に存在する鉄鉱石は古代から鉄に加工されてきた。
しかし鉱脈が小規模で採掘コストがかかるため、輸出には回されず主に国内で消費される。鉄鉱石や石炭はあまり取れないためサークル帝国?などから輸入している。
現在では商業的な鉄鉱石やボーキサイトの採掘は全く行われていない。人件費が高い上に安全確保の水準が厳しいため、鉱産資源の採掘といった単純労働を行うには向いていないのである。また、観光資源の保護のために岩石を捨てることを禁止しているのも要因である。但し伝統産業用の鉱物資源の採掘は非常にわずかながら行われている。
工業製品にも共通する事だが、一般的な鉱産資源の多くを海外や植民地からの輸入に依存しているものの、世界最多の貿易国数によって安定した輸入先の確保と市場競争による価格競争の誘引が可能なため、極端な価格高騰や供給不足のリスクを最小限に抑えた安定した輸入を可能としている。また鉄鉱石やボーキサイトなどの資源については、後述する通り脱工業化の進行によりこれらを必要とする重工業が衰退してしまったため、輸入量自体が少ない。
- 金
現在、 data-tippy-theme="light" data-tippy-interactive="true" data-tippy-allowHTML="true" data-tippy-content="貿易と観光の王国<br class="spacer">閲覧者数世界一!">アズキニア王国で最も注目されている鉱産資源は金である。近年アズキニア王国領コールドランドで大きな金鉱脈が見つかったが、コールドランド島は95%以上が氷床に覆われているため、技術的に採掘は困難であった。近年温暖化で氷が溶け始めて採掘が容易になった。
工業
後述する商業への偏重によって脱工業化が最終段階まで進行しており、鉄鋼や金属部品などの一般的な工業生産は殆ど見られない。鉱物資源にも共通する事だが、国内市場の一般的な工業製品の多くを海外や植民地からの輸入に依存しているものの、世界最多の貿易国数によって安定した輸入先の確保と市場競争による価格競争の誘引が可能なため、極端な価格高騰や供給不足のリスクを最小限に抑えた安定した輸入を可能としている。
嘗ては工業は基幹産業であり、特に金属工業や機械工業を中心とした重化学工業によって大きな利益を挙げていた。しかし、世界各国の工業化によって豊富な人口を活かした安い人件費による製造が可能な工業国が増え始め、人件費の高さ故に価格が高い製品を売らざるを得ないアズキニアの国際市場における競争力は大きく低下した。同時に安い労働力を求めて大企業や工場が植民地への移転を開始したことで産業の空洞化が大きく進行。これに加えて政府が自由貿易による商業化を推進する政策に切り替えたことで一般的な工業は大きく衰退した。
軽工業などの日用品産業に於いても輸入の割合が大きいが、食料品や衣服についてはアズキニアでしか消費されない物も多いのでそういった物は自国での生産で賄っている。競争相手がおらず国外の消費も殆どないので、全て国内市場で消費され観光の用途以外では輸出もされない。
例外的に人件費の影響が少ない情報技術産業だけは発展している。これは後述する第三次産業もとい貿易と密接に関係しており、超大な規模の貿易の管理や膨大な数の観光客への対応を行うために情報化が必須であることが挙げられる。
また、観光資源としての独自の付加価値を有する伝統産業の促進を行っており、観光産業と組み合わせた持続的な伝統工業の発展が見られる。伝統工業はその独自性によって多くがブランド化されており、そのため例外的に盛んな工業となっている。
建設業
運送業
第三次産業
文化
アズキニア王国は大洋に面していながら三つの大陸に近いという特殊な立地を持つ島国で、クロイシア地方とコロマンデル地域、メロビア大陸と西大泉洋という四つの文化圏の影響を色濃く受けながら独立した文化圏を築いてきた。古来から積極的に他国との交流をして貿易しながら発展してきたこともあって外国からの文化には比較的寛容。但しこの国において社会的統合と文化的寛容は全く別であり、文化的多様性は尊重されるがアズキニア王国に住んでいる以上はアズキニア社会への統合を求められる。また、全ての国民が尊重すべき共通の価値観*70を定めており、それを中心に各地から持ち込まれた文化が共存することによって、アイデンティティの確保とアズキニアへの帰属意識の統一を実現している。このような同化主義とも多文化主義とも一線を画す政策はインターカルチュラリズム政策と呼称され、導入が本格的になされた近代から現在まで移民政策や民俗政策に於いて大きな成果を挙げている。
アズキニアの文化の中で特筆すべきものとして、『残し伝える精神』と『新しいものを受容する精神』というものがある。アズキニアは4000年の歴史の中で拡大と縮小を繰り返し、それに呼応して文化もめぐるましく変化してきた。その中でこれまでのものを残しつつ新しいものを受容し融合させていく国民性を育んできた。そのため歴代の国は戦争においても相手の文化は必要以上には破壊せずに、吸収してきた。このような精神は現在においても深く残っており、昨今のアズキニア本国においては特に重大な文化的分断はなく、アズキニア王国の国籍を取得する人々は、人種やルーツに関わらずアズキニアの市民であることを帰属意識としている。
衣
上流階級の間では絹で作られた服が主流。庶民の間には麻や綿で作られた服を着る者が多い。寒暖差が大きいため服の生産が盛ん。古来から取れる染料が豊富で、服の種類も豊か。
食
古来から小豆を主とした豆類に、穀物や海や山の幸を足し合わせたものが主食として食べられてきた。
大納言あずきという小豆のアイスクリームが国民の生活に浸透しており、年中を通して食べられる。大納言あずきを作る技術は国家機密。そのためかアズキとあずきの使い分けに世界一厳しい。大納言あずきと食べ物としての小豆はひらがなのあずきだが(例:大納言あずき、改造型あずき、など)、人名や知名、組織や国家名に入っている場合はカタカナのアズキとなる。(アズキニア王国、アズキ親衛隊、など)。これを破るのはアズキニア王国ではタブーであり、場合によっては無視されることもある。気をつけた方が良い。他のアイスも食べられているが、ホッピングシャワーだけは憲法により食べない、作らない、売らない、買わない、持ち込まない、という原則が定められており、非ホッピングシャワー五原則と呼ばれる。やっぱり大納言あずきが1番!
また、古くからの風習で、寒い冬にアイスを多く食べる伝統がある。水が少なく寒い環境ではパンではなくアイスを食べた方が体力を残せるためらしい。それに寒い冬に食べるアイスは美味しい!みんなも食べてみてね!
特産品
- 小豆
小豆。うん、小豆。とれたての生の小豆。いくら data-tippy-theme="light" data-tippy-interactive="true" data-tippy-allowHTML="true" data-tippy-content="貿易と観光の王国<br class="spacer">閲覧者数世界一!">アズキニア王国でも小豆を生で食べる人はほとんどいない。*71 - 大納言あずき
こしあんが練り込んである小豆のアイスクリーム。100年連続人気最上位、栄えあるトップランキング第1位は…大納言あずき!多文化主義の data-tippy-theme="light" data-tippy-interactive="true" data-tippy-allowHTML="true" data-tippy-content="貿易と観光の王国<br class="spacer">閲覧者数世界一!">アズキニア王国には多くの料理が持ち込まれる上に海外から移民が多くやってくるが、どの人も一口食べた瞬間大納言あずきを好きになる。*72なぜか暑い夏よりも寒い冬に売り上げが伸びる。*73 - 餡子
小豆に砂糖や塩を加えて加工した食品。他国でもよく食べられる。また、過去に内戦になりかけたため、こし餡と粒餡のどっちが美味しいかを議論することは禁止されている。 data-tippy-theme="light" data-tippy-allowHTML="true" data-tippy-interactive="true" data-tippy-content="<p>どっちも違ってどっちも美味しい</p><div style="text-align: right;"><a href="#notefoot_74">脚注 *74 へ</a></div>">*74 - 茹で小豆
餡子を作る過程で砂糖を混ぜず、煮込み時間を長くしてできるもの。ほろほろ口の中で崩れて美味しい。 - 渋きり汁
餡子を作る過程で生じる渋みのある汁。渋いが健康にはいい。 - アズパイ
小豆をすりつぶしてペースト状にしたあと、切ってパイの中に入れた料理。小豆の上品な甘味とふんわりしたパイの食感が絶妙にマッチしてとても美味しい。バターをつけても美味しい。白糖を含まないので健康にもいい。 - リトミール
まず、小豆の殻を全て取ったあと、天日干しにより乾燥させた後粉々にして粉状にする。それを牛乳、豆乳に混ぜて溶かした飲料。作るのが大変なため高級品。ヤギの乳を使ったものは最高級品。 - アリニ
小豆の皮を燻して作られた料理。昔、 data-tippy-theme="light" data-tippy-interactive="true" data-tippy-allowHTML="true" data-tippy-content="貿易と観光の王国<br class="spacer">閲覧者数世界一!">アズキニア王国が貧しかった頃に、捨てられてしまう小豆の皮をどうにか美味しく食べられないものかという発想の末に作られた。大量生産大量消費社会への移行によって食べられなくなり、最近ではお土産屋ぐらいでしか売られていない。 - 小豆煎餅
小豆を練り込んだ煎餅。しょっぱさによって甘みが引き立つ。見た目の色は少しアレだが data-tippy-theme="light" data-tippy-interactive="true" data-tippy-allowHTML="true" data-tippy-content="貿易と観光の王国<br class="spacer">閲覧者数世界一!">アズキニア王国ではまあまあ食べられている。
住
アズキニア王国の家は主に木材や石材を使って建てられる。森林資源が豊富であり、レンガと複合させた建造物も見られる。近年、国内の林業が衰退しているため、現在は木材は植民地や国外からの輸入で賄っている。
文学
アズキニア王国では古くから出来事や神話が文字によって記録されてきた。アズキニア王国で最も古い文書は紀元前11世紀に書かれた『古典記』で、紙ではなく粘土に文字が彫ることで神話及び歴史を記述していた。この文書が解読されたのはそれから2,500年以上も後のことである。その後は木の皮に小豆から作った染料を塗るという方法で記録され、14世紀に紙の製法が伝来してからは紙に記録がなされた。
有名な本
- 『古典期』-アレクサンドル・マリー(紀元前11世紀頃)
- 『新古典期』-アレドラ・マリー(紀元前10年頃)
- 『ナゴン諸島における土人の文化について』-作者不詳(紀元前320年頃)
- 『共和論』-カール・マクルス(紀元前156年)
- 『メルト黙示録』-メルト・ロベア(354年)
- 『センエン福音録』-センエン・シー(372年)
- 『おお神よ、我が子を生き返らせ給え』-ゲーテェ・オロロフ(1098年)
- 『美しきナゴンの大地』グラノチェフ詩人作家団(1365年)
- 『アズキニア王国歴史大全』第一版-アズキニア王国歴史研究所(1500年)
- 『アズキニア王国地理大全』第一版-アズキニア王国地理研究所(1500年)
- 『市民の生活における科学の重要性について』-エリック・キム(1560年)
- 『仔馬と少年』-ネリーナ・レーキンル(1686年)
- 『偉人達の哲学』-バクー・アーザーデガーン(1699年)
- 『南亜妖狐七獣伝』-チョン・チャンシー(1721年)
- 『人民統治論』-パラノイズ・エマル(1888年)
- 『エレベ川の奇跡』-ボフマン・コロンボ(1895年)
- 『同志よ、加速せよ』-ノイアー・ロックハート(1987年)
- 『infinity world』第一巻-ユウキ・チャウシェスク
- 『赤い恒星』-二ラン・ドラーム(1988年)
- 『文字の世紀』-ヤン・デレナン(2000年)
- 『paranoia,index』-リミット・シンチャン(2005年)
- 『北部戦線異常なし』-ジョニー・マーキュリー(2015年)
- 『2020年2月9日、僕は君とキスをする。』レイ・ミギュ -(2020年)
- 『コップ一杯の水が欲しい』-ドラゴン・カロリーナ(2021年)
美術
伝統芸術は古くから継承されてきた。近年は移民が多く各文化が混ざり合っている。
新古典主義的素朴派芸術が盛ん。
音楽
伝統音楽文化は、独自のあずきを使った楽器などで、EDMのような曲を演奏する不思議な文化。近代的な音楽は発展途上。
スポーツ
サッカーなどをはじめとする多くの競技が盛んだが、陸上やバスケなどでは選手は多くがアズキニア王国領西オメガなどの熱帯・乾燥帯地域の出身者。アズキニア王国領ナラキアの住民は未だスポーツ大会に出場したことがない*75。ウインタースポーツの大会は、アズキニア王国領コールドランドで開かれる。最近、アズキニア王国の勢力圏全体のスポーツが開かれるつもり。
思想哲学
近代的自由主義が主流
世界遺産
自然遺産
- 湖及び周辺地域
ダイナゴン島最大の湖。湖の美しい自然と周囲に広がる小豆畑を支える広大な水路が特徴。
- マトリア海自然保護区
マトリア海はアルトー海峡とラミダス海峡に挟まれたダイナゴン島とチュウナゴン島の間の内海である。近世以降に交通の要衝として栄え、沿岸部はアズキニアの心臓部として経済の中心であり続けた。産業革命以降は腐海と呼ばれるまでに汚染されたエリアだったが、近年の顕著な自然保護活動により生態系が回復し、一部が自然遺産に登録された。
- アスンシオン国立公園及びロヴァ・リガルフィア国立公園
標高6000mを超える data-tippy-theme="light" data-tippy-interactive="true" data-tippy-allowHTML="true" data-tippy-content="みんなで分け合う領土 Tochi*">分割大陸最高峰、アスンシオン山。山岳地帯の貴重な植物群と山岳の美しい景観が見どころ。
- アネット峡谷
- アズキ・エスチュアリ
- ルグンド国立公園
アズキニアの南西部に本土最大の国立公園。絶滅危惧種を含めた多くの生態系が暮らしていてアズキニアオオワシやトルリアサンショウウオ、キイロシカなどの珍しい動物に出会うことができる。ルグンド国立公園には数万羽の渡り鳥が飛来し、5月中旬の渡り鳥野一斉飛来の見物目当てに来る観光客も多い。アズキニア本土に9つある自然遺産のうちの1つ。世界遺産だけでなく生物圏保護区、テザラン条約登録地にも登録されている自然保護地区で、アズキニアの生物が織りなす美しい自然を体感できる。
文化遺産
- 『螺旋城』及び周辺建築群
シュマリ地域には世界的にも貴重な城下町が数多く残っている。そのシュマリ地域の中核を成すのは『螺旋城』との異名を持つシュマリ城である。シュマリ城は数千年に渡ってジラント家の王族が代々住み続けてきた城で、幾多もの改築や改修を挟みながらも建てられた時の姿を留めている。その名の通り内部は無数の螺旋構造によって緻密に構築されており、古代アズキニア独自の芸術的価値観を表現している。王族が住む場所として、経済の中心地がステラリスに移った後も聖地としての価値を維持し続けてきた。周辺にも貴重な史跡が数多く残り、1921年以降の城の一般開放からは観光客だけでなく歴史学者も訪れる、文化的にも政治的にも重要なスポットである。
- シュマリの河川交易史跡群
アズキニアの王宮都市シュマリはアズキニア最大の河レヴァン川と第二の大河ロースラ川が最も接近する場所に位置し、マトリア海交易が本格化するまでは南北を繋ぐ交通の中心地として活発に荷揚げや荷卸しが行われていた。動乱のたびに放棄され廃墟となってきたが、それでも何度にも渡って建て直されてきたため、様々な年代の史跡が一箇所に残っている。東西南北アズキニアの物流の結節点となったシュマリの交易を支えていた河川交易史跡群を今でも見ることができる。
- ヴァルナ街道
ヴァルナ街道は王冠の地ティアナスフィアと王政首都シュマリを繋ぐアズキニア最古の長距離街道で、古代から近世にかけてロード山麓を南北に接続する役割を担ってきた。当初はティアナスファとシュマリで行われる儀式を円滑に行う事を目的に建設された街道だったが、時が経つにつれて中漠海とエステル海を繋ぐ交易道の中核を成す区間として機能するようになり、街道は交易や参詣を行う人々によって賑わいを見せた。当時の街道は数kmごとに標識が設置されており、石畳によって舗装されて歩道と車道に分けられていた。コプラなどの並木まで植えられていたとも考えられ、かかさず手入れが行われていたと考えられる。戦乱などで何度も放棄されてきたが、その度に修復が繰り返され、特に綺麗に保存されている区間が文化遺産となっている。現在はこの街道に沿って新しい道路が建設されたため道路としての役目を終えたが、観光道として整備されていてティアナスファからシュマリまでを徒歩や観光バスで行き交う人は多い。
- リミー運河
シュマリはマトリア海に取って代わられるまでアズキニア随一の河港都市としての水上交通の中心であり続け、莫大な富を授かった。しかし河川交易によるその繁栄を支え続けたのは他ならないリミー運河である。着工した436年から14年に渡って建設されたこの運河は、3つの河川を通して中漠海に面する都市ステフブールと、マトリア海に面するステラリス、バリス湾に面するトンボラと接続し、アルトー・ラミダス海峡を通らずともアズキニアの心臓部を縦横断することを可能にした。これによって中央平原のマトリア海以西部全体を水上貿易によって結びつけ、物、人、お金の移動を促進し後の産業発展の基盤を形成した。その景観美も注目ポイントとなっていて、運河沿いの約45000本のポプラとニセアカシアは往来する船舶や人に日差しが当たらないように植えられたもの。心地よい風が吹く緑の遊歩道は周辺住民の憩いの場として、また観光スポットとして人々に愛されている。
- アンティオラ橋
アンティオラ橋はステラリス第一地区に位置するアズキニアで最も荘厳で歴史ある橋の一つである。もともと長大なレヴァン川によってステラリス北岸地区とステラリス南岸地区は隔てられており、ここを行き来するには渡し船を利用するしかなかったため物流を妨げていた。しかし第二回ステラリス包囲戦後、南北の接続のためにステラリスのレヴァン河岸の再接近地点に橋を建築され始めた。当時の技術を結集して建てられたものの工事は難航を極め多大な犠牲者と莫大な費用を要した。しかし4年の工事の末についに橋の施工が完了し、ステラリスの南北地区は接続なされた。この橋の存在がその後のステラリスの発展に大きな影響を与えたのは言うまでも無く、南北の流通量は橋の完成後に10倍近くに増加したと考えられている。その後何度か災害で焼失したものの再建が繰り返され、現在ではステラリスの中心点として公式にステラリス市から指定されている他、ステラリスを訪れたら寄るべき観光スポットの一つとなっている。
- ティアナスファ歴史地区
ティアナスファはアズキニアの君主政治にとって根本となる地であり数千年間に渡って、聖ティアナスファの王冠が安置されている。ジラント帝がここで後に聖ティアナスファの王冠となる王冠を被った事で、 data-tippy-theme="light" data-tippy-interactive="true" data-tippy-allowHTML="true" data-tippy-content="貿易と観光の王国<br class="spacer">閲覧者数世界一!">アズキニア王国の歴史は始まった。
- 城塞都市サンプレヒト
近世初期、東と西の略奪者によって北の不毛の島々に追いやられたジラント朝 data-tippy-theme="light" data-tippy-interactive="true" data-tippy-allowHTML="true" data-tippy-content="貿易と観光の王国<br class="spacer">閲覧者数世界一!">アズキニア王国。幸い彼らは辺鄙な島嶼に追いやられたジラント家を攻めることはしなかったが、それでも弱ったジラント家にとっては周囲のあらゆる物が脅威となりうる。そこでジラント家は彼らの新天地を徹底防備化。その集大成がポラリス諸島南部カーゾン島、城塞都市サンプレヒトである。20メートルにも及ぶ城壁はジラントの王が再び聖ティアナスファの王冠を手にするまで幾十年にも渡って野蛮な略奪者からジラント家の末裔を守り続けた。その後は半ば放棄されていたがその歴史的価値が見直されて改修が施されて今に至る。複雑に入り組んだ城塞と当時の人々の生活が未だに息づく石レンガの街並みが見どころ。
- サレジア・ロールドランドの洞窟群
- ワラドネギャの彫像群
新石器時代ウィンザー文化第二期を代表する巨大建造物。現存する10メートル以上の彫像としては世界最古で、太古の人々の神秘的なスピリチュアルが今でも息づいて残っている。
- ラールプラット王立植物園
ラールプラット王立植物園は1678年に作られた世界最古の近代的植物園。文化帝として名高いメールオ一世の命令によってステラリスに作られ、アズキニアの植民地を中心に世界中から植物が集められた。特に中央の温室聳え立つバオバブの木は、テープコナルから運ばれたもので樹齢は300を超え、現在でもゆっくり成長を続けている。それに加えて近世アズキニアの文化も施設の壁や床の装飾として残っており、世界中から集められた植物と新古典主義的芸術を一度に楽しめる人気スポットとなっている。
- 古代イケア・テーボルト文明遺跡群
アズキニア東部で栄えたイケア文明とテーボルト文明の遺跡群。
- ラミダス・アルトー連続海峡都市の歴史地区
ラミダス・アルトー海峡は何千年にもわたってレヴァン川の富を守り続けてきた自然の要害である。この海峡たちは富めるマトリア海を外海の脅威から守り、同時に莫大な交易価値をもたらしてきた。その中で中央平原につながる二つの歴史都市。決して広くない海岸平野に建設されたことで、小ぢんまりと入り組み密集した建物群の歴史的景観が見どころ。
- マームン・リベストの水路群
- シェイエロー諸島前衛要塞群
ジラント朝 data-tippy-theme="light" data-tippy-interactive="true" data-tippy-allowHTML="true" data-tippy-content="貿易と観光の王国<br class="spacer">閲覧者数世界一!">アズキニア王国を一時的に滅ぼし、シェイエロー諸島を手に入れたオデシア王国はサンプレヒト王国となったジラント朝の復讐と、旧アズキニア領の豪族の台頭に常に脅かされてきた。そこでシェイエロー諸島全体に投石機などを兼ね備えた要塞の建設を行い、シェイエロー諸島の護りを固めた。その要塞群のうち幾つかは現代でも残っており、オデシア王国が当時の技術を結集して建設した兵器が各地に見られる。特にカリエ島に築かれたマルティナ要塞が最も大規模かつ有名で、5回の進行を全て跳ね返した。各地の要塞ごとに異なった構造を体感できるのが特徴で、意匠ある装飾を追体験できる。
- ノースフィラーナのクモラ遺跡
アズキニアで近年世界遺産として登録されたのが、ノースフィラーナのクモラ遺跡。巨大な石のモニュメントが点在するとても迫力のある世界文化遺産。ここでは多くの古代遺跡を見ることができるが、世界遺産に登録されているのはそのうち保存状態がいいものに限られる。特に注目されるのはアズキニアが世界に誇る世界最大級の支石墓。幅25m、高さ4m、奥行き5mもある巨大な墓はウィンザー文化第二期の真っ最中の紀元前3000年ごろに造られたもの。太鼓の昔に作られた岩の美しい古代遺跡を見て、歩いて、触れて、味わうことができる。
複合遺産
- ロード山系と山岳信仰
アズキニア王国西部に聳える大山系、ロード山脈。ロード山脈はルインフェルドとザカンテスの行き来を阻むとともに、その中にあるティアナスファやシュマリなどの都市を外敵から守ってきた。その中の最高峰であるリリューク山は古代から人々を魅了し、その美しさによって絶大な信仰を集めてきた。そして、二文化圏を繋ぐ要衝という特異性によって多くの文化を育んできた。二文化圏の境界という立地は周辺の人々に独自性ある信仰を与え、アズキニアの人々はこの山を聖地として崇め奉り、数多くの神話や民謡が作られてきた。
- コールドランド島
大泉洋と大東洋を繋ぐ氷の島、コールドランド。コールドランドから東西に広がる巨大氷床は盛衰を繰り返しながら存在し続け、上空の高気圧と共にカンブリカ大陸の発見を現代まで阻んできた。コールドランド島の北端と南端には僅かにも原住民シェブリャ族が暮らしてきており、その文化は氷によって隔絶されたことで数千年間外部からの干渉を受けず成熟してきた。シェブリヤ族の神話は口伝や壁画として代々記憶されており、彼らの捕鯨の儀式や繊細な骨石器も島の伝統として残され続けている。コールドランド島に残る美しく貴重な島氷床と、シェブリヤ族が育んできた厳しい自然に適応した文化の共生が見どころ。
- ステフブール歴史地区も及びシビュラデルタ
ステフブールはシビュラ川河口に位置する歴史ある港湾都市である。ステフブールが位置するロナント海岸は大規模な沈水海岸であり、そのため船が接岸可能な地点が極端に限られるのだが、シビュラ川河口のカスプ状三角州は数少ない接岸可能地点であった。また、ラミダス海峡に近い地点であったことからもリミー運河を通って莫大な量の物資が中央平原へと運ばれ、中央平原一帯の河川交通に於ける要衝となった。現在は船の大型化によって港としての機能が大きく制限されたが中近世の港湾都市史跡は未だ面影を残しており、歴史都市として毎年多くの観光客が訪れる。また、ステフブールが位置するシビュラ川河口は人工的に開発されたにも関わらず綺麗で大規模なカスプ状三角州が残っており、稀有な地形と文化史跡の共生例として複合遺産に制定された。
- 北シェイエロー十三聖山
祝日
- 1月14日
10000記念日
- 1月29日
小豆の日
- 2月5日
隣人と家族の日
- 3月3日
人類平等の日
- 春分前日~春分翌日(3月20日頃~3月22日頃)
播種大祭
- 夏至前日~夏至翌日(6月20日頃~6月23日頃)
日輪大祭
- 7月14日
20000記念日
- 8月31日
平和記念日
- 秋分前日~秋分翌日(9月22日頃~9月24日頃)
収穫大祭
- 冬至前日~冬至翌日(12月20日頃~12月22日頃)
月輪大祭
観光
アズキニア王国は、世界有数の観光立国として知られており、世界遺産の登録数においても常に上位に位置している。歴史の中で築き上げられた壮麗な建築物や宗教遺産、先住民族文化の名残をとどめる伝統行事など、多彩な文化遺産が本土に数多く残されている。さらに、環境保全区や熱帯林、海洋生態系などを背景に自然遺産も豊富に有しており、観光客は都市部と自然の両面からアズキニアの魅力を享受できる。
また、アズキニアは地域ごとに異なる独自の食文化や伝統工芸を保持しており、無形文化遺産の登録数も他国に引けを取らない。香辛料を多用する南部料理や、発酵文化の根付く中部の保存食、あるいは北部の季節限定料理など、食を通じた観光資源も国際的な評価を受けている。
アズキニアは、世界最多の国交締結国を持つことでも知られ、その外交的つながりを背景に観光ビザの取得も容易な国のひとつである。このため、観光客の流入は年間を通じて非常に活発であり、年間観光客数が総人口を超えるという異例の状況が定着している。観光産業は国家の主要な外貨獲得手段として機能しており、観光関連の雇用や地域経済への波及効果も大きい。
一方で、過度な観光集中によって引き起こされるオーバーツーリズムの問題が深刻化している。世界遺産が10件以上存在する都市・シュマリでは、観光客の急増に伴い、公共交通の混雑、騒音、ゴミの不法投棄などの社会問題が常態化しつつある。特に、古都の景観が重要な資産であるシュマリ中心部では、観光客が散乱させたゴミが景観を損ね、地元住民の生活環境にも悪影響を及ぼしている。
2022年には、観光資源の過度な開発と管理不足が原因となり、ヴァルナ街道およびアンティオラ橋がユネスコの危機遺産リストに登録され、国際的な注目を集めた。これらの文化資産は、訪問者の増加による摩耗や振動、交通の集中による劣化が進み、保全活動が追いつかない状況にある。
このような問題に対して、観光業を主要産業とするアズキニア政府は慎重な立場を取っており、抜本的な規制や制限には消極的である。この結果、地域住民の不満は高まり、観光客とのトラブルが多発。近年では観光客に対する傷害事件や暴動、さらには観光開発企業に対する武力行使までが発生しており、観光政策と地域住民の乖離が深刻な社会問題となっている。
政府は一定の対策として、観光被害の激しい地域に向けた観光特別補正予算を組み、住民への補償や地域資源の回復に取り組み始めたものの、予算規模や実行体制の制約により、その効果は限定的である。
観光地の類型
アズキニア王国では多様な観光資源が全国に分布しており、観光地はその性質に応じていくつかのタイプに分類されている。
温泉保養地型
温泉療養を起源とする観光地で、19世紀以降の交通網発達とともに大衆化が進み、大型宿泊施設の集積が見られる。近年では、個人向けの小規模な温泉旅館や貸切風呂付き宿泊施設が増加傾向にあり、静かに過ごす「癒し」の観光が注目されている。
主な地域:ルインフェルド
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data-tippy-content="<p>火山活動活発</p><div style="text-align: right;"><a href="#notefoot_77">脚注 *77 へ</a></div>">*77、アズレーン沿岸部*78
海浜保養地型
海水浴や日光浴、海上スポーツを目的とするリゾート型観光地。19世紀に上流階級の避暑地として発展し、20世紀には中間層のレジャー地として拡大した。
主な地域:ポラリス諸島
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data-tippy-content="<p>通年型リゾート</p><div style="text-align: right;"><a href="#notefoot_79">脚注 *79 へ</a></div>">*79、ガルフ岬、ロナントコースト*80
山岳高原保養地型
スキー、登山、避暑など四季を通じた自然体験ができる観光地。19世紀末から整備が進み、国内外から多くの旅行者を集めている。
主な地域:ロード山脈、ラプラス山脈
自然環境保全型
自然景観や動植物の観察を通じて環境保護意識を高める観光形態。世界自然遺産に登録された地域が多く、エコツーリズムやサステナブル観光としての評価も高い。
主な地域:ラファ砂漠
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data-tippy-content="<p>砂丘保全</p><div style="text-align: right;"><a href="#notefoot_81">脚注 *81 へ</a></div>">*81、グリント湿原、シエナの原生林
歴史文化遺産型
寺社仏閣、伝統的町並み、歴史的建造物などを中心とした観光資源。周辺に土産物屋や文化体験施設、宿泊施設が集積し、国内外の修学旅行や団体旅行の定番地でもある。
主な地域:シュマリ旧市街、シェイエロー十三聖山
都市文化型
大都市に集中する多様な文化的資源*82を基盤とする。外国人観光客の割合が高く、国際会議・展示会の開催地でもある。
主な地域:グレーター・ステラリス首都圏、アズリオポリス
地場産業型
農産物、地酒、伝統工芸など、地域の一次・二次産業と結びついた観光。農業体験や工房見学が可能な施設も多く、自治体と連携した観光振興策が成功例として注目されている。
メディア誘導型
映画やテレビドラマ、アニメのロケ地として知られる観光地。近年はSNSによる情報拡散も観光動機に直結しており、観光振興のために自治体がロケ誘致を戦略的に行っている。
教育・科学技術
アズキニアは概して理系学問より文系学問への投資が大きく、史学、考古学の研究が特に盛んである。そのため海外の文系学生が積極的にアズキニアへの留学や移住を行っている。しかしその反面、理系学生に関しては反対の現象が起こっており、
第一にアズキニアの周辺にはアズキニアにとって軍事的な脅威が無いため、軍事技術を発展させるための科学技術を育てる必要性が小さい。第二に、アズキニアは貿易と観光などを中心とする文化産業によって経済的に成立しているため、研究産業への投資がそこまで大きな利益にならないのである。
外交
アズキニア王国の貿易国数は世界最多であり、その数なんと100カ国以上である。膨大戦兵条約なども守っている。アズキニア王国を介せば100以上の国と貿易できるので国際的に最も重要な国家の一つである。基本的に国交を申請すれば快く了解してくれる*87。
平穏なる孤立
この国は『外交的孤立、経済的自由』を掲げているように、外交と貿易は別物だとの姿勢をとっている。そしてアズキニア王国は外交的には孤立主義を貫いており、極度に同盟を組みたがらない。現に分割大陸宗主国条約以外の多国間平和友好条約に加盟していない。過去に多くの国がアズキニア王国との同盟を打診してきたが、全て断っている。これには幾つか理由があるが、同盟を組むことに多国間貿易網の均衡が崩れる事、同盟を結んだ国との仮想敵国との関係が悪化する恐れがある事が、非同盟主義を採る主要な理由である。
また、この国は自国に関係のない外交問題に関わることをひどく嫌うため、それを避けるのも同盟を組まない一つの要因である。面倒な戦争もしたがらないので基本的に相手の要求をのむことで問題を解決しようとする。実際、近代以降この国は国連軍を含むどこの国の軍隊にも軍事通行権を認めたことはない。国際連合についても、ムネスコに加入するために加入しているのであって、国際平和や国際協力に貢献する意図は薄い。連合を組んで共同作戦を行う時でも、自軍の統率権を作戦司令部には渡さず名目上はあくまでアズキニア軍として独立して戦闘する。また、基本的に他国に借りを作りすぎることも嫌う。このような、恒久的な同盟関係を徹底的に避け国際関係にも不用意に関与しない姿勢は『平穏なる孤立』と呼ばれる。この国が他国と協力する時の方針は白い猫だろうと黒い猫だろうと、鼠を獲るのが良い猫だである。二国間の不可侵条約や友好条約なら喜んで結んでくれる。
メタいことを言うと、孤立主義を取っているのは作者が軍事RPを含む外交に興味が無いからです。そのためどこかの国と同盟を組まないのは勿論のこと、永世中立であることもしません。「同盟を組む」でも「同盟を組まない」でも無く、アズキニアの世界での立ち位置とか、国家間関係の構図に入ることとかに全く興味がないのです。
貿易
アズキニア王国を通してアズキニア王国の貿易国から運ばれてきた商品を取引できる。
正式な国交がある国 ・勢力 募集中! 自由追加可!
ここでいう国交を結ぶということとは、正式にお互いを国として承認し貿易するということです。軍事同盟ではないです(軍事同盟などを結んだ国々は、同盟国として別に承認します 。)。国名が変わってたら変更お願いします。(あと、うち大納言あずきだけ輸出してるわけじゃないんだけどなあ......。)
敬称略
- アンリオス社会主義共和国連邦⭐︎
- アンリオス
- 浅順民主主義人民共和国⭐︎
大豆と小豆をお互いに輸出入している。 - 西方沖共和国⭐︎
未知の海域に浮かぶ埋め立てでできた島国 - 犀曐ノ國⭐︎
輸入のみ - サークル帝国?⭐︎
鉄と石炭を輸入している重要貿易相手国の一つ。過去には対立していたが現在は和解し対等で友好的な関係を築いている。 - サークル帝国領南カンブリカ?
アズキニア王国領リガルフィアと硫黄、野菜などを貿易している。 - ヴァレス考古学主義国⭐︎
石油とイアーナなどの鉱石を輸入。 - シャングリア帝国⭐︎
オールスターバサミサンドなどの特産品を輸入。あと、内戦中のため人道的な理由から食糧を支援している - シャングリア国際交流タウン
- クロイツ帝国⭐︎
- 極夜王国
貴金属、宝石などを輸入 - ブレイド帝国
刃物などを輸入 - モンテ帝国
温泉卵を輸入 - ディスノミア共和国⭐︎
- ラグダール国
武器などを輸入。 - P国
紅茶の茶葉などを輸入 - テープコナル共和国(傀儡国)
貿易というより、小豆や砂糖を無理やり作らせている - プランテット星国⭐︎
宇宙の宇宙人の国 - レギュラー帝国⭐︎
- イゲレス⭐︎
ビスケット、コーチャなどを輸入 - フランチュ⭐︎
チーズ、玉ねぎ、車などを輸入 - 新帝国カインノシア⭐︎
- ジオティック連邦
鉄鉱石、ボーキサイトなどを輸入 - カルカナ自由連合王国⭐︎
- 野菜王国⭐︎
野菜などを輸入 - 焼肉王国⭐︎
肉などを輸入 - パリピーナ公国⭐︎
栃の木などを輸入 - ストロンゲスト共和国⭐︎
- 月皇国⭐︎
銀や銅を輸入。 - カルロマス連合国⭐︎
海産物などを輸入 - ピクト共和国⭐︎
- デュナミス連邦⭐︎
農作物など - ロザリア王国⭐︎
マスカット、プラスチックなど - イルネシア共和国
新元素を輸入 - 校舎大王共和国?
- サエンスナ
- 緋陽皇王国
- ピクト社会主義人民共和国
- バルトーネ国?
- ヒエピタ王国
- 隼公国
第三次Y大戦の時に共に救助にあたったことから仲良くなった。 - ノストクラ王国?
鶏肉・砂糖などを貿易している - マルブルグ・ワークス社?
- 佐戸王国
- ロジリック連邦
- カモナ共和国
- フェルリアの王国?
宝石の貿易 - エルドビア民主主義人民共和国
- パスラストン国
- 幽玄共和国
作物のみ貿易 - 横須賀帝国
鉱産資源を輸入 - ストロベリー帝国?
- グリモア魔導帝国
- サッカ民主国
- どうぶつの森国
- イェヒメ共和国?
魚介類、電気銅、アンチモン、紙製品、陶器などを輸入 - ローゼンハイム・エレクトロニクス
- 硝子魔法国
- ヤマシタ・ミリタリー・インダストリー
- テンド
- 穏和
- ケツパサ
- ケミサリー共和国連邦
- PhigrOS
- 妖蘭国
- マンタル国
- なろう王国
- 典型国
- 東亜大帝国
- ボラァーヴァ・ソヴィエト共和国
石油・科学製品などを輸入。 - アスキー国
- アリの巣王国
- ハチスブルク二重帝国
- 赤星鉄条連邦
- アライスカ
- マナコ公国
- キュウビノ国
- フィレンツィーナ大公国
- 鉄オタ共和国
- スニハラ
- ジェンコ―ノ民主共和国
- 大アルタ帝国
- 電脳共和国
- ういろう王国
- シコク連邦共和国
- ネコ社会主義共和国連邦
- 夢=家国
- 納豆列島
- モルナール社会主義共和国連邦
中立条約を締結 - リーンベール連邦
工芸品や機械類などを輸入 - 海王星コーポレーション
- エストレクトィア
ES-202などの兵器を輸入している - アシュテルキア帝国
- 明日川連邦
- 大タピオカ帝国
- アメリアン合衆国連邦
- レッドタイヤ国
- コルン合衆国
- ソフィア人民共和国
- 南YouTuber連邦
- 粘土帝国
- 膨大共和国
- ゲルトニア帝国
- イグラニィレ連合王国
- 宋湾共和国
- シルヴァナハト帝国
- 稜千国(大内氏)
- フツ共和国
- 永寿民主共和国
- 北方桜洲王国
工芸品や芸術品を輸出、銀を輸入
新学園都市ランバトロス?*88
現在113国 data-tippy-theme="light" data-tippy-allowHTML="true" data-tippy-interactive="true" data-tippy-content="<p>ページ削除済み、系列Wiki国家、亡国含む</p><div style="text-align: right;"><a href="#notefoot_89">脚注 *89 へ</a></div>">*89 - 關柬帝國
加盟する組織、条約など
軍事
本土を守るのに十分なほどの軍隊は持っているが、そこまで強い訳ではないと推測されている。貿易や文化などの経済に注力しているため、国防以上の軍事に割くリソースが少ないのである。
兵器生産に長けている訳ではないので、ES-202などの外国から輸入した軍備をアズキニア使用したりもしている。但し、国産の兵器を使用していない訳ではない。
軍事に関する殆どを機密情報にしているので、装備や軍隊の規模に関する情報は殆ど分かっていない。凄く強い可能性もあれば凄く弱い可能性もある*90
貿易の情報によってES-202などの外国から輸入した軍備を使用している事はわかっている。しかし全部が外国産なのか、試験的に購入したに過ぎないのかは全く分からない。
秘密兵器*91
- 遺憾砲*92
遺憾の意を表明し、残念な気持ちを伝える。敵に精神的ダメージを負わせる。 - 宣戦布告お断り*93
アズキニア王国の超強力兵器。上位世界の存在であるページ作者を呼び出し、宣戦布告のコメントに応じないことで、そもそも戦争を起こさせないことができる。
これから編集していきたい項目
- 歴史の鉄器時代以降
編集するとか言っといて全然進んでません。ごめんなさい。 - 政治
構想は決まってるんですけど、編集大変すぎて無理......。 - 産業
これは一個ずつやってけば簡単そうです。 - 文化
美術・ 音楽・スポーツあたりはもうちょっと詳しくしたいですね。
いつか文字数制限に引っかからないかな......。
アズキニア王国の利用について
アズキニア王国は基本的に自由に利用可能です。以下例
:DCOなどでの地名
:キャラクターの行き先・住所など(但し、自由で民主的な基本秩序を遵守すること)
:自国との友好・貿易関係
:宣戦布告・軍事行動を除く外交行動、大規模事故・事件を除くキャラコーナーでの利用
:
data-tippy-theme="light"
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data-tippy-allowHTML="true"
data-tippy-content="貿易と観光の王国<br class="spacer">閲覧者数世界一!">アズキニア王国に現在または将来的に被害が出ないような敵対状態
ただ、下記のような利用は許可を必ず取って下さい
:「
data-tippy-theme="light"
data-tippy-interactive="true"
data-tippy-allowHTML="true"
data-tippy-content="貿易と観光の王国<br class="spacer">閲覧者数世界一!">アズキニア王国は我が国の属国」などのようにアズキニアの設定に反するもの
:勝手に戦争・敵対状態にすること。私が戦争を許可した場合でもどこでどの程度の戦争にするのかは必ず私に確認してください。核の使用もなしでお願いします。核が許可なしで使用された場合も下記の措置を取らせていただきます。
:ページの内容をAIに学習させること
迷惑行為、危害行動、その他故意に不利益のある行為を許可なく行った場合は、短期規制を含めた然るべき処置を取る可能性があります。*94
守っていただけない場合は、利用許可の停止・当該箇所の削除を行わせていただく場合があります。*95
こんな堅苦しいこと書きましたけど、よっぽどじゃない限り特に規制とか削除とかしないので気軽に利用してください!
コメント
来訪者数
| 現在 | ? |
| 今日 | ? |
| 昨日 | ? |
| 合計 | ? |
進捗
10000 2024/1/14に達成
11000 2024/1/24に達成
11111 2024/1/26に達成
12000 2024/2/3に達成
13000 2024/2/13に達成
14000 2024/2/23に達成
15000 2024/3/1に達成
16000 2024/3/10に達成
17000 2024/3/27に達成
18000 2024/4/25に達成
19000 2024/6/16に達成
20000 2024/7/14に達成
21000 2024/8/19に達成
22000 2024/9/10に達成
22222 2024/9/17に達成
23000 2024/10/23に達成
24000 2024/11/25に達成
25000 2025/1/19に達成
26000 2025/3/9に達成
次の目標 30000
タグ
ここは自由に編集可能です。
Tag: 国 なんだこの自己満ページ 大納言あずき 激重ページ
*1 但し、作者が改変する可能性があります
*2 曖昧だと思ったら放置でお願いします。
*3 カント倫理学に於ける、純粋な実践的理性による道徳法則によって支配された、全ての人間が互いの人格を尊厳をもった究極価値として尊重し合う社会のことを指す概念
*4 ジラント朝
*5 君主制と大統領制は両立できないというのは俗論で、各国の政体は独自に決まるから、超俗的権威(王や宗教指導者)と世俗権威(大統領)は両立しえる。あと厳密には大統領という名前ではなくアズキニア神聖皇帝総合補佐長という役職である。
*6 諸説あり。正確に分かっていない
*7 所謂『本土』のみ
*8 国別コードトップレベルドメイン
*9 DCO機関サイト識別番号にも適用
*10 閲覧者数
*11 仮です
*12 正直、なんて呼んだらいいか正確には、わからないですよね
*13 平和主義、基本的人権の保障、環境重視、少数民族の保護など
*14 個別救済に基づく
*15 具体的審査
*16 法令一般に対する申立
*17 小選挙区制と比例代表制の選挙を同時に行い、比例代表選挙の得票率によって各政党に議席数を配分し、小選挙区選挙の当選者を各党毎に優先的に割り当てていく仕組み。小選挙区比例代表並立制とは、全体の議席数が基本的に比例代表の得票率により決定する点で異なる。
*18 ナゴン諸島、シェイエロー諸島、ポラリス諸島、北エステル諸島、クローアーヴァント諸島島、南クロイシア北東部、メロビア大陸北西岸地域
*19 それでもアズキニア的価値観に非受容的だと差別や迫害を受けることもあり、それらも国家権力から黙認されているという実情がある。
*20 新たなる風という意味
*21 バクシス島、プルファ島、ユメイ島、カリエ島
*22 トリーア地上の周辺には風を遮る陸地が少ないため、トリーア地上の東西は部分的に偏西風の勢いが如実に強化される
*23 カザルフ湾の最奥に位置する都市
*24 但し、ペルリウムはローフェルドではなくザカンテスに含まれる
*25 ロード山脈の中で最も標高が高く連続性が強い連峰状の部分
*26 自分で撮った写真を使用しています
*27 地図を見ると、中央平原のハジュン周辺の広い地域は、ヌスリス川とミク川の水源地の間を除いてレヴァン川水系によって囲まれており、最終的に同じ湖で合流する河川群によって縁取られた面白い地形となっている
*28 自分で撮った写真を使用しています
*29 自分で撮った写真を使用しています
*30 本土の北の主要部のみ
*31 この項目は低質な上にクッソ長いし、スカスカです。それでも読みたいと思う
*32 アズキニア王国でのクロイツ、ゾット、カイズカのある地域を総称して指す言葉
*33 ボウル人伝来前のナゴン諸島の人類は、粘土を天日干しで乾燥させただけの簡素で性能が低い容器を使っていた。
*34 現在のアレクサンタリア
*35 現在のベオラスブール
*36 現在のモンリュソン
*37 現在のイスカンダリア
*38 現在のシフィドニツア
*39 ケマル族、キタア族、ユグノール族など
*40 イルマティア
*41 異母兄弟
*42 現在ではポラリス諸島から来たと考えられている
*43 推定1100億トン
*44 火砕流により資料が埋もれてしまったため街の名前は未だ不明
*45 戦国時代の有力諸侯国家。のちにジラント朝サンプレヒト王国との合併で正式にアズキニア王国を継承する
*46 勃海
*47 Mr.EXHAUSTさんは自由に編集可
*48 ただこれはこれで安かった。
*49 マスクード公の死後、このことが発覚した
*50 諸説あり
*51 諸説あり
*52 後に全員脱出した
*53 2代目。初代リーダーは父のワッカ=リュウであった。
*54 どちらの指揮官もそのような状況下で攻めることの危険を熟知していたためである
*55 以下魔法勢力と呼称
*56 なろう王国は自治領ではあるが支配領域が旧エルドビア王国の全てであるためあくまで形式上の立場である。
*57 いずれもアズキニアの大都市
*58 もっとも、アズキニア王国では『転生者は人ではない。テロリストに人権などなくて当然』と言う考えが少なからず蔓延っているためそもそも問題とされていない節もある。
*59 ただし領土はわずか2㎢しかないことを留意されたし
*60 ナルピア、ナラキア間の海岸部にある長さ1200kmの狭い回廊地帯。この後方には極度に乾燥した険しい山岳地形や塩性湿地が広がり軍隊などが回廊の後方を通るのは不可能に近い。
*61 クローバー、アルファルファ、ライグラス、オーチャードグラス、トールフェスクなど
*62 クローバー、アルファルファ、ライグラス、オーチャードグラス、トールフェスク
*63 クローバー、アルファルファ、ライグラス、オーチャードグラス、トールフェスク
*64 クローバー、アルファルファ、ライグラス、オーチャードグラス、トールフェスクなど
*65 冬季の飼料作物の栽培が本格化する以前は、冬を越すのが困難なために家畜を多く屠殺しなければならなかった。
*66 それでも多くの場合出稼ぎ人の出身地よりは一時間あたりの賃金は高い
*67 中漠海は荒れるため危険ではある
*68 アズキニア王国領ナラキアはナラキア国の北東部の乾燥地の先端に位置していて、その小ささから水をはじめとするインフラは全てナラキア国に依存している
*69 元々少ないが
*70 自由で民主的な基本秩序の尊重、憲法への忠誠、人道主義、文化的寛容など
*71 米を脱穀前のまま食べるのに近い
*72 洗脳ではないね、言うまでもない
*73 寒い冬こそアイスを食べようの会?なんだそれ、知らないな......。
*74 どっちも違ってどっちも美味しい
*75 そもそもの人口が少なすぎるため
*76 アズキニアは休みが3日間だけじゃなく5日間ある
*77 火山活動活発
*78 地熱豊富
*79 通年型リゾート
*80 長大な砂浜
*81 砂丘保全
*82 現代美術館、コンサートホール、ショッピングモール、テーマパークなど
*83 織物
*84 ブドウ・ワイン
*85 ドラマ『風の約束』の舞台
*86 アニメ『ヒーロー・オブ・ステラリス』のロケ地
*87 ただし、過去にはアメイジーナ公国のみ主権侵害の恐れ有りとして拒否された。
*88 倒壊したらしく、ランバルド、[お買い物[モップ野郎]]、ショウ少佐が避難。
*89 ページ削除済み、系列Wiki国家、亡国含む
*90 これは軍事項目を書いていない理由付けとしての設定ですので、申し訳ありませんが「高い技術力によって軍事情報を知っている」などの設定は受け付けておりません
*91 以下メタ注意
*92 ネタです
*93 メタです。あと、ネタです。
*94 実害の有無、特定の個人を指定しているかどうかは関係しませんのでご注意下さい
*95 使ってもらえるだけで私は嬉しいので、こういうことをする場合はあまりないとは思いますが......。
*96 智慧(ラファエル)之王国
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我が国と国交を樹立し、貿易同盟を締結しませんか。我が国からは鉄鋼・木材を輸出します。 -- 北方桜洲王国 2025-02-01 (土) 08:54:01
ただ、航空会社名や空港名については考えていないのです...。名前なら考えることはできますが、今後その名前を変更することになった場合には、宋湾共和国さんのページの中の弊作の航空会社や空港の名前を変更させていただく可能性がございます。それでもよろしいでしょうか? -- アズキニア王国 2025-02-16 (日) 00:45:07
どちらにせよ貿易の域を出ない関係なら大丈夫です -- アズキニア王国 2025-03-08 (土) 20:28:09